屋島のできごとさんのブログ
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屋島のできごと
徳島に生れ育ち、四国四県を渡り歩き 、現在高松市に住む。 前月等のプログを見る場合は、下のカレンダーの月の部分の青色の「く」の部分をクリックしてください。(写真は、屋島山上の談古嶺から見た初日の出:H31.1.1撮影)
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2015年02月28日

「屋島の子供さん達」


[ 08:02 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ @屋島山上 ]
「屋島に登る:琴電屋島駅」
 屋島に登るべき「琴電屋島駅」に来てみたら、大勢の小学生がバスを待っていた。
 ひょっとしたらバスに乗れないかと心配したが、既に到着していたバスは増発した臨時便のようで定期のバスが定刻に着いた。
 ところがこちらのJR屋島駅から来たバスにも、園児さんが大人二人掛けの所に三人ずつ座られ満員に近かったが、先生二人が園児を監視するためか立っておられ、どうにか空いていた座席に座り込んだ。
 二台のバスは、同じ時刻に琴電屋島駅を発車した。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「屋島に登る:屋島寺」
 屋島山上に着いたバスから、小学生は屋島寺の方へ、そして園児の皆様は新屋島水族館の方へ整列して歩いて行っていた。
 屋島寺に入った小学生は、二班に分かれてタヌキの石像の前でガイドさんらしい人から説明を熱心に聞かれていた。
 屋島寺本堂の左にある宝物館、この日は何故だかお休みのようであった。

「屋島に登る:屋島寺南広場」
 屋島寺南にある広場の梅の花は、花数が少なさそうであったが満開のようであった。
 広場では、よく園児さんがお弁当を広げているところに出くわすが、この日も15〜6人の小さなお子さんたちが、敷物に座りお弁当を美味しそうに食べておられた。
 家を出るときは、ちょっと寒いかなと思い着込んできたが、空は晴れて春が来たようでピクニックにはちょうど良い気候であった。
「屋島に登る:屋島のタヌキさん」
 屋島山上の「タヌキさん」、出会える日と出会えない日があるが、この日は運よく二回目の出会いとなった。
 餌をもっていると、神経質のように警戒しながらも二匹の「タヌキさん」が近づいてきて、手から餌をとって食べていた。
 餌が無くなったと感づいたのか、「タヌキさん」はお尻を見せながら林の中に消えていった。
 「タヌキさん」といえば昔、子どもが歌っていた「げんこつ山のたぬきさん おっぱいのんで ねんねして だっこして おんぶして またあした」を思い出した。
「屋島に登る:元気な園児さん」
 遍路道を通って下りるため屋島寺から出ようとした時、先生に引率された元気よさそうな園児さんたちが遍路道から上がってきた。
 園児さんは青い色の帽子を着ており、ひょっとするとバスに乗ってきた園児と同じ幼稚園でないのかなと思われた。
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2015年02月27日

「ふるさと探訪で香南町へC」


[ 08:57 ][ まち・生活・学校:まちなみ・おすすめスポット ][ Gウォーク・里山 ]
「探訪香南:由佐城跡(香南歴史民俗郷土館)」
 ふるさと探訪の一行は、高松市香南町由佐の「由佐城跡」に建つお城のような建物の「香南歴史民俗郷土館」に着いた。
 「この地域は南北朝時代(1300年代)に由佐城(ゆさじょう)が建てられたところです。由佐城は由佐氏の居城で、東に大河が流れ、西には沼田のある要害の地に築かれた城です。郷土館の風貌は、現存する最古の天守閣を持つ福井県の丸岡城をモデルに建てられており、館内には歴史展示室・民族展示室・図書室を備え、地域の歴史を知ることができる。」※入口の看板より。
 切り込み写真は、郷土館に展示されている香南町の出身の中山城山の像である。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「探訪香南:由佐城跡(香南歴史民俗郷土館)」
 由佐城跡に建つ「香南歴史民俗郷土館」の入口にある看板に、「現在も庭園には城の名残として土塁(どるい)があり、周囲には南門という地名も残されています。」と書かれていた。
 郷土館の南にある庭には、2〜3メートルの高さがある土塁が残っていた。
 「土塁(どるい) 由佐城をしめす唯一のものにこの土塁がある。「土塁」とは、外敵を防ぐためにつくられた土で築いた「とりで」のことをいう。埋蔵文化財発掘調査によると、屋島寺11mの盛り土状であり、土層中から中世のものと思われる須恵器の体部片が出土し、上層には、地山の茶黄色粘土質と暗灰色粘質の版築層が認められている。」※看板より。 
「探訪香南:香南歴史民俗郷土館」
 「香南歴史民俗郷土館」の1階ロビーには、真っ赤な顔、そして黒々とした髪の毛の「大獅子」がケースに入れて展示されていた。
 「大獅子 大獅子は雌雄二体が県の文化財に指定されています。ひとつは天保年間(1830〜44)に由佐・大溝の氏子を獅子組として造り、冠纓神社へ奉納したものでする「由佐古川の大獅子」といわれているのがこの獅子です。
 もう一体の大獅子は、明治中期(1891〜1903)に当時の池西村長・松本武次郎の援助によって池内の氏子を獅子組として造られましたが、大正4年に当時の村長・妹尾彦六によって、さらに大きく造り替えられました。」※説明文より。
 郷土館にいるのは、「夫婦獅子」のうちの「メス」だそうです。
「探訪香南:中山城山墓所」
 由佐城跡(香南歴史民俗郷土館)から西に行った所に、「中山城山墓所」があった。
 「城山は宝暦13年(1763年)香南町横井、医師中山玄柳の家に生まれる。幼名を才八、城山はその号である。藤川東園を師として医術、漢学を学ぶ。後に家を弟元義にゆずって、儒学の道に専念し、全讃史など多数の書物を著した。天保8年(1837年)75歳で没した。昭和51年9月 香南町教育委員会」看板より

「探訪香南:中山城山墓所」
 今に残る香川県の歴史書の「全讃史」を完成させた「中山城山」の墓所には、中山家一族のお墓があった。
 中央のお墓が「中山城山」のお墓で、左は息子さんの中山鼇山(ごうざん)のお墓であるとの説明をいただいた。
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2015年02月26日

「ふるさと探訪で香南町へB」


[ 08:21 ][ まち・生活・学校:まちなみ・おすすめスポット ][ Gウォーク・里山 ]
「探訪香南:天福寺仁王門」
 高松市香南町岡にある坂道を登って来て、「天福寺」の仁王門前に来ている。
 仁王門の左右にはオレンジ色と白色の鮮やかな築地壁が続いており、仁王門には珍しい石で作られた「仁王像」が左右にいらっしゃった(切り込み写真)。
 長宗我部元親によりお寺が焼かれた後、仁王門の再建が遅れたが、これは仁王がいるのに焼かれたことに責任をとって仁王さんが切腹したといい、今も右にある吽形の仁王さんには腹に傷があるという。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「探訪香南:天福寺本堂」
 高松市香南町の「天福寺」は、「美応山宝勝院天福寺」といい、天平年間(729〜749年)に行基菩薩が諸国行脚の途中この地で、五尺三寸の薬師如来立像を彫刻し一堂を建立したのが開基とされている。 
 その後に弘法大師がこの寺を真言宗の道場とされたという。
 本堂の正面には年代物の額が掲げられており、中央に薬師如来、左右に日光月光菩薩と右下に弘法大師さんと思われる姿の絵が描かれていた。
 額縁には奉納された日などが書かれていたものと思われるが、見えなくなっていた。
 この天福寺は、毎年8月21日に寺宝の虫干し会が開かれており、室町時代以降の仏画や仏像などが公開され、多くの参拝客で賑わっているという。
「探訪香南:天福寺山王権現堂」
 「天福寺」の本堂左の「山王権現堂」には、高松松平家の御用大工・左甚五郎が製作し奉納したという木造の「こま犬」が安置されていた。
 「こま犬」が安置された後、夜な夜な近隣の田畑が荒らされ、困った人が御堂を見張っていると、中からこの「こま犬」が出てきて悪さをしていたことがわかった。
 そこで住職がこま犬の頭に五寸釘を打ち付けると田畑が荒らされることはなくなったそうで、五寸釘を打たれたままの「こま犬」が祀られているといわれてのぞいて見た(切り込み写真)が、五寸釘まではよく見えなかった。
「探訪香南:天福寺の安倍晴明の墓」
 「天福寺」の境内の南側に「安倍晴明の墓」があり、もともとはお寺から離れた山間にあったといい、工事のためにお寺の境内に移されたという。
 寺に伝わる由来記に「阿部氏晴明」なる人物が寺に関係し、近くに一族の墓があると書かれ、古地図にも阿部氏堂(墓)が描かれている。(ふるさと探訪資料より)
 お墓の前には「安倍晴明の墓」と書かれた石柱が立っており、石の祠の中には丸い石が斜めに入れられていた。
「探訪香南:天福寺を後にする」
 「天福寺」の仁王門を出て、「石丸製麺」とういう会社の方へ下りていったが、天福寺のある所が相当の高さの山の上にあることが分かった。
 長く続く石段には、「女厄坂」、「男厄坂」と名付けられており、こちらが表参道だと思われた。
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2015年02月25日

「屋島に登る」


[ 09:46 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ @屋島山上 ]
「屋島寺四天門前広場にて」
 屋島山上の屋島寺四天門前で休んでいた時、元気な声が遍路道の方向から聞こえてきて、園児さんの姿が見えてきた。
 最初に到着したのが「メロンさん」の組で、近くにあるトイレに水族館までトイレが我慢できない人が8人位、我慢できる人が10人位おられた。
 後から到着した「リンゴさん」の組は、我慢できない人が1人でトイレに先生に連れられて行っていた。
 トイレを済ました園児の皆さん、水族館がある西方へと歩いて行った。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)

「屋島山上の獅子の霊厳の梅の花」
 屋島山上の三大ビューポイントの一つといわれている「獅子の霊厳」、「れいがん茶屋さん」前にある芝生広場に、一本の梅の木がある。
 いつ頃に開花したのか分からないが、たくさんの綺麗な花が咲いていた。
 向こう側には、「かわらけ」の無人販売所が見えている。
「屋島山上の県木園の梅の花」
 屋島山上の「獅子の霊厳」の近くに全国の県の木が植えられた「県木園」がある。
 茨城県の県木の「梅」、白く真ん丸に膨らんだ蕾が、ところどころに大きく開いているのが見え、開花の時期を迎えていた。
 周囲にある他県の木が立て込んでおり、余り環境はよくないと思われるが、例年なく蕾が多く付いていた。
「屋嶋城の工事」
 古代山城の「屋嶋城」の城門と城壁の復元工事が進められている所に寄ってみた。
 「屋島南嶺」の遊歩道が三叉路になっている所から、木の間をちょっと下るとロープが張られた所から工事現場を見ることが出来た。
 工事現場へ下りる道には、「屋嶋城跡城門保存整備工事 屋嶋城跡城門の石垣をなおしています 平成27年3月13日まで」と書かれた看板が建てられていた。
 23日のNHKの夕方の番組で、城門の排水溝の構造が判明し、この排水溝も復元されるという放送があった。
「屋島の遍路道」
 屋島の遍路道を下っている時、顔見知りの方が「せこ」そう(苦しそう)に登ってきて、バスに乗ってきたのか問われ、そうですと答えると「手抜き登山だな」と言われてしまった。
 手術した腰が早く完治しないものかと思っている。
 屋島遍路道にある「加持水」の石のベンチに手袋を忘れていた人がいたが、ここまで手袋をして登ってきて休憩した時に手袋を脱いだまま、暖かい気候に手袋の存在を忘れて登って行かれたのでないかという気がした。
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2015年02月24日

「ふるさと探訪で香南へA」


[ 09:11 ][ まち・生活・学校:まちなみ・おすすめスポット ][ Gウォーク・里山 ]
「探訪香南:冠纓神社安倍晴明神社」
 冠纓神社の拝殿の右手に「安倍晴明神社」があった。
 「安倍晴明神社 陰陽師で有名な安倍晴明が当神社で神主をしていたという伝承があります。安倍晴明は大日本史料「讃岐国大日記」や「讃陽簪筆録」では讃岐国香東郡井原庄生まれ、「西讃府志」では香川郡由佐生まれとされています。当神社近くには安倍晴明の住居跡、お墓といわれている史跡があります。」※看板より。
 「安倍晴明」の出生地として他県にも名前が上がっている所があるという。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「探訪香南:冠纓神社御神木」
冠纓神社には、クス・モミ・スギの大木が多く、社叢が香川県自然記念物(植物)になっているという。
 境内に、ひときわ背の高い御神木がある。
 「かむたま龍樟樹 この聖なる丘、かむろの丘に壱にして巨なる樟樹あり。そのはじめ神気・塊て壱と成り、三股に分かれうねりつつ、くねりつつ立ち昇れる樹姿は、ときに将に昇天せんとする龍の如し。因みて、龍樟樹と称す。昔よりこれを拝する者、皆悉く立身出世し、勝利し、運を開くと言う。仍って、人皆これを御神木と称し、謹しみて敬い尊ぶ。」※看板より。
「探訪香南:冠纓神社筆塚」
 「冠纓神社」の門から南に来た所に、「筆塚」と刻された石碑があった。
 「筆塚」は、高さ約2メートル、横1.5メートルで、同神社で行われている「冠山書道塾」が平成13年1月に建立し、使い終わった筆への感謝の気持ちと書道の上達を願って筆供養が行われているという。
「探訪香南:丸岡家の長屋門」
 「冠纓神社」から南に向かい東に行った所に、白い壁の丸岡家の「長屋門」が残されている。
 昔から丸岡家は、このあたり岡村という地域の庄屋さんをされている家で、明治に入っても戸長、由佐村の助役、由佐村村会議員を務めていたという。
 江戸時代の丸岡家の庄屋時代の文書が残されており、五色台にある「瀬戸内海歴史民俗資料館」に収蔵されている。
「探訪香南:丸岡原の燈籠」
 「丸岡家」から南に行った所の「丸岡原」に古い燈籠があった。
 高さが3.96メートルもあり、頭でっかちの不安定のような姿であった。
 燈籠の裏に「明治4年9月(1871年)」に献燈、岡村氏子中と刻まれており、冠纓神社の岡村氏子たちに寄進されたという。
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2015年02月23日

「ふるさと探訪で香南町へ@」


[ 06:43 ][ まち・生活・学校:まちなみ・おすすめスポット ][ Gウォーク・里山 ]
「探訪香南:高松市香南支所」
 高松市香南町由佐の「高松市香南支所(香南コミニュティセンター)前」に9時30分まで集合し、平成26年1月の「ふるさと探訪香南町」に参加した。
 旧香川郡香南町があった所か、広々としており建物も大きかった。
 毎月の参加者は100人前後であるが、高松市中心部から離れた所であるのに、地元の人が参加されたのか参加者が140人程度と大勢の人が集まっていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「探訪香南:冠纓神社裏参道を行く」
 高松市香南支所から南に行くと、ほど近いところに緑の森の「冠纓神社」があり、西側にある「高松空港」へ通じる道路の裏参道から境内に入った。
 立派な鳥居さんをくぐり、左側に銅像がある所で、講師の香南歴史民俗郷土館の杉山有美さんから御説明があった。
 銅像の主は「友安三冬(ともやすみふね)」で、天明8年(1788)冠尾八幡宮の神官の子として生まれ、学問を好み菊地高洲について漢学、国学を学び、文政7年高松藩主松平頼恕(よりひろ)の侍講となり指導に当たったという。
「探訪香南:冠纓神社の神門」
 高松市香南町由佐にある「冠纓神社(かんえいじんじゃ)」は、別名を「かむろ八幡宮」といい、香南町の氏神として親しまれ、縁結び神社としても知られる。
 祭神は、帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと)、品陀和気命(ほだわけのみこと)、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)であるという。
「探訪香南:冠纓神社拝殿」
 「冠纓神社」は、861年(貞観3年)に智証大師円珍により創建され、1357年に細川頼之が厚く保護・尊崇し、石清水八幡宮(京都市)の冠纓を奉納したことから冠尾(かむりお、またはかむろ)八幡宮と呼ばれるようになり、後に冠纓神社になったという。
 なお、冠纓(かんえい)とは、冠(かんむり)の後ろに垂れている紐のことだそうである。
 冠纓神社には、昭和58年6月6日に重要文化財として指定された「萬葉集」があり、崇徳天皇の時代(1124)に全二十巻を書き写したものの一部が所蔵されているという。
「探訪香南:冠纓神社拝殿内」
 「冠纓神社」の拝殿にてお参りし、拝殿の写真を撮らせていただいた。
 心をこめて参拝しましょうと「参拝方法」として、「二拝 二拍手 一拝」、「唱え言葉 祓え給え 清めたまえ 守り給え 幸え給え」と書かれていた。
 拝殿左右には、怖そうな獅子の姿をされている狛犬がお座りになっていた。
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2015年02月22日

「花いろいろ」


[ 07:08 ][ 自然・環境:動物・植物・魚 ][ F栗林公園・玉藻公園・中央公園 ]
「天守台前の梅の花」
 パソコンでブログの文章を作成するのに「ビスタ」を使っているが、「eとぴあ・かがわ」の地図トモへ投稿する際に調子が悪くなり、「eとぴあ・かがわ」を訪問し、色々とお世話になりました。
 「eとぴあ・かがわ」からの帰りに「玉藻公園」に寄り「天守台」の手前にある梅の咲き具合を見てきた。
 天守台石段の手前には多くの梅の木が植えられ梅林のようになっており、ピンクの梅の花が綺麗に咲いていた。
 天守台には、観光客が5〜6人上られて見晴らしのよい眺望を楽しまれておられたようである。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「大宮八幡横の梅の花」
 栗林公園の梅の標準木は、5輪の花が咲くと開花宣言が出されるらしいが、高松市屋島中町の大宮八幡神社横にある果樹園の梅の花、数えてみると丁度5輪が咲いているようであった。
 これから次々と開花し、花盛りとなると横の道を通る時に良い香りを放つようになるのである。
「屋島寺の梅の花」
 屋島寺の御成門付近の梅の花、以前に比べると樹齢を重ねて花数が少なくなったように思われるが、咲いていた。
 ここから屋島山上を西に行った所にある「県木園」、茨城県水戸市は梅が有名であるが、県木園にある梅の木はまだまだ蕾が固いようであった。
「サクラソウの花」
 我が家のサクラソウの花が、白い蕾が付いた茎を伸ばして、花が咲き出していた。
 毎年、種ができるまでおいて沢山の種を採り、秋にプランターに種を播いて育てている。
 もう何年も採った種を使っているためなのか、ピンク色が薄くなってきたように感じる。
「食用の菜の花」
 花が食用になる菜の花の種を買ってきて、こちらも何年も種を採ってプランターで育てている。
 今頃が花の咲き始める時期で、たくさんあるぶつぶつの蕾の外側から、順に内側へと咲いている。
 食用ということで、花を折っていたら夕食のおかずになっていた。
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2015年02月21日

「地方自治法記念500円コイン:香川・石川・埼玉」


[ 08:01 ][ 文化・伝統:若者文化・その他 ][ Mその他 ]
「500円記念コイン:香川県」
 1月21日、金融機関で地方自治法施行60周年記念貨幣のうち、香川県、石川県、埼玉県にかかる五百円記念コインの両替があった。
 そのうち香川県の記念コインは、金刀比羅宮から望む讃岐平野をデザインしたものであった。
 金刀比羅宮は、古くから「さぬきのこんぴらさん」として親しまれ、海の守護神として知られ、全国から年間約三百万人が訪れている。
 本宮まで785段、奥社まで1368段もある石段沿いには由緒ある建造物が点在し、本殿横の展望台からは、緑豊かな讃岐平野を眺めることができる。(財務省ホームページを参照)
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「500円記念コイン:石川県」
 石川県にかかる「500円記念コイン」の表面には、「木場潟」からみた白山とキリコ祭りがデザインされている。
 石川県と岐阜県にまたがる白山は、富士山、立山に並ぶ日本三名山の一つで、豊富な高山植物や日本有数のブナ原生林、多様な動物など豊かな自然環境を有し、1962 年(昭和37 年)に国立公園に指定された。 中でも木場潟から望む白山は、自然豊かな潟の湖面と調和して本県を代表する美しい眺望景観を形成している。
 また「キリコ祭り」は、能登半島の祭りでキリコとは、直方体の大行灯を大きな枠にすえたもので、祭りの際には囃子に合わせ大人数で威勢よく担ぎまわる。(財務省ホームページを参照)
「500円記念コイン:埼玉県」
 埼玉県にかかる「500円記念コイン」の表面には、「埼玉スタジアム2002」と四人の「サッカー選手」がデザインされている。
 日本最大のサッカー専用スタジアム(観客席数63,700)の「埼玉スタジアム2002」は、2002年(平成14年)にワールドカップ日韓大会準決勝戦の会場になったほか、サッカー日本代表やJリーグの試合が数多く開催されている。
 このスタジアムは東北縦貫自動車道の横にあり、岩手県へバスツアー行ったときに見たことがあった。
「500円記念コイン:裏面」
 写真は、500円記念コインの裏面で、地方自治の文字と古銭のイメージがデザインされ、都道府県共通となっている。
 また、周囲には「地方自治 500YEN 平成26年 JAPAN 47 PREFECYURES COIN PROGRAM」という浮き出しの文字があった。

「高松港の高潮対策工事」
 高松港の南の岸に小さなお城の櫓のような建物が、時間を告げる時報鐘である。
 この周辺に桜の木が植えられており、桜の花の開花時にはいろいろな花が楽しませてくれた。
 今は、高潮対策の工事のために植えられていた木々が撤去されているが、工事完了の暁には、元通りに桜が楽しめるようになるのだろうか。
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2015年02月20日

「高松城鉄砲隊初打ち披露」


[ 09:07 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ F栗林公園・玉藻公園・中央公園 ]
「高松城鉄砲隊初打ち:鉄砲隊の入場」
 「高松城鉄砲隊の初打ち」があるというので、1月18日午前10時半前に高松市玉藻町の「玉藻公園」の桜の馬場に来ている。
 「桜の馬場」はその名のとおりの多くの「桜」が植えられており、春ともなるとお花見にくる人で賑わう名所である。
 「高松城鉄砲隊」の大きな幟を先頭に、触れ太鼓の音に合して甲冑姿の鉄砲隊の皆様が「桜の馬場」に入場してきた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「高松城鉄砲隊初打ち:つるべ打ち」
 この鉄砲隊は平成20年に丸亀城鉄砲隊として発足し、高松城鉄砲隊は丸亀城鉄砲隊と兼務して平成25年5月に玉藻公園でデビューしており、この時に初めて見物した。
 玉藻公園で見るのは二回目であるが、仏生山公園でも見たことがある。
 井戸の釣瓶から名がついたという「つるべ打ち」、10人の隊員の向う側の隊員から打ってこちら側に向かって順番に打っており、煙の色で打たれた時刻が分かる。
「高松城鉄砲隊初打ち:馬上筒の演武」
 鉄砲隊は「讃州久米流古式砲術保存会 丸亀城鉄砲隊」といい、ホームページには基本的な演武が紹介されていた。
 写真は小筒を使った「馬上筒の演武」で、「与力以上の侍が馬上から片手で射撃していた短い火縄銃の演武です。」とあった。
 短いながら「ズドーン」という音は大きく、煙も立ち込めていた。
「高松城鉄砲隊初打ち:三段射法」 
 鉄砲隊員さんが前から三人、三人、四人と並び「3列に隊を編成して順繰りに射撃する方法です。玉込めから射撃までに約1分20秒かかりますが、この射法だと約40秒間隔で射撃が可能になります。」(ホームページより)
「高松城鉄砲隊初打ち:鉄砲隊との触れ合い」
 玉藻公園で今年の初打ちとなる演武が終わると、隊員さんと子供たちや家族連れが親しく触れ合っておられた。
 子供たちは昔の鉄砲を手に持たしていただき、その重さに吃驚されていたようであり、気軽に隊員さんと記念撮影に応じてもらっていた。
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2015年02月19日

「高松市内で」


[ 08:25 ][ まち・生活・学校:まちなみ・おすすめスポット ][ I高松市内 ]
「JR屋島駅西の踏切」
 JR高徳線と、新田街道が交差する屋島駅西に「前田踏切」がある。
 このあたり「前田」という地名もなく、何でこの名前なのか分からない。
 最近、この踏切で工事を行っていただいたようで、道路幅と踏切の幅が同じ広さになっていた。
 昔、勤めていた時には南に向かう車があると車をやり過ごして待っていたが、何とか通れるようになった。
 地元の小学生も踏切を渡り、駅の方向に曲がっていった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)

「高松ふれあいの店」
 障害者手作りのお菓子など販売と四国新聞に掲載されていたのを見て、高松市役所1階市民ホールへ行った。
 たくさんの市民や昼休みであったので市職員らしい人が、いろんな物を買われていた。
 何を買おうかと迷ったが、「東雲会」で売られていた「湯呑(切り込み写真)」と「どんぐり山作業所」の「どんぐり山卵せんべい」を買って帰った。
 売り場近くで車いすに乗られた方から「ありがとうございました」と挨拶された。
「琴電高松築港駅の梅の花」
 琴電高松築港駅の入口付近に、梅の木がただ一本植えられており、花がびっしりと付いていた。
 このあたり、ホテルや琴電本社などが昔あって賑わっていた所で、いまは駅の他には公園が続いて出来ている。
 前面の道は中央通りで、小学生らしい団体が高松駅方面に歩いて行っていた。

「高松東港と屋島」
 久しぶりに高松港まで来ると、東方面にある「屋島」の山の北嶺から南嶺を一望出来、中央のくぼんだ所が南北の分かれ際であった。
 屋島の手前にある長い岸壁は、「高松東港」でコンテナーを高く積み込んだ貨物船が入港してきたところである。
 右方にクレーンが林立している所が、「四国ドック」の造船所であった。
「造船所と屋島」
 高松港の岸壁をぐるりと回り、岡山行きのフェリーが出ていた「国道フェリー」の近くに来た。
 造船所の四国ドックに近づき、停泊している船が大きく見えてきた。
 船首に「NEW JOUNEY」と書かれており、新造された船なのだろうか。
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2015年02月18日

「高松城地久櫓見学会A」


[ 09:18 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ F栗林公園・玉藻公園・中央公園 ]
「高松城石割体験:下方で教室が開かれる」
1月17日の「高松城地久櫓」の見学中、本日は「桜の馬場」で申し込みされた方の「親子文化財教室」が同時開催されており、見学は出来ますという説明があった。
 「高松城地久櫓」の見学が終わり、天守台へ上る石垣の途中で見ると、西方に2〜30人が集まっているのが見えていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「高松城石割体験:埋め立てた堀で」
 高松城の天主台の石垣の積み直し工事のため、堀が埋め立てられており、現在は「地久櫓」の積み直しのために埋立地にクレーン車が入っており、解体された石が並べられていた。
 埋立地に入って行くと、「文化財教室」では「800KG」と表示されている大岩(左上の切り込み写真)を台に乗せ、丸太の上で滑らせて子供たちが引っ張るということが行われていた。
 子供たちの力で動かせることが確認されていた。
「高松城石割体験:石割体験」
続いて大きな「庵治石」を割る体験が行われ、石の表面にあらかじめドリルで穴を開けて、そこにくさび状の道具の「セリ矢」を差し込んでハンマーで叩いて割る石割体験が行われた。
 子供たちの力からでも、数回打つと亀裂が走り石は二つに割れていた。
「高松城石割体験:割れた石にサインを書く」
 石割り体験をヘルメット姿の数人の子供たちがしており、見事二つに割り、割れた石に自分の名前を隅で書いていた。
 この石は、積み直されている「地久櫓」の石として使用されるといい、永久にその名前が石垣の中に残されるという。
「高松城新春書初め展」
 玉藻公園の披雲閣の「蘇鉄の間」で、「高松城新春書初め展」が開かれていたので、見に行った。
 「高松城」と書いた作品の他、216枚という多くの作品が展示されていた。
 この作品は、1月2日に披雲閣で行われた「第4回高松城新春書初め大会」において書かれたものであった。
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2015年02月17日

「高松城跡地久櫓台石垣修理工事見学会@」


[ 10:11 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ F栗林公園・玉藻公園・中央公園 ]
「高松城地久櫓跡:見学会受付」
 1月17日、高松城跡石垣修理工事見学会があり、玉藻公園二の丸(西門入場後すぐ)に集合した。
 まもなく完成するという「地久櫓台(ちきゅうやぐらだい)石垣」を見学するもので、大勢の歴史ファンなどが集まってきていた。
 玉藻公園の西入口の横では、3月31日までの予定で「公衆便所新設工事」が行われていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)

「高松城地久櫓跡:見学待ち」
 高松城地久櫓見学会は、午前10時になって屋根のある「鞘橋」を渡り「地久櫓跡」がある「本丸跡」に来た。
 ここからパネルで仕切られた「地久櫓跡石垣工事」が行われている場所が狭いため、受付番号が35番までの人が中に入り、見学できることになった。
 次の番が来るまで時間があったので、積み直された天守閣跡に登り、お城の周りを眺めていた。
「高松城地久櫓跡:見学台」
 「高松城地久櫓跡」の第一陣の見学が終わり、第二陣がパネルにある扉から中に入った。
 中には、仮設の階段を設けた見学台があり、その前で先に「地久櫓」について、高松市職員から説明を受けた。
 この櫓の石垣の痛みがひどくなり、平成11年から15年に石垣が解体され、琴電の立体交差事業に合わせ線路下も含めて復元する予定だったが、交差事業が中止されて平成24年から「地久櫓」の部分のみを復元することになった。
 石垣に使われている大きな石には番号が付けられており、解体前にあった場所に概ね積まれているという。
「高松城地久櫓跡:地下室(穴蔵)」
 高松市職員より説明を聞き、実際に「高松城地久櫓」の石垣を積んでいる現場を見せていただいた。
 櫓の中央には、調査で発見された地下室(穴蔵)があり見ることができたが、残念ながら見学台が低かったため上辺だけが見え、中の様子を見ることが出来なかった。
 石垣工事は最後の追い込みにかかっており、地上から大小の石をモッコに入れてクレーンで吊るし、所定の位置に下ろし積み直しが進められていた。
 この地下室(穴蔵)は何時になるか分からない櫓の再建工事が行われるまで埋め戻されて、当分の間は見えない状態になるとのことであった。
「高松城地久櫓跡:琴電築港駅に隣接」
 「高松城地久櫓跡」には、明治の初め頃まで屋根が瓦ぶきの黒壁二層の建物が建っていたという。
 「高松城地久櫓跡」の見学台から、西の方向を見るとすぐ際に「琴電高松築港駅」のホームが見えていた。
 昭和23年に地久櫓台西側に、琴電の高松築港駅―片原町駅間に軌道が敷設され、開業されたという。
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2015年02月16日

「大宮八幡神社祈年祭」


[ 19:08 ][ 歴史・文学:神社・仏閣 ][ B屋島周辺 ]
「大宮八幡神社:祈年祭」
 2月11日は建国記念日の祝日、高松市屋島中町の「大宮八幡神社」の鳥居さんの横に、「祈年祭」があるという掲示があった。
 この日は、青空が広がりとても暖かい気候であった。
 祈年祭は、今年の五穀豊穣を願い、国家安泰、国民の幸福を願うという祭りであるという。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「大宮八幡神社:神職さんと地区総代さん」
 石段の中ほどにある社務所から、随身門をくぐり拝殿に続く石段を上ってきた宮司さんたちは、拝殿前で手を清められていた。
 

「大宮八幡神社:拝殿で祈念祭」
 大宮八幡神社の朱塗りが鮮やかな拝殿に、宮司さんたちが入ると、ちょっと寒さを感じられたのか扉が閉められた。
 外からは祈年祭の神事の様子が分からないので、お参りして帰ってきた。
「大宮八幡神社:本殿横の梅の花」
 大宮八幡神社の拝殿左に境内末社の「天満宮」があり、赤い梅の花が咲いていた。
 背後の建物は大宮八幡神社の本殿であった。
「大宮八幡神社:西の空」
 大宮八幡神社は屋島南麓の高台にあり、西の方向を見ると高松港をはじめ高松の町が広い範囲に見えていた。
 ぽっかり浮かんだ白い雲の近くに、突然に「トンビ(矢印)」が現れ、羽をバタバタさせることなくスイスイと舞い上がっていった。
 切り込み写真は、「トンビ」をズームで撮ったものである。
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2015年02月15日
「栗林公園梅まつり:茶会」
 2月14日、栗林公園で「梅まつり」が開かれており、見物に行った。
 北庭園にある「北梅林」が見えるところに入ってゆくと、ピンク色に染まった梅林の姿と和服姿の女性の姿が目に入ってきた。
 赤い番傘が立てられ、茶会が催されていたので「観梅茶会」のチケットを買い求めて、梅見をしながらお菓子を食べて、抹茶を喫した。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「栗林公園梅まつり:記念撮影」
 栗林公園内には約170本の梅の木があり、南梅林と北梅林に約80本づつが別れて植えられている。
 「梅まつり」に合わして公園に入場する人が多くいて、普段は入れないが梅の花が見頃の期間中には、梅林周辺のロープ柵が外されて自由にそして間近に梅の花を観賞できるようにしてくれていた。
 団体で観梅していた皆さん、ボランティアガイドさんに記念撮影を撮ってもらっていた。
「栗林公園梅まつり:梅の花」
 梅は、中国原産のバラ科サクラ属の落葉広葉樹で、葉が出る前に花を開き、花の柄がほとんどないのが特徴で、6月ごろに果実が熟し、栗林公園では梅酒用に収穫されている。(看板より)
 栗林公園内の梅の花が、北梅林と南梅林合わして80本以上開花した時点で「見ごろ」と案内しており、今年は2月12日頃に見ごろとなったという。
 この日は、日が差してくると暖かく観梅日和であった。
「栗林公園梅まつり:標準木」
 栗林公園の北梅林の中に、「梅の開花標本木」があり、例年は1月20日頃が開花日だそうで、今年は一本の木に5輪が咲いた2月1日が開花日だったそうである。
 梅林のピンク色の梅の花は、半分以上の蕾が開いていた木があったが、この標準木まだまだ花数が少なかった。

「栗林公園梅まつり:梅見物の松姫さん」
 この日は土曜日で、11時から讃岐民芸館前で「うどん県おいでまいキャラバン隊」の平賀源内さんと松姫さんの演舞が行われていた。
 演舞が終わった頃合いに、北梅林に姿を現した平成の世に甦った源内さんと松姫さんのお二人、松姫さんは梅の花を眺めデジカメで綺麗に咲いた梅の花を写していた。

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2015年02月14日

「大宮八幡神社節分祭A」


[ 07:44 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ C神社・仏閣 ]
「大宮八幡節分祭:豆まき始まる」
 2月1日、高松市屋島中町の「大宮八幡神社」の節分祭の豆まきは、総代会会長さんの挨拶や来賓の挨拶の後、宮司さんの「福はうち、鬼は外」という発声を合図に豆まきが開始された。
 大勢集まった参拝客、こちらへ放ってというように両手を広げて福が飛んでくるのを待っていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「大宮八幡節分祭:豆まき」
 大宮八幡の豆まき、投げる人によってはバケツを櫓の下にそのまま傾けてばら撒いておられる人もいて、櫓のすぐ前に陣取る子どもさんが急いで腰を傾けて、たくさん拾われていたようであった。
 中ほどいたが、飛んできた獲物との距離感がなかなか合わずに、前に落ちたり後ろにそらしたりしてなかなか捕まえることが出来なかった。

「大宮八幡節分祭:最後のバケツ」
 大宮八幡神社の豆まき、最後の撒いていた人が空のバケツをそろりと投げられていたが、他の人から投げられたバケツを、ナイスキャッチする人が見受けられた。
 豆まきが終わり周囲を見回すと、バケツを持った人、たくさんの福を授かった人、袋の中に少ししか入っていない方など、様々のようであった。


「大宮八幡節分祭:景品交換所」
 大宮八幡神社の豆まきが終わり、石段下に大勢の人が集まっていた。
 これは何かと思いきや、「飲み物」や「大きな物」で、櫓の上から投げるには危ないものを「木札」に替えて投げていたもので、この交換所になっていた。
 「お酒」や「ジュース」や「うどん」などがあったみたいで、たくさん投げたのか列がなかなか途切れなかったようである。
「大宮八幡節分祭:福」
 私が受け取った「福」で、まずまず満足するものであった。
 「福豆」二袋、餅二個、軍手二足、パン一個、その他お菓子の類であった。
 福豆の一袋には、さらに二袋に小分けして入っており、さっそく家に帰って食べたが、年の数だけはとても足りなかった。
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2015年02月13日

「大宮八幡神社節分祭@」


[ 08:13 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ C神社・仏閣 ]
「大宮八幡節分祭:境内」
 2月1日(日)、高松市屋島中町の「大宮八幡神社」で節分祭が行われた。
 神社の掲示板や回覧板で周知され、年男・年女、厄年生まれの男女など豆まきする希望者が募られていた。
 「御守所」の壁には、大宮八幡神社節分祭祈祷者名として44名の名前が貼り出されていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)

「大宮八幡節分祭:拝殿」
 大宮八幡神社節分祭ということで拝殿にて参拝する人が多くいて、厄除け神事が始まる11時前になると、続々と社務所から福男・福女の皆様が拝殿へと移られていた。
 この日は曇り空であったが、豆まきが行われる頃には、綺麗に晴れ渡っていた。
「大宮八幡節分祭:神事」
 大宮八幡神社の節分祭、11時から拝殿で厄除け神事が厳かに行われており、お祓いや祝詞奏上などが行われているところであった。
 福男の皆さまは、揃いの紫の法被を召しておられたが、背中にある紋章は「大宮八幡神社」をあらわしているものか天井から下がっている紋と同じの様であった。

「大宮八幡節分祭:三味線の奉納」
 厄除け神事の途中であったが、豆まき会場となる広場で賑やかな音がしたので、拝殿前から下りてきた。
 11時15分から「三味線奉納」が行われており、「讃州三弦会」の皆さまの演奏が行われていた。
「大宮八幡節分祭:福男が櫓の上に上がる」
 大宮八幡神社の節分祭の「三味線奉納」が終わり、神事を終えて下りてきた宮司さんや福男の皆様が姿を現した。
 この後二班に分かれ、まず最初の班の福男さんの皆様が、宮司さんから豆まき用のバケツを受け取り、幕が張られた櫓の上に上っていった。
 そこで、段ボールに入れてある豆まきに用いられる福豆などをバケツ一杯に入れて(右上の切り込み写真)、準備完了となった。
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2015年02月12日

「高松市消防出初式C」


[ 08:34 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ I高松市内 ]
「高松市消防出初式:ヘリコプターの飛来」
 高松市消防出初式が行われたサンメッセ香川の臨時駐車場、消防団員や消防車両の行進が終わった頃合いに、東の空から香川県防災ヘリコプターの「Olive-U」が飛来した。
 よく見ると、ヘリコプターの扉が開いており、消防隊員が身を乗り出して防災メッセージを、出初式会場の団員や見物客に向けてマイクで放送されていた。
 上空で2回旋回し、カーブして曲がるときは機体を大きく傾けており、感動的であった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「高松市消防出初式:一斉放水訓練」
 出初式もクライマックスを迎え、会場の臨時駐車場の南に東西に並んだ消防車など10台から、号令を合図に一斉放水が始まった。
 黄色い高さ1メートル位の丸いチューブの容器に溜められた水に給水管を突っ込み、放水管で放水した。
 容器に用意された水量が限られており、短時間で放水が終了した。
「高松市消防出初式:一斉放水訓練」
 消防車両から一斉に放水すると、前方に見えていた「由良山」が見えなくなるほどであった。
 また「はしご車」の伸ばした梯子に消防士が乗り、高所から放水しており、その辺りは水煙で全く見えない状況になっていた。
 はしご車の高さは約30メートルもあるといい、その高さから眺めれば瀬戸内海も見渡せるのでないかと思われた。
「高松市消防出初式:放水訓練」
 消防車が目の前を行進してきた時、高松市消防分団の「古高松分団3部」の車両を見つけた。
 「古高松分団3部」は高松市春日町にある分団で、住んでいる所から近いことから放水が終了するまで関心を持って見守っていた。
「高松市消防出初式:終了」
 消防出初式の終りにあたり、南側に臨時に設けられた掲揚台に掲揚していた「国旗の降納」が行われた。
 最後に観閲台に立つ高松市長さんの音頭で「万歳三唱」が行われ、約1500名が参加した出初式を締めくくった。
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2015年02月11日

「高松市消防出初式B」


[ 08:06 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ I高松市内 ]
「高松市消防出初式:トランペット隊の演奏」
 「臨時駐車場」では、分列行進が始まる前に、高松市消防団のラッパ隊の演奏が披露された。
 平成20年9月に結成されたというトランペットを持った12人の隊員さん、出初式の式典においても演奏されていたが、ここの広い臨時駐車場に響き渡るように大きな音で全10曲が演奏された。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「高松市消防出初式:自主防火組織の行進」
 子供さんが乗った小さな消防車の「消防局ちびっこ号」を先頭に、徒歩による分列行進が始まった。
 消防音楽隊による演奏に合して楽しそうな子供たちが、行進してきた。
「高松市消防出初式:徒歩分列行進」
 続いて保育園児で組織する「幼年消防クラブ」、小中学生で構成する「少年消防クラブ」、「女性防火クラブ」などの皆様が、整然と行進してきた。
 写真左下の写真の団旗を持つ人は、吹いていた強い風に悩まされており、団旗を持つ手は上下左右に大きく揺れていた。
 特に女性団員が持つ手には、かなり苦労されている様子が窺えた。

「高松市消防出初式:徒歩分列行進」
 消防出初式の徒歩分列行進は、高松市自主防災組織、高松市消防団員、最後に消防職員が行進して終わった。
 消防職員の中には、東日本大震災の時に救助、捜索活動に派遣されたという緊急消防援助隊が含まれているという。
 行進する家族がいるようで、観客席から大きな拍手が聞こえてきた。
「高松市消防出初式:車両分列行進」
 消防団員などの行進が終わり、続いて消防車両が一列になってゆっくりと走ってきた。
 「指令車」、「はしご車」、「水槽車」、「支援車」、「電源照明車」、「救助捜索車」、「化学消防車」、「タンク車」、「救急車」、「消防団の消防車」など「車両展示コーナー」で見学されていた車両など、約60台が車両分列行進で続いていた。
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2015年02月10日

「高松市消防出初式A」


[ 15:30 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ I高松市内 ]
「高松市消防出初式:出初式」
 「平成27年高松市消防出初式」がサンメッセ香川の大展示場で、午前9時30分より開かれており、会場に静かに入って行って見学させていただいた。
 会場正面に「祝 高松市消防出初式」の隣に「助け合い みんなで築こう 防災の絆」と「文化の風かおり 光かがやく 瀬戸の都・高松」の標語の垂れ幕が下がっていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「高松市消防出初式:国旗掲揚」
 司会者の「気お付け」という声があり、ファンファーレがなり「開式の辞」があった。
 続いて、参加者が右に向いて国歌が演奏される中、右壁に設置された掲揚台に、国旗が掲揚された。
 続いて後ろからは良く見えなかったが、「市長観閲」では、音楽が演奏され高松市長さんが、たくさん並んだ団員・隊員さんの前を「謁団」されておられた。
「高松市消防出初式:高松市長式辞」
 続いて「市長式辞」があり、高松市長さんから式辞があった。
 阪神淡路大震災から20年、この教訓を生かしさまざまな防災対策が重要で、南海トラフ地震も考えられ、消防団などの組織強化を進めていくなどとのご挨拶があった。
 高松市長さん、制服がよくお似合いのようであった。


「高松市消防出初式:市長表彰」
 続いて高松市長さんが登壇しての「高松市長表彰」が行われた。
 表彰者名簿によると総勢47人で、古高松分団から2人、屋島分団から2人が表彰された。
 続いて高松市消防局長表彰が行われ、表彰者名簿によると8人が受賞し、高松市消防団長表彰の「精勤章」で215人(うち古高松分団10人、屋島分団10人)、「功労章」で57人、「精積章」で34人、「功績章」で5人が受賞されていた。
「高松市消防出初式:大きな会場に大人数が整列」
 このサンメッセ香川の大展示場は、各種のイベントが開かれている所で、左に来賓席が見えており、消防隊員や消防団員さんがずらりと会場一杯に並んでいた。
 表彰式が終わると「来賓祝辞」などがあり、この後式が終わり「臨時駐車場」へ全員が移動した。
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2015年02月09日

「あちらこちらの色々」


[ 20:04 ][ まち・生活・学校:まちなみ・おすすめスポット ][ I高松市内 ]
「古高松コミニュティセンターに雛飾り」
 高松市高松町の「古高松コミニュティセンター」に雛飾りが出ているよという情報を得て、見に行った。
 図書コーナーの前に全部で7段の雛段があり、それぞれに「ひな人形」、「牛車」、「遊山箱」などが飾られていた。
 この日は雪が舞う天候であったが、季節はもう間もなく「ひな祭り」の季節を迎えるようである。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「ゆう6かがわ」
 先日、えっとぶりに投稿していた写真が、番組の中で放送された。
 腕が悪いのか、多分ではあるがカメラが悪いのでないかと思われ、久しぶりに採用され「にんまり」した日であった。
「西日本カップ高松市長杯」
 高松競輪場で2月6日に開かれた「西日本カップ高松市長杯」を見に行った。
 先着480名に入場者プレゼントがあるということを知り、10時開門時に入場した。
 この日は、「アニマルポップ ブランケット」と書いてあり、「ひざ掛け」だそうであるが顔が可愛いので飾っている。
「中央公園の花壇」
 病院へ寄った帰りに、高松市中央公園を横切った折、花壇の花が植え変っているのに気付いた。
 これまでは「葉ボタン」が植えられており、まだまだ見ごろでないかと思われたが、春を前にして「ビオラ・パンジー」に一新されていた。
 まだまだ外は寒く、散策する人の姿は少なかった。
「まるかぶり」
 2月3日は「節分の日」で、安い巻きずしをスーパーで買ってきて「まるかぶり」して食べた。
 「恵方にむいて、無言で願いごとを念じながらまるかぶりをすると、その年、幸福がおとずれると言われています。」というシールが貼られていた。
 今年の恵方(その年の歳徳神のいる方向)は西南西だったそうで、テレビでも放送されていたが、毎年恵方が変わるとは知らなかった。
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2015年02月08日

「高松市消防出初式@」


[ 08:06 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ I高松市内 ]
「高松市消防出初式:写真撮影コーナー」
 1月11日、「平成27年高松市消防出初式」が、サンメッセ香川で行われるというので行った。
 臨時駐車場には、いろいろなコーナーの展示ブースのテントが設けられており、この写真撮影コーナーでは消防車と救急車からの顔出し写真や消防士の服や帽子をかぶって写真を撮るコーナーがあり、ちびっ子さんたちに大人気であった。
 その他に「防災女性チームコーナー」や「消防関連コーナー」などが並んでおり、家族連れで賑わっていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「高松市消防出初式:もちつきコーナー」
 「写真撮影コーナー」の右に「もちつきコーナー」があり、杵による餅つきを体験をすることが出来た。
 子供用の短い杵を持って一生懸命になって搗く姿が、微笑ましく感じられた。
 次にご兄弟の小さな子にどうぞと声をかけていたが、恥ずかしがってしり込みをしていたようであった。
 次々にお餅が搗き上がっていたようであった。

「高松市消防出初式:車両展示コーナー」
 展示ブースの南側の広場では、はしごを高く伸ばした「はしご車」や「電源車」がとまっていた。
 その他「救急車」、「救助車」、「支援車」がいて、たくさんの人が見学していた。
「高松市消防出初式:体験乗車コーナー」
 臨時駐車場の中央に「体験乗車コーナー」が設けられ、親子連れが消防車と救急車に乗り込みコースを一周する体験をされていた。
 多くの人たちが並んで順番を待っており、どちらかというと救急車の人気が高そうであった。

「高松市消防出初式:もちつきコーナー」
 サンメッセ香川の大展示場の出初式典を見に行っている間に、もちつきコーナーでは「ぜんざい」の配布が始まっていた。
 餅つきの段階でお一人様一杯限りの「ぜんざい引換券」を貰っていたので、列の最後に並んで戴いた(右下の切り込み写真)。
 後ろの方に並んだ人には、引換券が売り切れになっていたようで、残念そうに列から離れていっておられた。
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2015年02月07日

「自転車で屋島から町へ」


[ 07:46 ][ まち・生活・学校:まちなみ・おすすめスポット ][ I高松市内 ]
「屋島から町へ:新川に架かる新川橋」
 確定申告の時期になり確定申告書の用紙を貰いに高松市天神前にある「高松税務署」まで県道牟礼中新線を自転車で向かった。
 街中にある税務署まで行く途中に、川に架かった四つの橋を渡った。
まず最初に高松市屋島西町を流れる「新川」の「新川橋」で、堰止められた水に逆さ屋島が写っていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「屋島から町へ:春日川に架かる春日川橋」
 続いて堤防の坂道を自転車を漕いで上がった所が、高松市春日町の春日川に架かる「春日川橋」であった。
 地理的に西に来ているためなのか、「逆さ屋島」が小さくなって写っており、春日川の中央に電柱が立っている。
 手前の広い河川敷が、春日川の川市が行われる場所であった。
「屋島から町へ:詰田川に架かる詰田川橋」
 次に高松市木太町を流れる「詰田川橋」を渡った。
 下流の橋が国道11号に架かる「新詰川橋」で、県道より北に出来ている国道11号線に架かる橋の名前に「新」という言葉が付いていた。
 川の向こうには、瀬戸内海を隔てて高松市の「女木島」の山が横たわっており、上空に白い雲の塊がぽっかりと浮かんでいた。
「屋島から町へ:御坊川に架かる観光橋」
 高松市花園町を流れる御坊川の「観光橋」から大きく右にふって川が流れており、橋の上から東北東の下流を見ると、正面に屋島の姿が見えていた。
 もうちょっと下流に行くと、詰田川と合流して、左に向かい屋島湾に流れ込んでいる。
 このあたりに「うなぎ屋さん」がある所で、橋の名前は通りの名前の「観光通り」が由来しているのかどうか。
「屋島から町へ:高松税務署」
 2月4日、高松市天神前の「高松税務署(国税局)」に確定申告書の用紙を貰いにきたが、確定申告の時期を迎えて駐車場が満車となり入りきれない車が、道路に何台か並んでいた。
 国税局の建物には「ネットでらくらく申告・納税」の垂れ幕が下がっていた。
 6日、職員に尋ねながらどうにかこうにか確定申告書を提出してきた。
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2015年02月06日

「ちょっと前に多肥探訪B」


[ 08:05 ][ 歴史・文学:神社・仏閣 ][ Gウォーク・里山 ]
「探訪多肥:円成庵」
 12月21日の「ふるさと探訪」の参加者は、高松市多肥上町の円成庵(えんじょうあん)に着いた。
 植木の囲いが設けられており、境内に入ると左に大きな木があり、中央に「円成庵」が建っていた。
 お堂の右側には「老人集いの家」があった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)

「探訪多肥:円成庵」
 高松市多肥上町の「円成庵」は、文禄3年(1594)に高木城内に創建され、その後の慶長18年に堂を肥間側の西側に移したといわれている。
 このお堂は地元の人から「多肥の観音さん」と親しまれ、境内はよく整備されており、「ふるさと探訪」のためにか、お堂の側面の扉を開けてくれていた。
「探訪多肥:円成庵の木造六字立像」
 高松市多肥上町の円成庵のお堂の厨子には、昭和58年3月1日に高松市指定有形文化財の「木造六字立像(もくぞうろくじそんりつぞう)=平安時代作」が安置されており、拝観させていただいた。
 「197cmの長身像だが、左足一本で立つのが特徴。右足は後ろに跳ねている。観音が変化(へんげ)した仏さまで、六字明王とも呼ばれる。全国的にも極めて珍しい仏像である。」※高松市の文化財より。
 この像は、その昔に坂出市王越町まつられていたが、永禄年間(1558〜70)に多肥の豪族高木氏の手によって、この地に堂を建立してまつられたという。

「探訪多肥:円成庵の瓦屋根」
 高松市多肥上町の「円成庵」の境内左側にコンクリの台の上に、「鬼瓦」と丸い瓦が置いてあった。
 説明板が無く何の瓦であるか分からなかったが、隣に「御堂改修事業寄進者ご芳名」の石碑が平成18年9月に建てられていたので、ひょっとしてお堂が改修された時の古い建物の瓦が保存されているのでないかと想像した。
「探訪多肥:城の神さま」
 「多肥の観音さん」の「円成庵」を出ると、桜の木が植わっている小公園があり、「高木城跡」に向かって歩いて行った。
 住宅地の中で天正年間(1573〜1592)に「高木城」があった場所といわれたが、今はその痕跡が何も見当たらなくなっていた。
 そこから六十メートルほど北の畑地に、地元で「城の神さん」と呼ばれる小祠があり、寂れた祠のまわりに、この辺で見つかった五輪塔石が立っており、おそらくは高木城跡と関係のある遺物でないかといわれるが、詳しい説明はなされなかった。
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2015年02月05日

「ちょっと前に多肥探訪A」


[ 08:42 ][ まち・生活・学校:まちなみ・おすすめスポット ][ Gウォーク・里山 ]
「探訪多肥:平井出水」
 12月21日に「ふるさと探訪」で新しい高松南警察署の南周辺の高松市多肥を訪れている。
井戸を掘ってみて水が貯まる地下水面が高く、地表近くで湧き水となっている所が「出水」というらしい。
 ここにある「平井出水」、昔は水路や出水を浚(さら)えると水量が変わることから、水利紛争が繰り返されていたという。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「探訪多肥:平井出水」
 平井出水は、およそ長さ30m位の長さがある池のようになっており、ところどころから水が噴き出しているのが見えていた。
 綺麗な水の中には、小魚が気持ちよさそうに泳いでいた。
 多肥郷土誌によると、この平井出水は「昔は花泉出水と称す。下林村の用水。古来水浚で多肥と紛争を起こした出水」とあった。
「探訪多肥:古墳跡」
 「平井出水」を出て西に向かっている折り、こんもりした丘のような所があった。
 講師先生から昔の古墳があった所であると一言、説明があったが詳しいことは分からなかった。


「探訪多肥:波羅井出水」
 「平井出水」を出て間もなく、「波羅井出水」に着いた。
 この大きな石の間から水が出ているのか、向う側の北方向に水路が続いていた。
 この辺りは親水公園のようになっており、憩いの場になつているようであった。
「探訪多肥:波羅井出水」
 多肥郷土誌によるとこの「波羅井出水」は、「一名、栗木出水、灌田約二十八町歩、下多肥用水」とあった。
 こんな狭い所から湧く水で、広範囲の田を潤すことができたことが不思議に思われた。
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2015年02月04日

「ちょっと前に多肥探訪@」


[ 08:43 ][ 歴史・文学:神社・仏閣 ][ C神社・仏閣 ]
「探訪多肥:桜木神社の隋神門」
 平成26年12月21日の「ふるさと探訪」は、田肥周辺を訪ねるということで高松市多肥上町の「桜木神社」に集合して始まった。
 「隋神門」前で高松市歴史民族協会の会長さんの挨拶の後、本日の地元の講師先生が紹介された。
 この「隋神門」は明治9年(1876年)に上多肥、下多肥両村の氏子の寄進により建設され、明治17年になって隋神像が奉納されたという。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「探訪多肥:桜木神社の拝殿」
 「ふるさと探訪」の資料によると、「桜木神社」の祭神は「応神天皇」、「神功皇后」、「玉依姫命」で、仁和年間(885〜889)桜井権督(ごんのかみ)によって造営され、その後天文2年(1533)、西蓮寺の住僧 桜井権督の子孫である沙門長慶が乃生土佐守義照と図って復興造営を行ったという。
 境内は、清掃が綺麗に行き届いていた。
「探訪多肥:桜木神社の樹木」
 桜木神社の「隋神門」の側には、平成4年に香川県指定となった桜木神社の森(植物)の碑が建てられていた。
 社叢にはクロガネモチ、ホルトノキ、クスノキ等の照葉樹、及びエノキ、ムクノキ、ケヤキ、ハゼノキ等の大径木が多く残されており、また、境内にあるウバメガシは胸高幹囲が二百二十センチメートルもあり、県下有数の大木である。
 隋神門と拝殿の間の右側に、そのウバメガシの大きな木があった。
「探訪多肥:桜木神社の本殿」
 桜木神社のお社の右側から見た「本殿」の様子である。
 一番後ろにある緑色の屋根が本殿で、相当高い石垣の上に建物が乗っていた。
 また拝殿と本殿の間にある弊殿は、拝殿より高く本殿よりも低い位置にあった。
「探訪多肥:桜木神社東から見た東方」
 桜木神社から東に回り見える東方には、香川大学工学部の大きな建物が見えている所である。
 この地には、平成元年(1989年)に高松市香南町に移転するまで旧高松空港があった所で、終戦間近の昭和19年(1944年)に建設されたが、桜木神社の上空を通るということで滑走路が斜めに造られたといい、桜木神社の高い木の大部分が切り倒されたという。
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2015年02月03日

「四国村と屋島神社」


[ 08:42 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ D四国村 ]
「四国村に入村」
 高松市屋島中町の「四国村」で、先着100人に「節分豆のプレゼント」と、四国新聞に載っていので四国村に行った。
 四国村料金所でパスポートを見せた時に、鬼の漫画が載っている「せつぶんまめ(福豆)」をいただいた。
 早速この豆を「かずら橋」を背景にして、垣根において写真を撮ってみた。
 「2月3日は一家の主人あるいは「年男(その年の干支生まれの人)が外にむけて豆をまき、邪気を払うという節句行事があります。また、自分の数え年だけ豆を食べると病気にならず健康でいられると信じられています。」※四国村のポスターより。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「四国村の農村歌舞伎舞台」
 四国村の「農村歌舞伎舞台」前面に、大きなシートがかけられて、舞台が見えなくなっていた。
 建物東側の説明板付近に、「ひな飾りの準備中のため農村歌舞伎舞台の公開をしていません。」と張り紙がだされており、下にポスターが貼られていた(切り込み写真)。
 四国村のひな飾り 平成27年2月12日(木)〜平成27年3月22日(日)
「四国村の旧河野家住宅」
 四国村の「旧河野家住宅」前広場に来た時、屋根の上に煙が出ていたので心配して来てみると、表の開け放たれた窓から煙がもうもうと出ており、囲炉裏からかと合点した。
 囲炉裏端では、囲炉裏番の小父さんと先客の男性とが談笑されていた。
 煙の出所をよく見ると、屋根てっぺんの両側にある三角形の窓からも煙が出ていた。
「屋島神社の石段修理」
 この間から四国村の横の「屋島神社」にお参りするのに車道へお回り下さいとなっており、どうしてかなと思っていたら石段の修理が行われていた。
 石段の途中にちょっと傾いている所があったが、この石段の石を取り外して工事を行っていた。


「屋島神社の文化財防火デー」
 1月26日は文化財防火デーの日で、ここ「屋島神社」でも何か行事があるのでないかと向かった。
 何年か前に隣の「大宮八幡神社」であった防火訓練を想像していたが、10時になっても消防車は現れることはなかった。
 そこに消防署の人2人と高松市職員の方が来られ、宮司さんも加わって査察が行われていたようであった。

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2015年02月02日

「石清尾八幡のおみかん焼き」


[ 08:45 ][ 歴史・文学:神社・仏閣 ][ C神社・仏閣 ]
「石清尾八幡のおみかん焼き:参道」
 1月18日(日)に高松市民の氏神さんの「石清尾八幡宮」の「おみかん焼き」に来ている。
 参道の横にあるお店屋さんで、おみかん7個を刺した竿を300円で買って、神社に向かったが同じようにミカンがついた竿を持っている子供さんたちが沢山おられた。
 鳥居さんの向うに見える赤い車は消防車で、念のために出張ってきていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「石清尾八幡のおみかん焼き:境内」
 石清尾八幡の拝殿の石段下の右手に「おみかん焼き」の炉が設けられていた。
 消防車から繋がれている水でパンパンになったホースが、二股に分かれ、一本は「炉」の近くに、一本は拝殿前まで伸びていた。
 「お餅、みかん類、陶器、プラスティクなど、燃えない物は、お持ち帰り願います。」という張り紙があり、参拝者が持ってきた袋の中身を係りの人が確認されていた。
「石清尾八幡の:おみかん焼き」
 「石清尾八幡神宮」のおみかん焼き、炉の前に臨時に置かれた「賽銭箱」に小銭を入れ、燃え盛っていた炉の中にみかんを吊るした竿を投げ入れた。
 写真中央の火の勢いの少ない中に入れていたが、右側に入れた人のミカンは竿が燃えだして、竿から針金に刺した「みかん」が離れてしまった。
 これを見ていた消防士さんが急いで寄ってきて、他の人がヘルメットが付いた消防服を持ってきたが、炎の熱さに負けずよく焼けた「みかん」を取り出していた。
「石清尾八幡のおみかん焼き:石段上から眺める」
 石清尾八幡宮の拝殿前の石段上から見た「おみかん焼き」の風景である。
 みかんが付いた竿を持った子供たちが炉に近づこうとするが、あまりの熱さに負けて親御さんにバトンタッチしている光景が見られた。
 炉の周囲には消防士さんが待機しており、焼けたみかんの針金をペンチで切ってくれていた。
 
「石清尾八幡のおみかん焼き:拝殿」
 「石清尾八幡宮」のおみかん焼きは「庭燎祭(ていりょうさい)」ともいい、旧年中のお守り、お札などを焼納する神事で、「庭燎(ていりょう)」とは庭でたく「かがり火」のことだそうである。
 お正月飾りなどを「炉」にくべた後、拝殿でお参りする人が続いていた。
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2015年02月01日

「屋島散歩」


[ 08:32 ][ 自然・環境:動物・植物・魚 ][ @屋島山上 ]
「屋島寺の梅の花」
 屋島山上の「屋島寺」の本坊前にある梅の花がほころび始めてきた。
 なかなかの古木のようで、余り花数は多くはなかったが、綺麗な花が鼻を近づけると微かな梅の匂いがしたような気がした。
 屋島寺本坊前の「御成門」と「築地塀」の工事が進んでいるようであった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「屋島談古嶺のロウバイと大きな穴」
 屋島山上の「談古嶺(旧ホテル甚五郎前)」にある「ロウバイ」の木に黄色の花が咲いていたが、もうそろそろ花の季節を終わろうとしていた。
 ロウバイの木の下に深さが30cmはあろうかという大きな穴が空いていたが、どうも人間がスコップで掘ったようには見えなかった。
 何のためか分からないが、どうもイノシシが前足や鼻を使って掘ったのでないかと思われた。
「大宮八幡の天神さん」
 高松市屋島中町にある「大宮八幡神社」の拝殿左側の斜面に「天神さん」が鎮座している。
 1月29日、左側に回りこんだとき、鳥居さんに何やら赤い枠が取り付けられていた。
 よく考えてみると、五角形の形をしており受験シーズンを迎えて「合格」、「五角」だったのかと思った。
 手前に吊られた絵馬にも書かれているように、この合格祈願の鳥居さんをくぐり、皆さんに御利益がありますようにとお祈りした。
「屋島の寒あやめ」
 大宮八幡神社の近くに「寒あやめ」がたくさんに咲いている民家があった。
 屋島の遍路道にもあるが、今は全然咲いていないのにここでは花盛りであった。
「屋島遍路道の中学生」
 1月29日、屋島遍路道を下りていたら、登ってくる大勢の中学生に出会った。
 体操服の制服に「屋島」と書かれており、地元の中学生らしかった。
 女子生徒さんに聞いてみると、2年生だそうで総数100人か150人かだそうでした。

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