屋島のできごとさんのブログ
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屋島のできごと
徳島に生れ育ち、四国四県を渡り歩き 、現在高松市に住む。 前月等のプログを見る場合は、下のカレンダーの月の部分の青色の「く」の部分をクリックしてください。(写真は、屋島山上の談古嶺から見た初日の出:H31.1.1撮影)
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2014年10月31日

「10月終わりの屋島」


[ 07:10 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ @屋島山上 ]
「気持ちの良かった屋島山上」
 10月も終わりに近い30日は、暑くもなく寒くもない気持ちよい日となり、バスで屋島に上った。
 屋島寺にお参りし、高松市街や瀬戸内海の島々が見渡せる「獅子の霊厳」にやってきた。
 モミジの紅葉にはまだ早かったが、それでも色づき始めた木を見ると、秋だなあと思わせてくれる光景であった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「屋島山上から見た高松港」
 高松市内から屋島の山が写る写真を時々、eとぴあかがわで紹介されているが、こちらは屋島山上から見た高松港の写真である。
 ちょっと白っぽい写真になっているが、デジカメを展望台の手摺りにのせて撮ったものである。
 手前は高松東港で、神戸からのジャンボフェリーが入港して向きを変えているところであり、その左上には四国ドックの完成間近の新造船が見えていた。
「新川に架けられている橋」
 屋島山上の「獅子の霊厳」から南を見ると、新川の流れを見てとることができる。
 下流部分には4本の橋があり、河口から国道11号線の「新川大橋」、潮止堰を挟んで県道牟礼中新線に架かる「新川橋」、JR高徳線の「鉄橋」、写真の一番上にあるのが「新川南橋」である。
 JRの鉄橋付近の砂が溜まった川中にブルトーザーが入っており、河床の浚渫工事がされているようであった。
「屋島の遍路道」
 屋島のこぼれ日の遍路道を下りていた時、お遍路さんと行き違った。
 足の不自由な自分は、下りしか歩けなくしかもゆっくりであるが、お遍路さんは杖の音も軽く上って行かれていた。
 遍路道の所々には、名前は分からないがつる性の白い花が咲いていた(右上の切り込み写真)。

「秋の味覚の柿の実」
 秋まっ盛りの今頃の果実は、何といっても「柿」であり、美味しいものである。
 ところがスーパーでは1個80円以上もする高級果物で、なかなか手を出せないでいる。
 そんなところで道から柿の実がたくさん生っているのを見ると羨ましくなるが、自分ちにあると余り柿を食べないらしく、鳥の餌になる場合が見受けられる。
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2014年10月30日

「八坂神社例大祭B」


[ 08:03 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ C神社・仏閣 ]
「八坂神社例大祭:大橋通自治会の太鼓台」
 10月5日高松市屋島西町の「八坂神社」で、例大祭が始まり、広場では4地区の太鼓台が勇壮に練り歩いていた。
 「大橋通自治会」の太鼓台には、中央に4人の子供さんが乗り込み、太鼓を思いきり鳴らしていた。
 「ふとん」と言われる面に「明日へと続く思い」という震災への思いが、寄せ書きされた垂れ幕が張られていた。
 この太鼓台を担ぐ昔の仕事関係の方から「声」をかけていただき、大変に懐かしく嬉しく思った。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「八坂神社例大祭:浜北自治会の太鼓台」
 高松市屋島西町の「八坂神社」の例大祭、「浜北自治会」から太鼓台がお出ましであった。
 40人以上の大勢の担ぎ手が、合図に合わして全員が両手を差し上げ、太鼓台を「高い、高い」していた。
 この時、太い担ぎ棒の上の前後に立つ大人2人、バランスをとりながらよく踏ん張っていた。
「八坂神社例大祭:浜中自治会の太鼓台」
 高松市屋島西町の「八坂神社」の例大祭に「浜中自治会」、40人以上の担ぎ手が参加されていた。
 太鼓台に「マイク」が付いているとは知らなかったが、祭りのざわめきの中で歌がよく聞こえるようにと「マイク」を付けたのでないか、伊勢音頭などの歌が歌い手さんにより歌われており、何方も上手な歌声が響いていた。
「八坂神社例大祭:太鼓台を見守る大勢の人々」
 高松市屋島西町の「八坂神社」の広い広場に太鼓台が出て、祭りは最高潮となっていた。
 祭りを見物する人も、遠巻きにしてたくさんの人が眺めていた。
 曇り空ではあったが、雨に降られずに秋祭りが行われて良かった。

「八坂神社例大祭:神社入口の賑わい」
 例大祭が行われている高松市屋島西町の「八坂神社」の入り口の鳥居さんである。
 ここであった「夏祭り」に比べて出ていた屋台の数が2つと少なく、ちょっと寂しかっだ、これも祭りシーズンであることから仕方がないことかなと思った。
 出店していたタコ焼きやさんで買おうと思ったが、長蛇の列ができていたので諦めた。

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2014年10月29日

「八坂神社例大祭A」


[ 08:07 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ C神社・仏閣 ]
「八坂神社例大祭:拝礼」
 10月5日高松市屋島西町の「八坂神社」で、例大祭が始まっている。
 境内に集まって来た太鼓台の担ぎ手が、次々と拝殿前に集まり、参拝していた。
 リーダの音頭で「二拝二拍手一拝」の作法による「拝礼」であった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「八坂神社例大祭:獅子舞」
 八坂神社の拝殿で行われていた「氏子祭」が終わり、御輿渡御の行列に参加する人々が見守る中、拝殿前の広場で獅子舞があった。
 法被の襟に「中筋青年部」と「中央青年団」と書かれた鉦と太鼓の御囃子に乗り、2人の子どもさんを従えて2頭の獅子舞が舞を披露してくれた。
「八坂神社例大祭:御神輿の渡御」
 「獅子舞」が終わると、「渡御」の行列は、弓矢などを持った先頭は「随身門」の前まで進み(切り込み写真)、御神輿は随身門の手前で止まっていた。
 ゆっくり、ゆっくりと休みながら進む「渡御行列」、立ったまま待っている姿を見ると、相当な体力が必要でないかと思われた。

「八坂神社例大祭:屋島小学校児童の御神輿」
 屋島小学校児童の手作りの御神輿が祭りに参加するのは今年で3回目だそうであり、大人の太鼓台が休んでいる間に、「わっしょい、わっしょい」と広場中央に担ぎ出してきた。
 揃いの法被を着た子どもたち、如何にも楽しそうに声を張り上げていた。
 また、これも手作りの獅子舞いの頭を先頭にして、前がよく見えないのか白い布を被った子どもたちが先導の先生に従って歩んでいた(写真下右)。

「八坂神社例大祭:御殿自治会」
 「八坂神社」の例大祭には、4地区の太鼓台が出ており、その中で小ぶりで2人の子どもさんが乗っているのは「御殿自治会」の太鼓台であった。
 小ぶりの利点を生かして、時々「右」に「左」へと子供さんが乗ったままの太鼓台を、地上すれすれまで傾けていた。

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2014年10月28日

「八坂神社例大祭@」


[ 08:47 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ C神社・仏閣 ]
「八坂神社例大祭:随身門から入る神官」
 屋島西町の「八坂神社」の例大祭は、10月4日(土)午後6時から「宵宮祭」、10月5日(日)の午後1時から「氏子祭」、午後2時頃から「渡御祭」が行われることになっている。
 この日は台風18号が四国沖から関東方面に向かっていき、今にも雨が降りそうであったがどうにか一日降らずに秋祭りが行われた。
 「氏子祭」のため随身門で手を清めてもらい、「八坂神社」の拝殿に向かう宮司さんたちであった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「八坂神社例大祭:随身門から入る巫女さん」
 氏子総代さんや御神輿の担ぎ手の皆さんが随身門をくぐった後、続いて巫女さんが入って来た。
 拝殿で行われる「氏子祭」で、「浦安の舞」を披露してくれる方々であった。
「八坂神社例大祭:氏子祭」
 時間が来て「煙火」が打ち上げられて、「八坂神社」の拝殿で厳かに「氏子祭」がとり行われた。
 修拔(御祓い)の後、雅楽が流れる中、神饌が神饌所から本殿前の棚に神職さんがリレーして運ばれ、祝詞奏上、玉串奉奠などが行われていたようであった。
「八坂神社例大祭:氏子祭の浦安の舞」
 八坂神社の拝殿では、神事の途中で氏子総代さんたちが左方に寄り、開けた所に茣蓙(ござ)が敷かれ、拝殿に音楽が流されて「浦安の舞」が始まった。
 去年は確か4人の巫女さんであったように思うが、今年は3人が舞を披露してくれ、右手に持った鈴の音が、拝殿内に鳴り響いていた。
 広辞苑によると「浦安の舞」は、紀元2600年祝典(昭和15年)の際に作られ、舞人は女子。上代の手振を偲ぶ荘重典雅な舞で、扇の舞と鈴の舞がある。」と書かれていた。
「八坂神社例大祭:浦安の舞を見守る参拝客」
 浦安の舞が舞われている「八坂神社」の拝殿前には、舞の様子をご覧になる人たちで溢れていた。
 拝殿に参拝したついでに、拝殿前に集まって舞を見ておられるようであった。
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2014年10月27日

「仁尾八朔人形まつりE」


[ 08:00 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ K祭り・名所・旧跡・公園 ]
「仁尾のまち活性化プロジェクト展示」
 「仁尾八朔人形まつり」で「人形工房さん(切り込み写真)」に来ており、ここに「20番」で善通寺第一高等学校デザイン科の皆さんの「仁尾のまち活性化プロジェクト」が展示されていた。
 善通寺第一高等学校デザイン科の皆様がそれぞれの部署で活動しており、小さな子供さんたちが可愛い「指人形つくり」に挑戦していた。
 また建物の壁には、生徒さんが描いた仁尾町の風景画が、たくさん掲示されていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「仁尾八朔人形まつり:屋号をアートで表現」
 「人形工房さん」では、善通寺一高の生徒さんが制作した、仁尾町の家々の屋号を書いた「つり下げ旗」が紹介されていた。
 かって港町として栄えた「仁尾町」の賑わい作りにと、美しい空や海を想像させる青色をもとに同校デザイン科の生徒さんが作り上げたものだそうである。
 「吊り下げ旗と港風 海からの心地よい風が吹き抜ける仁尾。屋号を記した吊り下げ旗で町を彩り、風を視覚的に感じてもらうことが私たちのねらいです。町を訪れた人々の記憶にその風景が深く刻まれることを願っています。」※作品より。

「仁尾八朔人形まつり:平和(仁尾中学校美術部)」
 「21番」の「金光寺さん(切り込み写真)」に仁尾中学校美術部の「平和」の人形が展示されていた。
 「三年生の修学旅行で体験した戦争で原爆により被害を受けた長崎の町から、平和祈念像、そして復興を遂げた現在の長崎が描かれている。」※掲示看板より。
「仁尾八朔人形まつり:金光寺」
 三豊市仁尾町仁尾丁にある「金光寺」は真言宗御室派の寺院である。
 山門を入ったすぐ左に仁尾城主「細川土佐守頼弘公」のお墓があった。
 戦国時代の天正年間に仁尾を治めていた城主で、土佐の長宗我部元親の軍勢に攻められ落城し、自刃したという。
「仁尾八朔人形まつり:長篠の戦い」
 「「22番」の陶川人形店さん(切り込み写真)」に、「長篠の戦い」の八朔人形が展示されていた。
 「天正3年(1575)5月、武田勝頼は三河の徳川領の長篠城を囲み攻撃した。徳川家康は、織田信長にも加勢を頼み、城に近い所で武田軍を迎え撃ち、鉄砲三千挺を配置のうえ一斉射撃を行い、武田軍をやぶった。」※掲示看板文抜粋。

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「仁尾八朔人形まつりF」


[ 07:53 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ K祭り・名所・旧跡・公園 ]
「仁尾八朔人形まつり:寿曽我対面」
 三豊市仁尾町内で開かれていた「仁尾八朔人形まつり」も、最後の「八朔人形」を飾ってある所に来た。
「23番」の「浅野さん宅(切り込み写真)」には、「寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」の八朔人形が展示されていた。
 「源頼朝の重臣の工藤祐経の館に年賀に二人の若者の曽我十郎、五郎の兄弟が来ていた。工藤祐経は兄弟の面差しから、兄弟が工藤祐経に討たれた河津三郎の遺児と悟り、冨士の巻狩の総奉行の役を終えたら兄弟に討たれてやろうと思い、狩場の通行手当を渡す。」※掲示看板文抜粋。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)

「仁尾八朔人形まつり:雛人形・生花創作展」
 三豊市仁尾町内で開かれていた「仁尾八朔人形まつり」も出発地点の「仁尾文化会館」に戻ってきた。
 会館二階の和室の畳の上には、緋毛氈が敷かれ雛人形と生花が展示されていた。
「仁尾八朔人形まつり:浦島太郎さん」
 町中の「仁尾八朔人形まつり」の会場でも見かけた「浦島太郎さん」と「三豊観光大使」のお嬢さんが扮する「乙姫さん」がテント下に座っていたので、写真に撮らせていただいた。
 「浦島太郎さん」は三豊市仁尾町の人であるという伝説が残っており、実際に「浦島太郎さん」といわれている人がいるという。
「仁尾八朔人形まつり:特産品の販売」
 「仁尾文化会館」の駐車場のテントでは色々な店が開かれ、大勢の人で賑わっていた。
 何という名前なのか分からないが、竹の枝に飛騨高山の「さるぼぼ」のようなものを付けた花飾りと、三豊特産の梨を買った(写真上)。
 小学生の集団が「マーボー丼」の宣伝をしていた(写真下左)が、去年に続いて坂本竜馬さんもたべたぜよとかいてあった「さつま丼」を昼飯にした(写真下右)。
「仁尾八朔人形まつり:車エビの養殖」
 「仁尾文化会館」の買い物を楽しんだ後、車をおいてある岸壁近くへシャトルバスで送ってもらった。
 途中バス車内からウナギの養殖に使う水車がたくさん回っている池があり、同乗の女性が運転手さんに聞いて「車エビの養殖」をしていると教えてもらった。
 車の置いてある岸壁では、家族連れなどが釣りをしていたので見させていただくと、「さより」を20匹程度釣り上げていた。

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2014年10月26日

「仁尾八朔人形まつりD」


[ 07:17 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ K祭り・名所・旧跡・公園 ]
「花咲爺さん 香川高専詫間キャンパス」
 三豊市仁尾町の「仁尾八朔人形まつり」、「16番」の「寺井屋さん宅(切り込み写真)」に「花咲爺さん」の人形が展示されていた。
 「昔、正直爺さんは犬のポチが裏の畑で鳴くので掘ると大判小判がザクザク。隣のよくばり爺さんがポチを借りて掘ると瓦や欠けた茶碗などが出た。怒ったよくばり爺さんはポチを殺し悲しんだ正直爺さんはポチのお墓を作り木を植えたところ大きくなった木で臼を作って餅をつくと大判小判が出てきた。よくばり爺さんがつくと瓦や石ころばかり。怒ったよくばり爺さんは臼を燃やしてしまったので、正直爺さんはその灰を持ち帰り、通りかかった殿さまの前で灰をまいて枯れ木に花を咲かせ、殿さまからご褒美を貰いました。」※掲示看板文抜粋。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「御蔵堂の空海」
 三豊市仁尾町で9月21日から23日に開かれていた「仁尾八朔人形まつり」に来ている。
 「17番」の覚城院さんの「大聖歓喜天堂」に、「御蔵堂の空海」の人形が展示されていた。
 「善通寺に生まれた弘法大師さんは、修行者として四国の辺境の地を歩き、室戸の空と海を眼前にする「御蔵堂」に籠り厳しい修業をした。この時に仏と一体となった「明星来影」を体験し、後にさまざまな分野で事績を残したスケールの大きい宗教家になった。」※掲示看板文抜粋。
「覚城院の鐘楼」
 三豊市仁尾町の仁尾城跡に建つ「覚城院」は、いかにも城跡を思わせる小高い所にあった。
 819年(弘化10年)に弘法大師さんにより創建されたと伝えられているといい、1573年〜1614年に建造されたという「鐘楼」は、1947年(昭和22年)に国の重要文化財に指定されている。
 訪れた家族連れが、鐘楼下に入り鐘を突いていた。
「討ち入り前夜 両国橋の出会い」
 「18番」の「真鍋人形店さん(切り込み写真)」には、「討ち入り前夜 両国橋の出会い」の人形が展示されていた。
 「元禄15年師走俳人の室井其角は弟子の大高源吾に出会い、源吾のみすぼらしい姿を見た其角は、隅田川の流れを眺めながら付け句を促して「年の瀬や水の流れと人の身は」と詠み、それに対して源吾は「明日待たるその宝船」と付け句しました。翌朝、赤穂浪士が吉良邸に討ち入りし本懐を遂げた。」※掲示看板文抜粋。
 場面の前にある飾り付けられた白馬の人形は、蒸した「だんご」で作られた「だんご馬」で、子供さんの健やかな成長を願って作られている。
「軍師官兵衛 命の使い道」
 「19番」の「山地さん宅(切り込み写真)」に、「軍師官兵衛 命の使い道」の人形が展示されていた。
 「官兵衛の幼馴染の『おたつ』が浦上家に嫁いだ夜、突然龍野の赤松軍が攻め込み、浦上勢は全滅し『おたつ』も駆け付けた官兵衛の腕の中で亡くなった。怒りと悲しみにくれた官兵衛に祖父は、『命を無駄にするな。世界は広いぞ。』と諭され、父の命で堺へ鉄砲の買い付けに出されて未知の世界に触れ、その目は強く輝いていた。」※掲示看板文抜粋。
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2014年10月25日

「屋島の風景」


[ 08:24 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ B屋島周辺 ]
「春日町を流れる春日川」
 10月23日、町中にある病院から自転車に乗って帰る途中、高松市春日町を流れる「春日川」の橋上から眺めた屋島である。
 雲が少なくくっきりと見えた屋島の山容、中央の矢印で示した所が、「屋島城」の城門復元工事がされている所である。
 春から夏にかけて工事が中断されていたが、デジカメをズームいっぱいにすると、工事現場にクレーンが見えており(切り込み写真)、工事が始まっているようであった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「屋島寺」
 病院帰りで遅くなったが、12時45分琴電屋島駅発の屋島山上行きシャトルバスに乗って、屋島に上った。
 何かで見て手帳に書き留めていた「屋島寺熊野権現鎮守祭」が今日あるのかと思ったが、「屋島寺熊野権現」では何んにも行われていなかった。
 屋島寺本堂の横にある「太三郎たぬき」の石像前では、参拝記念の写真を並んで撮っておられるグループが見受けられた。
「屋島寺南広場」
 屋島寺本堂で記念写真を撮っておられた方々が、四天門を出て「獅子の霊厳」の方向へ歩いて行かれていた。
 青い空の下、左側の「可正桜」も葉っぱが赤くなり、ちょっと見えにくいが中央向こうにある「イチョウ」の木も、黄色く色づき始めていた。

「屋島陸上競技場の今」
 「屋島陸上競技場」が平成24年10月末に閉場し解体されているが、新しい陸上競技場の建設工事が平成26年7月より始まっている。
 工事の竣工が平成29年2月の予定だそうで、屋島陸上競技場を屋島遍路道から見下ろすと、大型建設機械が3〜4台、グランド中央に見えていた。
 左上の切り込み写真は、琴電志度線の線路際から建設機械を撮った写真である。
「屋島の花」
 上の写真は、屋島の遍路道に咲いていた「野菊」の花であった。
 いつも道端や畔道で見る紫色と、白い花があるようであった。
 写真下左は、我が家で咲き始めた「ギンモクセイ」の花で、余りよくは匂わないようであった。
 写真下右は、去年「公渕公園」で鉢植えで買った「小菊」を今年春に挿し芽したもので、背は低いが咲き始めている。
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2014年10月24日

「石の里のアーティストたちの展覧会」


[ 08:09 ][ 文化・伝統:現代文化・芸術・芸能 ][ B屋島周辺 ]
「高松市石の民俗資料館」
 右に屋島を、左に前田山などが望まれる五剣山の中腹に「高松市石の民俗博物館」がある。
 毎年見せていただいている「石の里のアーティストたち」の展覧会が、芝生広場の斜面で開かれていたので、今年も10月17日に見学に行った。
 秋空の下、気持良い風が吹く中を、ゆっくりとアーティストたちの石彫り作品を見て回った。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「テーマ庵治石の作品群」
 「高松市石の民俗博物館」の芝生広場に展示されている作品である。
 写真左上は、アキホ・タタさんの「Fantasia・福桃来」で、写真右上は、木村英二さんの「おーい、石の祭りやー」である。
 写真左下は、安部重竹さんの「母と子」で、写真右下は、上村隆之さんの「金・愛・心・体」である。
「テーマ庵治石の作品群」
 「高松市石の民俗博物館」の芝生広場に展示されている作品である。
 写真左上は、藤野充茂さんの「無題」で、写真右上は、岩田一輝さんの「窟(くつ)」である。
 写真左下は、岡田昌臣さんの「1/8」で、写真右下は、山田浩之さんの「ほていさん」である。
「テーマ庵治石の作品群」
 「高松市石の民俗博物館」の芝生広場に展示されている作品である。
 写真左上は、高石覚さんの「I(アイ)」で、写真右上は、森岡量基さんの「大日如来」である。
 写真左下は、神野淳平さんの「不動さんのかくれんぼ」で、写真右下は、石の民俗資料館職員さんの「アン・ツーゴ」である。
「企画展:和泉良照45年の歩み展」
 「高松市石の民俗資料館」の企画展示室で、「企画展:和泉良照45年の歩み展」が開かれており、入場させていただいた。
 チラシに「牟礼町在住の石彫作家、和泉良照氏による展覧会。45年間の創作の軌跡と共に、巧みな加工技術により生まれた柔らかな曲線美をご堪能ください。」とあった。
 館内には、素晴らしい作品が展示されており、写真を一枚撮らせていただいた。
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2014年10月23日

「第21回公渕菊花展A」


[ 06:38 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ L食べ物・草木花など ]
「懸崖作りと三本仕立て」
 高松市東植田町で開かれている「第21回公渕菊花展」に来ている。
 遊歩道の道路上に長い仮設の屋根が設けられており、いろいろな仕立て方があるみたいで、それぞれに秋を感じさせていただいた。
 写真上左は、「懸崖作り」というものか、その他の菊は、大菊の「三本仕立て」というものか一本の苗から三つの花を咲かせていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「放射状に咲く菊の花」
 菊の種類もいろいろあるようで、写真の菊は「管物(くだもの)」といわれるもののようで、花弁が管状で放射状に伸びている。
 一輪ごとに針金で支えられており、えも言えぬ愛らしい花の形をしている。
 また、花弁の先が丸まっているようである。

「盆栽仕立ての菊」
 小さな鉢から大きな鉢まで色々な大きさの鉢で、小菊を盆栽仕立てにされているコーナーがあった。
 どのように世話をされているか分からないが、とっても手間のかかる作品でないかと思われる。

「焼き芋をほおばる」
 菊の苗の展示即売しているテントの横で、「焼き芋」を売っているテントがあり、おいしそうなので毎年買って、暖かいうちに食べている。
 この時間帯にはお客様は少なかったが、帰り際にたくさんの家族連れにすれ違ったので、大いに繁盛するのでないかと思われた。
「気持ちよい芝生広場」
 公渕公園の芝生広場の木陰に座り、「焼き芋」をいただいた。
 公園の樹木に紅葉を始めているものがあり、秋晴れの空の下で、キャッチボールなどを楽しむ親子連れらがあちこちに見られた。
 この菊花展、11月18日まで開かれているという。
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2014年10月22日

「第21回公渕菊花展@」


[ 07:40 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ L食べ物・草木花など ]
「公渕公園の菊花展」
 10月19日、高松市東植田町の「公渕公園」で開かれていた「第21回公渕菊花展」を見に行った。
 池の傍にある駐車場に車を置いて、桜並木の道をたどり「公渕憩の家前広場」に着いた。
 遊歩道上に菊で出来た「アーチ」が設けられており、「募金箱」が入り口に設置されていたので、ささやかながら投入させていただいた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「綺麗に咲いた菊香る」
 「公渕公園」の菊花展をここ数年は毎年見に来ており、ゆっくりと鑑賞しながら写真に撮らせていただいた。
 雨露を避けるために仮設の屋根囲いがずっと続いており、見事に咲いた色々な菊が並べられていた。
「菊で仕上げた栗林公園のセット」
 「公渕憩の家」の前には、大がかりな「栗林公園」のセットが拵えてあった。
 栗林公園にある橋を模して作られた橋があり、橋のたもとで赤い色の鯉が元気よく泳いでいる様が表現されていた。
 また、小さな茶室の中では人形さんが「秋のお茶会」を催されているようで、たくさんの小菊の鉢植えで池周辺の様子が表現されていた。

「瀬戸大橋か菊の橋」
 「栗林公園」のセットの右には、瀬戸大橋と思われる大きな白い菊の橋が、出現していた。
 橋の欄干には「黄色」の菊が、海面と思しき所には「紫色」の小菊が配されていた。

「千輪作り(せんりんづくり)」
 傘を差した姿に似ている「千輪作り」の菊が、ずらりと並んでいた。
 前年の秋に挿した芽を、一年がかりで半球形に作り上げたというもので、約300輪から500輪というたくさんの花をつけているものもあるという。
 どの方向からも一様に見え、丹精込めて作られたものであった。
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2014年10月21日

「仁尾八朔人形まつりC」


[ 08:18 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ K祭り・名所・旧跡・公園 ]
「軍師官兵衛 嫡男松寿丸に薫陶す」
 9月21日に三豊市仁尾町で開かれていた「仁尾八朔人形まつり」を巡っている。
 「11番」の「おしゃれ館きくよさん(切り込み写真)」に、「軍師官兵衛 嫡男松寿丸に薫陶す」の人形が展示されていた。
 「官兵衛は二十二歳の時に黒田家の家督を継ぎ、主君小寺政職の縁戚の娘と結婚し、嫡男・松寿丸、後の長政が誕生した。松寿丸が5歳の時に両親を早くに亡くした後藤又兵衛という男の子を引き取り、分け隔てなく二人を育てて、官兵衛の薫陶を受けた松寿丸と又兵衛は、黒田家を支える立派な武士に成長した。」※掲示看板文抜粋。
「雛人形段飾り」
 「12番」の「千代屋さん(切り込み写真)」に、「雛人形段飾り」が展示されていた。
 戦国時代に仁尾城で三月三日のひな節句のお祝いをしていた時、土佐の長宗我部元親に攻められ滅ぼされたといい、このため村ではお殿様を偲び三月にお雛様を飾らなくなり、男の節句の八朔と一緒に祝うようになったという。
「児童・園児の作品(曽保小学校・曽保幼稚園)」
 「13番」の「永徳屋さん(切り込み写真)」に、曽保小学校と曽保幼稚園の「児童・園児の作品」が展示されていた。
 「元気な曽保っ子 みんな なかよし!」と前面に掲げられており、人形の上には学校行事を紹介した写真などが貼られていた。
 また曽保幼稚園児の3歳児の園児と保護者が一緒に考えた雛人形や曽保の海岸で拾った石に顔などを書いた作品が飾られていた。
「園児の作品(平石幼稚園)」
 「14番」の「旧河合さん宅(切り込み写真)」に、平石幼稚園の「園児の作品」が展示されていた。
 たくさんの手作りの雛人形と園児さんの集合写真などが飾られていた。
 この建物には東かがわ市の「引田雛飾り」もあった。
 切り込み写真に写っている男女の学生さん、何に扮してそぞろ歩きをしていたのか分からなかったが、終始笑顔を見せてくれていた。
「雛人形段飾り・市松人形」
 「15番」の「草木屋さん(切り込み写真)」に、「雛人形段飾り・市松人形」が展示されていた。
 写真中央左には、この地方で作られている「張り子の虎」の姿を見ることができた。

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2014年10月20日

「仁尾八朔人形まつりB」


[ 08:24 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ K祭り・名所・旧跡・公園 ]
「三豊市仁尾町の町中」
 9月21日に三豊市仁尾町で開かれていた「仁尾八朔人形まつり」を巡っている。
 初秋になると町中のあちこちで「八朔人形まつり」の準備で忙しくなり、武者人形、だんご馬、背景画、竹を切る人、飾り付けをする人など、大変な作業をされているという。
 展示場所として番号がない民家などにも、花や人形などがセンス良く展示されている所が方々にあった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「雛人形・武者人形・段飾り」
 「西山正広さん宅(切り込み写真)」に「7番」の「雛人形・武者人形・段飾り」が展示されていた。
 幼い子にも人気の場所であった。

「義経八艘跳び」
 「8番」の「つるやさん」に「義経八艘跳び」の人形が展示されていた。
 「屋島の合戦で敗れた平家軍は船で長門(山口県)の壇ノ浦に逃げ、ここで最後の決戦が行われた。この戦いで平家軍の船から源氏の大将義経の船に飛び乗って来たのが平家の勇将の能登守教経で、すさまじい勢いに義経が危うく斬られそうになったので、義経は次々と八艘の船に飛び渡り、難を逃れたという。」※掲示看板文抜粋。
「園児の作品(平石幼稚園)」
 「9番」の「西山忠彦さん宅(切り込み写真)」には平石幼稚園の「園児の作品」が展示されていた。
 園児が作った人形の形は同じような形をしていたが、目・鼻・口を思い思いに書かれており、ユーモラスの顔立ちになっていた。
「香川高専詫間キャンパス 浦島太郎」
 「10番」の「椛蝟根利器製作所さん(切り込み写真)」に「浦島太郎」の人形が展示されていた。
 「浦島太郎という名の若い漁師さん、ある日、子どもたちが捕まえていた大きな「亀」を助けてやったが、後日、太朗が船で釣りをしていた時に亀が顔を出し「竜宮城」へと連れて行ってくれた。美しい竜宮城では、毎日御馳走を食べ、魚たちの舞踊りを見て楽しく暮らしていたが、「玉手箱」をお土産に乙姫様に別れをつげて元の村に帰ってきたが、家もなく知らない人ばかりでお土産の「玉手箱」を開けると、白い煙が出てたちまち太郎はおじいさんになったという。」※掲示看板文抜粋。
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2014年10月19日

「屋島中吹奏楽部全国大会記念演奏会など」


[ 08:04 ][ まち・生活・学校:学校・こども・教育 ][ B屋島周辺 ]
「屋島中吹奏楽部演奏会」
 高松市立屋島中学校吹奏楽部が、初めて全国大会に出場することになり、10月18日午後2時から全国大会出場記念演奏会が同校であった。
 屋島中学校の校舎には、道路から見渡せる所に「祝 全日本吹奏楽コンクール 全国大会出場 吹奏楽部」という垂れ幕が掲げられていた。
 四国新聞によると、香川県内の中学校吹奏楽部が全国大会に出場するのは18年ぶりだそうであった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「屋島中吹奏楽部演奏会」
 初めて屋島中学校の校門をくぐり、新校舎1階の多目的ホールに入ると、校舎と校舎の間にあると思われる1階〜2階が吹き抜けになっており、西側に演奏者のコーナーがあり、東側に椅子席が設けられており、中学生や父兄、地域の人たちでいっぱいであった。
 指揮をされる顧問の先生、後援会の代表の方のお話があり、演奏する生徒さんによる曲の紹介があって、演奏会が始まった。
 中学生の吹奏楽を聞くことができたのは初めてであり、迫力ある演奏に感動した。
「屋島中吹奏楽部演奏会」
 オープニング曲の後、全日本吹奏楽演奏曲である課題曲の「行進曲『勇気のトビラ』(高橋宏樹)」と、自由曲の「大いなる約束の大地〜チンギス・ハーン(鈴木英史)」が続けて演奏され、クラリネット4重奏、金管8重奏をはさんで、1〜3年生全員による「学園天国」、「レット・イット・ゴ―〜映画『アナと雪の女王』主題歌」、「シング・シング・シング」が演奏された。
 プログラムに書いてある演奏曲が終わっても拍手が鳴りやまなかったので、1曲だけアンコール曲が披露されて演奏会が終わった。
 10月25日に愛知県の「名古屋国際会議場」で開かれる全国大会、ぜひ優秀な成績をかちとって来て欲しいものだと思った。
「秋の取り入れが終わる」
 屋島地区もほとんどの田んぼの稲刈りが終わり、畑地がむき出しに見えるようになった。
 お米とモミ殻とに分ける「モミすり」の作業が終ったらしく、畑にモミ殻を山のように積み小さな煙突を付けて、モミ殻を焼いていた。
 素人には分からないが、何かに使われるのだろうと思う。
「今頃に梨の花が咲く」
 いつも通っている道の近くの畔に植えられている「梨」でないかと思われる木に、花が咲いていた。
 今頃の季節はずれに咲くとは、この木、気候を感違いしたのでないかと思われた。
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2014年10月18日

「屋島秋の一こま」


[ 08:07 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ @屋島山上 ]
「屋島寺から帰る人」
 屋島山上駐車場でシャトルバスを降りて、屋島寺に向かっていると屋島寺境内からお遍路さんのお経を詠む声が聞こえてきた。
 駐車場からの参道で車輪がついたキャリーを引っ張る男性に出会ったが、キャリーには納経帳等を包んだ風呂敷が乗っており、とても重たそうであった。
 バスの添乗員さんは、何人もの納経帳などを預かって納経所で書いてもらっているが、人数が多くなると大変のようであった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「屋島寺大師堂にて」
 屋島寺境内に入ると、大師堂ではたくさんのお遍路さんが、御詠歌を歌われていた。
 普段は「般若心経」の読経を聞くことが多く、ちょっと珍しい光景に接したように思った。
 この時間帯、ちょっと暑かったので皆さん、木陰に入っておられた。
「屋島寺本堂」
 秋の空がま青に広がっていた屋島の空の下、四国霊場第八十四番札所「屋島寺」の本堂にも、参拝する人が多く見られた。
 バスの発車時間が迫ってきたのか、小走りに駐車場の方向に帰ってゆくお遍路さんにも出会った。
「屋島遍路道の犬さん」
 屋島遍路道を歩いて下りていた途中、勢いよく走って上がってきた一匹の犬に出会った。
 周囲には飼い主さんが見当たらず、自分に出会うと遍路道の縁によりゆっくりとこちらの方を気にしており、通り過ぎるとまた勢いよく走りだしていた。
 100bぐらい離れてリュックを背負って上がってくる外国人と出会ったが、どうも飼い主とは思えなかった。
 犬は首輪をして綺麗な体をしており、「こんぴら狗」にならって「屋島狗」として、代参しているのかもと空想した。


「屋島遍路道で出会った人」
 屋島遍路道には、たくさんの人が上り下りしており、出会うとご挨拶を交わしている。
 時折、話好きの人と出会うと暫く話しこむこともある。
 遍路道を上る外国人らしい親子さんとすれ違った。
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2014年10月17日

「仁尾八朔人形まつりA」


[ 08:27 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ K祭り・名所・旧跡・公園 ]
「歴史絵 軍師官兵衛」
 9月21日に三豊市仁尾町で開かれていた「仁尾八朔人形まつり」で、「瑞雲寺さん」の壁に「歴史絵 軍師官兵衛」が飾られていた。
 このパネル絵、「みんなで子どもを育てる県民運動」の仁尾校区会議、曽保校区会議が主催だそうであった。
 NHKの大河ドラマ、「軍師官兵衛」の歴史絵であった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「歴史絵 軍師官兵衛」
 写真上左の絵「信長、秀吉、家康らの群雄に関わりながら戦国歴史の流れを変えた軍師の物語。」
 写真上右の絵「姫路城代の子として生まれた官兵衛は、その才を認められ、二十二才に家督を相続、希代の天才軍師として成長する。」
 写真下左の絵「信長より足利攻めを命ぜられた明智光秀は、「敵は本能寺にあり」と宣言し、天下をゆるがす大事件、本能寺の信長を焼討ちした。」
 写真下右の絵「信長の仇を討ったために官兵衛は毛利との和議をすすめ「水攻めの奇策」で高松城を攻略した。
「歴史絵 軍師官兵衛」
 写真上左「毛利方の高松城は三方を山に囲まれ、擂り鉢状の中にあった。官兵衛は足守川の水を引き入れ、城を水攻めした。城主清水家冶は城兵の命と引換えに自刃する。」
 写真上右「本能寺の変で信長が討たれたという知らせにうろたえる秀吉に官兵衛は「すぐに引返し仇を討つのです。そうすれば殿は天下人です」と進言し、秀吉の軍勢は僅か一日で引返す。」
 写真下左「備中より急ぎ引返えした秀吉軍は、京の南の山崎で主君の仇、三日天下と言われた明智光秀を討ち取る。」
 写真下右「信長亡き後、織田軍団内の覇権を争い、秀吉と柴田勝家が賤ヶ岳で戦う七本槍の勇者をかかえた秀吉が勝利し天下人となった。」
「軍師官兵衛 高松城の水攻め」
 「5番」の「大矢根宅車庫さん(切り込み写真)」に「軍師官兵衛 高松城の水攻め」の人形が展示されていた。
 「中国毛利攻めの秀吉軍は、備中高松城を攻めたが城主清水宗治は和僕を拒否し、五千の兵と籠城した。そこで官兵衛の水攻めの奇策で足守川の水を引き入れ城を孤立させた。「本能寺の変」を知った官兵衛は、城主の切腹と開城を条件に急きょ講和し、秀吉軍は直ちに京に引返して明智光秀を破った。」※掲示看板文抜粋。
「児童の作品展示(仁尾小学校)」
 「6番」の「三崎商店さん(切り込み写真)」に仁尾小学校児童の作品が、たくさん展示されていた。
 これらの児童の作品は、子供たちが創意工夫をして作られており、県内外から見に訪れている見物人の目を楽しませてくれていた。
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2014年10月16日

「仁尾八朔人形まつり@」


[ 08:25 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ K祭り・名所・旧跡・公園 ]
「仁尾文化会館の仁尾八朔人形まつりの会場に着く」
 どちらが次いでの便か分からないが9月21日、「萩原寺」の萩を見てから「仁尾八朔人形まつり」を見るべく三豊市仁尾町の海べりにある駐車場に車を置き、シャトルバスに乗せていただいてメーン会場の「仁尾文化会館」に着いた。
 バスを降りて協力金を支払いスタンプラリーの申し込みをした。
 「仁尾文化会館」に戻ってきたとき「左下のおいり(切り込み写真)」を貰ったが、この「おいり」は、香川県の西讃地方の名物で結婚式に出席した時にいただいたことがあった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「仁尾八朔人形まつりのスタート」
 この「仁尾八朔人形まつり」は、地図を頼りに三豊市仁尾町内の人形を飾った商店などを次から次へと巡るものであった。
 まず初めに「仁尾文化会館」のすぐ前にある「中橋造酢工場さん」の中(切り込み写真)に入り大きな酢が入った樽を見学してから、「1番」の「雛人形段飾り、発明クラブ作品」を見せていただいた。
 展示場内には香川県生まれの「福本百恵さん」の絵が飾られていた。
「神功皇后」
 「2番」の「(有)はやしやさん」では、「神功皇后(じんごうこうごう)」の場面が飾られていた。
 「第14代仲哀(ちゅうあい)天皇の后の「神功皇后」は、天皇と一緒に九州南部の熊襲を平定するため香椎宮に入るが天皇が急逝、その時にご懐妊中であり、その後朝鮮に出征して新羅を討ち、百済・高句麗を帰服させて帰還した後に出産した御子が、第15代天皇の応神天皇となられた。」※掲示看板文抜粋。
 場面は、海べりで白馬にまたがり海を見つめている「神功皇后」。
「軍師官兵衛 官兵衛とおたつ」
 「3番」の「金吉屋さん」に「軍師官兵衛 官兵衛とおたつ」の人形が展示されていた。
 「戦国時代に信長、秀吉、家康に仕えて、乱世を終わらせるため戦いぬいた天才軍師官兵衛。姫路城主黒田職隆の嫡男「万吉」として生まれた。祖父重隆は流浪の末、姫路に来て広峯明神の御師と目薬を売って財をなし、小寺家に仕官した。 
 御師の娘「おたつ」は、幼いころから万吉の世話をやき万吉は姉のように慕い、万吉は武家の嫡男として学問武芸に励んだという。」※掲示看板文抜粋。
「軍師官兵衛 希代の軍師いざ出陣」
 「4番」の「土佐屋さん」に「軍師官兵衛 希代の軍師いざ出陣」の人形が飾られていた。
 「官兵衛の説得で織田方についた播磨の勢力は、敵である毛利の五千の兵が姫路に進攻し姫路に上陸したが、黒田方一千の兵で領民を借り出して旗差物、太鼓、ホラ貝を持たせ、夜明けの霧の中を奇襲し、あわてふためいた敵陣が総崩れとなり退散した。」※掲示看板文抜粋。
 出陣前に味方の兵の前で床几に座り、出陣を待つ軍師「官兵衛」。

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2014年10月15日

「高松市香川町のひょうげ祭り(最終)」


[ 08:49 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ K祭り・名所・旧跡・公園 ]
「ひょうげ祭り:御神輿が池に向かう」
 9月14日、高松市香川町で行われた「ひょうげ祭り」の御神輿は、行列の最後に「新池」に到着して神事があり、神官役が矢を放った後、池に向かって動き出していた。
 池への途中で、右に向きを変えてお客様の方向にはみ出して止められ、次に左側のお客様の中に入り込んでお客様が後ずさりして止められるというパフォーマンスがあった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)

「ひょうげ祭り:水に入る御神輿」
 高松市香川町で9月14日に開かれている「ひょうげまつり」の御神輿が、いよいよ「新池」に向かって歩み、御神輿の担ぎ手たちが威勢のいい声をあげながら御神輿ともども池に飛び込んで行った。
 池の水面には水しぶきが上がり、池に入ることにより水の恵みに感謝の気持ちを表しているという。
「ひょうげ祭り:沖合に出る御神輿」
 「ひょうげ祭り」のクライマックスである御神輿が「新池」に入り、沖合まで泳ぎ出しているところである。
 沖合に出た御神輿は、担ぎ手により水面下に押し下げられて水没していた。
「ひょうげ祭り:御神輿が池から戻る」
 「ひょうげ祭り」は御神輿の水浴びが終わり、池の岸まで戻ってきたところである。
 担ぎ手は御神輿を差し上げており、無事に「ひょうげ祭り」が終わることを喜んでいるようであった。
「ひょうげ祭り:終わる」
 水に入った御神輿を御旅所まで上がってきて止められ「ひょうげ祭り」は終わった。
 御旅所に行くと、担ぎ手の皆様が濡れた体を拭いており、行列に使ったたくさんの神具が左側に立て掛けられていた。
 帰りのバスも一斉に殺到した帰り客で一杯であったので、歩いて車を置いた香川支所まで帰った。

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2014年10月14日

「高松市香川町のひょうげ祭りE」


[ 09:08 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ K祭り・名所・旧跡・公園 ]
「ひょうげ祭り:新池で毛槍を行う」
 9月14日、高松市香川町にある高塚山(たごづかやま)山頂にある「矢延平六」を祀る新池神社での神事のあと、山麓の「浅野地区集落研修センター」から約2kmの道を練り歩いた「ひょうげ祭り」の行列が、最終地点の「新池」の畔に到着し、「毛槍」の皆様が最後の毛槍を披露していた。
 この新池は「矢延平六」が築造されたと伝えられており、この新池は高松城を水攻めせんとの噂が流れたため阿波に追放されたが、その恩に報いるため人々が高塚山山頂に祠を建立したという。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「ひょうげ祭り:御神輿の到着」
 「ひょうげ祭り」の行列の最後に「御神輿」が「新池」に到着した。
 御神輿は、左にあるお旅所の水平になっている場所へ、運ばれて行った。

「ひょうげ祭り:神事」
 「ひょうげ祭り」の神事が、写真左側のお旅所で氏子がなる神官を迎えて行われているようであったが、居た所から遠く、しかも人が多かったのでよく分からなかった。
 秋を迎えて水が少なく引いていた池の斜面には、神事の終わりを待って立った人、そして座り込んでいる人など、大勢の人で賑わっていた。
「ひょうげ祭り:神官が歩く」
 「ひょうげ祭り」のクライマックスの前に、神官役の男性が池に向かって矢を放つために、笏(しゃく)を胸にして池の畔までゆっくりと歩んでいるところである。
 その前を進む先導役の人が、弓矢を持っていた。

「ひょうげ祭り:神官が弓を振り絞る」
 「ひょうげ祭り」の「御神輿」の水浴びの前に、「氏子の神官がうやうやしく修祓(しゅうばつ)をして悪魔払いの矢を放つ」と、ひょうげ祭りのチラシにあった。
 水面近くで神官が、大きく振り絞って放した矢は、弓から離れて約30メートルは先まで飛び、池面に突き刺さって浮いていた。
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2014年10月13日

「いろいろ」


[ 08:20 ][ 自然・環境:動物・植物・魚 ][ B屋島周辺 ]
「秋にミョウガの花が咲く」
 少し大きめの鉢2つに育てていた「ミョウガ」、株が増えてキツキツになっているようなので、去年の秋に倉庫の隅の空き地に移していたところ、今頃になってたくさんの芽が出て、花が咲いていた。
 鉢植えのミョウガは、既に芽が出て今は葉っぱが枯れてきているのに、こちらは花盛りであった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「赤くなったホウキソウ」
 我が家でもう何年も種を採り、春に種を蒔いている「ホウキソウ」が今年も真っ赤に紅葉してきた。
 太陽の光に照らされると、赤く輝いて見えており、木の葉が紅葉したのと同じようであった。
「月食」
 10月8日、NHKの夕方のテレビ番組の「ゆう6かがわ」を見ていた時に、月食が始まっているとの放送があり、東の空が見える所まで外に飛び出し、次にデジカメを持って飛び出し、後は出たり入ったりであった。
 よそ様の家のブロック塀にカメラを載せて写真に撮ったが、カッコ内は大よその撮影時間であった。
 段々と月の下左から欠けてゆき、午後7時30分ごろには、月全体が地球の陰に入るという皆既月食になり、赤銅色になっていた。
「まんまるお月さん」
 月食が終わった時間に、月夜を見上げると「まんまるお月さん」が輝いていた。
 うっすらと黒い影が見え、うさぎさんがいるようにも見えるという、
「ススキの穂」
 近所の建物が建っていない住宅地に、ススキが生えており、白い穂が突き出ていた。
 秋が本格的になってきたようである。

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2014年10月12日

「屋島へ行く」


[ 07:11 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ @屋島山上 ]
「琴電屋島駅」
 屋島山上行きのシャトルバスに乗るため「琴電屋島駅」に来ている。
 10月10日は東京オリンピックの開会式が50年前に開かれた日で、今年の屋島も、晴れあがっており絶好の行楽日和のようであった。
 「琴電屋島駅」で時間待ちにブラブラしていると、自動販売機の缶コーヒーが今までは「つめた〜い」の一色であったのが、一部が「あたたかい」という赤い帯の表示がある缶コーヒーに替わっていた。
 朝方は寒さを感じるこの頃、自販機の衣替えの時期が近づいてきているようである。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「屋島の休日」
 シャトルバスが屋島山上駐車場に着くと、バス置き場に6台が駐車しており、その他に駐車場東側に沿って5〜6台の観光バスが止まっていた。
 連休前に観光客が来ていただいているようであり、屋島寺に向かっていた時に「なにわ」ナンバーのバスに戻られる人たちと思われるお若い方々とすれ違った。
 近朝に大阪を出発してきたのでないかと思われ、これからどちらに行かれるのだろうか。
「屋島寺本堂」
 たくさんの観光客がバスに戻り、屋島寺境内では14〜5人の参拝客が、大師堂や本堂にお参りしていた。
 空には雲が少しあるものの暑いくらいに気温が上がり、半そで姿の人が多かった。

「屋島寺南広場でお弁当を広げる児童たち」
 屋島山上の「県木園」でいた時に、遊歩道の方向から元気な子どもたちの声が聞こえてきた。
 屋島から下りるために「屋島寺南広場」を通りかかった時、小学校の1〜2年生らしい児童7〜80人がビニールの敷物を敷いて座り込み、お弁当を開けるところであった。
 みなさん笑顔で、楽しそうに包みを開けており、盗み見させていただくと小さなお弁当箱に御馳走が並んでいた。
 こちらもお昼時であったので、空腹を覚えて屋島を下りてきた。
「ガマズミの実」
 屋島遍路道のちょうど中間地点ぐらいの所にある山側に「ガマズミ」の木があり、赤く熟れ始めていた。
 これから熟す「木の実」は鳥の餌となるが、場合によっては人の口に入るものもある。
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2014年10月11日

「高松市香川町のひょうげ祭りD」


[ 07:10 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ K祭り・名所・旧跡・公園 ]
「ひょうげ祭り:一休み」
 高松市香川町で江戸時代から続く「ひょうげ祭り」、豊作を祈願したユーモラスな衣装で行列が行われた。
行列参加者の皆さまは、途中のお寺さんで休憩に入っており、一足先に「新池」を目指した。
 途中、道の傍に臨時に店開きした氷屋さんには、この暑さのため列が出来ていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「ひょうげまつり」の行列が、最終地点である「新池」に到着した。
 「新池」の堤防上の道路には、ずらりと「露天」が立ち並び、いろんなものが売られていた。
 堤防上の適当な場所に陣取り、行列が到着するのを待つことにした。

「ひょうげ祭り:新池」
 「ひょうげ祭り」は、江戸時代に水不足に悩まされていたこの地区に、ため池を作った矢延平六の功績をたたえ、水への感謝と豊作を祝って行われる祭りである。
 「新池」には、しめ縄を張った竹竿が四角に池面までさされており、その周囲にカメラマンが集まり始めていた。
 ここの池の中に「御神輿」が入る神事が行われようとしている。
「ひょうげ祭り:行列の先頭が到着」
 「ひょうげまつり」の子供さんたちの行列が、まず「新池」に到着した。
 池の斜面に座り込み、これから始まる神事を見守ろうというものである。

「ひょうげ祭り:池の向こうの空に飛ぶ飛行機」
 「ひょうげまつり」の最終地点の「新池」は、高松空港に近く、飛行機が低い位置で着陸態勢に入っていた。
 池の上の空には、白い鳥たちが乱舞していた。

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2014年10月10日

「高松市香川町のひょうげ祭りC」


[ 09:03 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ K祭り・名所・旧跡・公園 ]
「ひょうげ祭り:大勢のカメラマン」
 高松市香川町で9月14日に開かれている「ひょうげまつり」の名前の「ひょうげ」とは、「おどける」という意味で、顔に色とりどりのメークをした約100人余りの人々がおよそ2キロを練り歩くいうものであった。
 その行列を見るために大勢の見物客が集まり、行列のベストショットを狙ってカメラマンが動き回っていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「ひょうげ祭り:小学生の行列」
 「ひょうげまつり」の小学生の行列が、纏いのようなヒラヒラしたものを付けた竿を先頭に行列してきた。
 ズボンは体操着で上に裃のような飼料袋を肩から下ろして交差させていた。
 頭には体操帽の上にポール紙で作った緑色の菅笠をかぶって、にこやかにゆっくりと前進していた。
「ひょうげ祭り:神馬と一緒」
 「ひょうげまつり」の子供さんたちは、人形が乗った「神馬」を中心にして、行列を進めていた。
 その様子、なにかしら楽しんでおられるような雰囲気が漂っていた。


「ひょうげ祭り:神馬」
 「ひょうげまつり」の「神馬」さん、臨時に通行止めにした新しく出来た道路を急いで横切っていた。
 姿勢正しく乗っている神官さん、馬の乗り心地は如何なものか、「腰」がいたいという声が聞こえてきたような気がした。

「ひょうげ祭り:獅子舞」
 「ひょうげまつり」の行列の先頭の車に「獅子舞」の御囃子が乗っていたが、行列が止まった時にちょっと広い場所で獅子舞が披露されていた。
 「赤坂獅子舞」と書いてあったが、これからある本格的な秋祭りでも見事な獅子舞が披露されるのであろうと思われた。
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2014年10月09日

「古高松コミュニティセンター文化祭」


[ 07:55 ][ 文化・伝統:現代文化・芸術・芸能 ][ B屋島周辺 ]
「古高松コミュニティセンター文化祭」
 10月3日(金)〜5日(日)「古高松コミュニティセンター」で「文化祭」があった。
 コミュニティセンターを中心とした同好会の皆さまの作品や学習を発表するものであった。
 いよいよ秋を迎えて、「文化祭」や「体育祭」などの絶好の季節となってきた。
(参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
 
「古高松コミュニティセンター文化祭の作品展」
 10月4日(土)、「古高松コミュニティセンター」のホールや和室を使って、作品展が開催されていた。
 素晴らしい作品ばかりで、このような作品が作れる人が羨ましく思った。
 「アートフラワー」、「手編み」、「俳句五月会」、「永和書道会」、「水曜書道」、「絵画」、「はがき絵」、「いけばな池坊」、「生け花小原流」などの作品が展示されていた。
「文化祭の学習発表会の開会」
 10月5日(日)に「古高松コミュニティセンター」で開かれた「学習発表会」で、協議会会長さんから開会のご挨拶があった。
 10時から14時30分まで「大正琴」、「ソシアルダン」、「太極拳」、「民謡」、「カラオケ」、「詩吟」、「浩路会」、「美咲会」、「キッズジュニアモダンバレー」と盛りだくさんのプログラムが並んでいた。
 プログラムの間に休憩がとられていたので、「バザー」の「うどん・ちらしずしセット(350円)」をいただいた。
「古高松コミセン文化祭:大正琴」
 学習発表会のプログラムのトップバッターは、揃いの赤のユニフォームを着た皆さんによる「大正琴」の演奏があった。
 曲目は「おはなはん」、「ああ上野駅」、「さざんかの宿」で、演奏中に良かったら歌って下さいと歌詞を書いたペーパーが配られてきたので、音痴の身であるので小さな声で歌った。
「文化祭の午前中の発表」
 写真上左は、「ソシアルダンス」の皆さんで「ワルツ」「タンゴ」、「ルンバ」などを踊っておられた。
 写真上右は太極拳で、「八式太極拳」、「四十二式総合太極拳」、「太極功夫扇」、「揚式剣」が演じられた。
 写真下左は「古高松民謡」で「ひょうげ祭りの唄」、「宮津節」、「淡海節」「コキリシ節」が披露された。
 写真下右は「カラオケ」で、「博多しぐれ」、「花魁(おいらん)」など、たくさんの人が順に登場して美声を聞かしていただきました。
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2014年10月08日

「大宮八幡神社のお祭り前の清掃」


[ 10:23 ][ 歴史・文学:神社・仏閣 ][ C神社・仏閣 ]
「大宮八幡さんの清掃」
 台風の接近に伴って延期になっていた「大宮八幡神社」の秋祭りを前にした7時から行われた境内の清掃に参加した。
 自治会から清掃当番として4班〜6班ということで連絡をいただき、食事を済ませて自転車で駆け付けた。
 着いた時には清掃がすでに始まっており、境内の広場には新しい土を入れられて、均(なら)されていた。
 12日(日)の午後2時から始まる「神幸祭」に、この広場にはたくさんの太鼓台が集まってきて、大いに賑わう場所であった。
(参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「大宮八幡さんの境内」
 秋を迎えて木々から落ちた枯れ葉を掻き集め、刈り取った草も一緒にビニール袋に入れて軽四トラックが集めて回っていた。
 この地区に引っ越してきて初めて清掃に参加したが、何かしら清々しい気分を満喫した時間となった。
「大宮八幡さんの拝殿」
 朝日に神々しく輝く大宮八幡神社の拝殿周辺も、すっかり綺麗になっていた。
 拝殿正面の窓ガラスには、いろいろなお祭りの様子を写した写真が入った「屋島大宮八幡神社秋季大祭」のポスターが貼られていた。
「大宮八幡さんの清掃終わる」
 まだ清掃をする人が残っていたが、ほぼ終わったようであったので引き揚げさせてもらった。
 綺麗になった大宮八幡さんの境内、11日〜12日の例大祭に、たくさんの太鼓台や大勢の参拝客を迎える準備が整ったようであった。

「コスモスの花」
 いつもの所に今年も3〜4本のコスモスが芽を出し、今を盛りに花を咲かせていた。
 群生する花もよいが、数少ない花の姿を見るのもまた趣があるように思った。
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2014年10月07日

「高松市香川町のひょうげ祭りB」


[ 07:16 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ K祭り・名所・旧跡・公園 ]
「ひょうげ祭り:御神輿の渡御」
 9月14日に開かれていた「ひょうげまつり」は、高松市香川町浅野にある高塚山の新池神社の祭礼で、新池まで御神輿渡の御行列を行う。
 元気いっぱいの若者の担ぐ「御神輿」、時には脱線気味に前に進んで行った。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「ひょうげ祭り:神馬に神官が跨る」
 「ひょうげ祭り」の行列の中に車輪の付いた台座に実際の馬より大きいのかなと思われる「神馬」が乗り、その上に「神官」が跨り、それを引っ張って行列していた。
 写真中央には、神官と話をするように差し上げている子供さんが見え、その左には長い竿の先につけた小さな「日傘」が見えている。
「ひょうげ祭り:可愛い巫女さんの行列」
 「ひょうげまつり」の行列に、赤い袴をつけた可愛い小学生の10人ほどの「巫女さん」が続いてきた。
 手には「榊(さかき)」の枝を持ち、幾分、緊張気味の行進であった。
「ひょうげ祭り:毛槍(けやり)」
 「ひょうげまつり」の行列が休憩のために止まると、道で毛槍の投げ渡しが行われていた。
 竿に藁(わら)を付けたという槍を、道の東側の奴姿の人が投げ、西側の人が上手に受け取るというものである。
 ときたま上手く受け取れず、観客に竿が接触するという場面が見受けられた。
「ひょうげ祭り:天狗さん」
 「ひょうげまつり」の行列が休憩のため休んでいるところで、天狗さんの顔には「鼻高の面」を被っていた。
 天狗さんの手には、竿にクネクネと巻きついた瓢箪を持っており、前にはお賽銭を入れてもらうザルを持っている人がいた。
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2014年10月06日

「高松市香川町のひょうげ祭りA」


[ 07:21 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ K祭り・名所・旧跡・公園 ]
「ひょうげ祭り:子供さんの行列」
 「ひょうげ祭り」は、最後に行く「新池」を築いた矢延平六さんの徳を偲ぶとともに、豊作を祝う行事として古い歴史を誇っており、高松市指定無形民俗文化財に指定されている。
 参加する子供さんたちも大人と同じような衣装を付け、顔にメークをして、面白い顔をした人形が乗った拵えものの神馬を、引っ張っていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「ひょうげ祭り:大人の皆さま」
 「ひょうげ祭り」の大人の行列が、ゆっくりと進んで行った。
 天狗さんや毛槍の竿が見えている。
「ひょうげ祭り:大人の衣装姿」
 飼料袋で作った上下の衣装を見事に着こなした侍姿、そのにこやかな笑顔が素晴らしかった。
 手に持つ竿に「ひょうげまつり」と書いた幟が揺れており、トレードマークの○池の文字が胸の両側にも貼られていた。
 前の人が右手に持っているのは「鉄砲」か、二人目の方の右側に、「鼻高の面」がちょっと覗いている。
「ひょうげ祭り:天狗さんが歩く」
 「ひょうげ祭り」の一行の中で、ひときわ背の高い天狗さんが歩いており、テレビカメラが写していた。
 背の高いのは、20cmはあろうかという高下駄を履いているからで、長時間履いたまま歩くと疲れるのか、時々隣の人の肩を借りて高下駄から下りて休んでおられたようであった。
 この時には、天狗の面を外しているようであった。
「ひょうげ祭り:辛櫃を担ぐ人」
 「ひょうげ祭り」の一行、辛櫃(からびつ)を前後二人で担いで運んでいた。
 辛櫃とは、衣服・甲冑、文書・調度品などを入れるのに用いられたらしい。
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2014年10月05日

「高松市香川町のひょうげ祭り@」


[ 07:50 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ K祭り・名所・旧跡・公園 ]
「ひょうげ祭り:香川支所に車をおいて歩く」
 9月14日、ちょっと早めに家を出て「ひょうげ祭り」を見るため高松市役所香川支所に着いた。
 香川支所には高松市役所の職員さんがおられお世話をされており、ひょうげ祭りの送迎バスの乗降所になっているが13時発車でまだ1時間以上あったので、チラシをいただき出発地点となる「香川町浅野地区集落研修センター」まで歩くことにした。
 足腰不自由な身であるので景観を楽しみながらゆっくり歩いたが、この日は暑く汗がでるほどであった。
 写真は支所からセンターまでの風景である。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「香川町浅野地区集落研修センター」
 約50分以上かけてようやく「香川町浅野地区集落研修センター」に辿り着いた。
 よく実った田圃の中にある「研修センター」には、大勢の人で埋まっていた。
 「ひょうげ祭り」は、水の恵みに感謝し、豊作を祝うお祭であり、今回で2回目の見物であった。
「ひょうげ祭り:神具」
 「香川町浅野地区集落研修センター」には、神馬や御輿などが並べて置かれていた。
 「ひょうげ祭りには、農産物や生活用品の桧葉、竹、紙、シュロ皮、ワラ、サトイモ、ナス、ヘチマ等で作られた神具(御輿、神馬、奴、鋒(ほこ))が使われ、香川県指定有形民俗文化財になっている。」※高松市の文化財による。
「ひょうげ祭り:供侍の奇抜な顔と衣装」
 「ひょうげ祭り」は、家畜用の飼料が入っていた袋や、野菜などで作った衣装を身に着けた大勢の人が約2kmの道を練り歩くものである。
 御輿の渡御(とぎょ)に伴う供侍は、飼料袋の裃(かみしも)に、サトイモの茎の刀、かぼちゃの鞘、頭にはシュロの鬘(かつら)をつけ、サトイモの葉っぱを笠にして、顔に黒や赤色などでメークを施した何ともユニークな顔立ちであった(切り込み写真)。
「ひょうげ祭り:子供さんから取材」
 「香川町浅野地区集落研修センター」には、祭りに参加する大人と同じような格好をした浅野小学校の児童が、集まっていた。
 この方々から取材をされたが、持っていたメモ帳の写真を撮らせてもらった(切り込み写真)。
 質問は、「どこから来ましたか、何で知りましたか、何が楽しみですか。」などであった。
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2014年10月04日

「萩原寺の萩の花A」


[ 07:52 ][ 自然・環境:動物・植物・魚 ][ C神社・仏閣 ]
「萩原寺の仁王門」
 萩の花を見に9月21日に観音寺市大野原町の「萩原寺」を訪れている。
 「仁王門」に向かっていると、若い着物姿の娘さんが石段を上がっており、野だて茶会をお手伝いする方々でないかと思った。
 仁王門前の看板に「大野原町(現観音寺市)有形文化財指定 寺伝によると、この門は室町時代の管領、細川勝元公がうち続く戦乱に際し、戦勝祈願の温座護摩の祈祷を寺に命じ、その見返りとして奉納したものと伝えられている。屋根は本瓦葺で、門としては珍しい寄棟造りでその形式は三間二戸八脚門である。」と書かれてあった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)

「萩原寺の前にある池」
 「萩原寺」の右前に「前池」があり、その東と北の堤防に多数の萩が植えられ、咲いていた。
 四国新聞記事によると、「前池」の堤防改修のため参道横に群生するハギは、今年で見納めになるといい、綺麗な花が見えなくなってしまうのだろうか。
「萩原寺の本堂」
 客殿がある所から石段を登った小高い所に「萩原寺本堂」があった。
 本堂には紅白の幕が巻かれており、礼服を着られた人が三々五々本堂に上がり込んでおり、何やら法要があるみたいであった。
 「萩原寺」は、平城天皇の大同2年(807年)に弘法大師空海さんが開基したと伝えられており、この本堂は18世紀初めの御堂であるという。
「萩原寺の野だて茶会」
 「萩原寺」の本堂の横には、緋毛氈(ひもうせん)が敷かれた床几が並び、受付にも人が座っていたのでお聞きすると、10時からといわれたので待っている時間がなかった、お茶をいただくことが出来なかった。
 去年来た時は、お茶とお菓子をいだいている。
「萩原寺駐車場の脇の彼岸花」
 「萩原寺」の駐車場の周囲にも萩の花がたくさん咲いていた。
 萩原寺を出て駐車場に向かっていた時、萩の花の手前で二人連れが携帯電話で写真を撮られており、なにがあるのかと近づくと綺麗な「アゲハチョウ」がヒラヒラと彼岸花に取りついていた。
 逃げないでいてくれた蝶の写真を、どうにか写真に撮ることができた(切り込み写真)。
 駐車場を出て三豊市仁尾町に向かって、車を走らせた。
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2014年10月03日

「萩原寺の萩の花@」


[ 08:02 ][ 歴史・文学:神社・仏閣 ][ L食べ物・草木花など ]
「観音寺市大野原の萩原寺の大門」
 高松市塩江町の「最明寺」とともに「萩の寺」として有名な観音寺市大野原町の「萩原寺」、萩まつりが開かれているという情報をもとに、9月21日に訪れた。
 「萩原寺」の萩の木は、約40年前に植えて今では約15種の2500本が境内で花を付けているという。
 今年は例年より早めに開花しており、訪れた時には少し盛りが過ぎているように感じられた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)

「萩原寺の客殿」
 「萩原寺」の「本堂」、「護摩堂」、「客殿」、「鐘楼」「手水舎」「大門及び番所」が7月18日の文審議会で、登録有形文化財に答申された。
 この茅葺屋根の「客殿」は、1764(宝暦14)年頃に建てられた木造平屋建てで、四方の軒を瓦葺にした四方蓋(しほうぶた)形式で、寺院としては珍しい建築様式であるという。
 「客殿」の庭には、赤い布の敷物が敷かれた腰掛け椅子の上に日除けの和傘が開いていた。
「名物萩だんごの屋台」
 「萩原寺」の大門を出た境内の参道に「団子やさん」が店開きしていた。
 お店の前の床几に座って美味しそうに「ほうばる」ご婦人につられて、二個買ってお土産とした(切り込み写真)。
「萩原寺の大師堂」
 萩原寺仁王門の手前を左に折れて奥に「大師堂」がある。
 大師堂の前の参道では、骨董市を店開きするための準備に大わらわであった。
 
「萩原寺の常夜燈にミツバチが」
 萩原寺仁王門の前の直ぐ左に、いかにも古めかしい「常夜燈」が建っていた。
 「常夜燈」とは一晩中つけておく灯火らしく、電気のない昔に一晩中点いているロウソクがあったのだろうか、また途中で取り換えていたのだろうか。
 この「常夜燈」の付近にミツバチがたくさん飛び回っており、よく見ると積み重ねた石と石の間に穴が開いており、穴にミツバチが出たり入ったりしていた。
 おそらくミツバチの「巣」がこの石の割れ目にありそうで、刺されないようにこの場所をゆっくりと離れた。

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2014年10月02日

「記念の切手とハガキ」


[ 07:11 ][ 観光・レジャー:その他 ][ Mその他 ]
「地方自治法施行60周年記念切手」
 日本郵便が9月10日から発売した「ふるさと切手 地方自治法校60周年記念シリーズ」、「地方自治法施行60周年」を記念して各県で発行しており、わが香川県の記念切手ということで早速購入した。
 各県の文化、自然、観光、歴史等を検討してデザインを決めたという82円切手が5枚ついたシートであった。
 一番上にただ一つあるのが「栗林公園」の切手で、「四国で唯一、国の特別名勝に指定されており、四百年近い歴史を誇る江戸初期の回遊式大名庭園です。」と説明されていた。
(参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「平賀源内・エレキテルの切手」
 切手シートの中央左にあるのが「平賀源内・エレキテル」の切手である。
平賀源内は1728年(享保13)年に讃岐志度浦(現在のさぬき市)に生まれ、本草学、蘭学、戯作(げさく)など多岐にわたり、その活ま、特に静電気の発生装置「エレキテル」を復元した。
 写真は左上の50円切手が、消費税率が4月1日に改定されたことに伴い52円になっている。
「丸亀城の切手」
 切手シートの中央右にあるのが「丸亀城」の切手である。
 丸亀城は江戸時代初期に築かれたお城で、全国に現存する木造天守十二城の一つである。
 その石垣は「扇の勾配」と呼ばれる見事な曲線を描いており、二重三層の天守閣は重要文化財に指定されている。
 写真は上の80円切手が、消費税率が4月1日に改定されたことに伴い下の82円になっている。
「琴弾公園銭形砂絵の切手」
 切手シートの下左にあるのが琴弾公園「銭形砂絵」の切手である。
 琴弾公園は、国の名勝に指定されおり、公園内の白砂に描かれた「寛永通宝」は、東西122m南北90mもある巨大な砂絵で琴弾山々頂からその全景が見渡せる。
 写真左の50円のハガキが、消費税率が4月1日に改定されたことに伴い右の52円になっている。
「オリーブの切手」
 切手シートの下右にあるのが「オリーブ」の切手である。
 オリーブは香川県の県花・県木であり、全国の生産量の95%を占めており、1908(明治41年)年に試験的に植樹したオリーブが、日本のオリーブ栽培の始まりという。
 どういうわけか「屋島」の切手がなく非常に残念に思った。
 写真は郵便局で貰った郵便料金改定のチラシである。
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2014年10月01日

「香南歴史民俗歴史館の催し」


[ 07:15 ][ 文化・伝統:文化施設 ][ Mその他 ]
「香南歴史民俗歴史館で遺跡発掘調査速報展」
 高松市報に載った高松市香南町「香南歴史民俗歴史館」で開かれていた平成25年度遺跡発掘調査速報展」を、9月14日に訪れた。
 建武三年(1336年)に足利尊氏に従って戦死した父の功績により香川郡井原荘を賜った由佐氏の居城跡で、香南歴史民俗郷土館はその由佐城跡に建築されたもので、お城と見間違うような建物である。
 左下の切り込み写真は、東側にある玄関入り口である。
(参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「香南歴史民俗歴史館のお堀の鯉」
 「香南歴史民俗歴史館」になっている由佐城跡の屋敷内には内堀、土塁跡を見ることができるとあったが、駐車場から玄関にかけてのお堀には、とっても綺麗な水を湛えていた。
 入り口付近を通りかかると、人の気配を感じるのか口をパクパク開けて寄って来た。
 餌をやってもいいのか分からないが、餌になるようなものは持ち合わせていなかった。

「香南歴史民俗歴史館にあったポスター」
 「香南歴史民俗歴史館」の入り口には、「埋蔵文化財展 平成平成25年度遺跡発掘調査速報展 去年もようけ掘ったでー」と書かれたポスターが貼られていた。
 「佐料遺跡(鬼無町佐料=弥生時代)」、「太田下・須川遺跡(太田下町=弥生〜古墳時代)」、「相作馬塚(弦打町=古墳、中〜近世)」、「鵜羽神社境内遺跡(屋島西町=弥生〜古代)」、「稲荷山姫塚古墳(室新町ほか=古墳時代前期)」、「林宗高遺跡(林町=弥生、近・現代)」、「上林本村遺跡(上林町=弥生時代)」、「高松城跡丸の内地区(丸の内=近世)」の8カ所であった。
「鵜羽神社境内遺跡」
 「香南歴史民俗歴史館」で開かれていた埋蔵文化財展で、一番見たかったのは「鵜羽神社(うのはじんじゃ)境内遺跡」であった。
 この弥生時代〜飛鳥時代の遺跡がある神社は高松市屋島西町にあり、平成25年8月20日から9月3日に調査が行われ、讃岐三白の一つにも数えられる塩づくりの起源が明らかになりつつあるという。
 出土した製塩土器がたくさん展示されていた。

「高松城跡からの出土品」
 玉藻公園の南側の四国電力本社付近では道路拡張工事が行われており、道路になる部分の調査個所からは、多数の井戸やトイレなどの遺構や陶磁器、瓦、鉄製品、土製品など多量の遺物が出土したという。
 この調査により高松城跡の中堀と外堀の間に広がる武家屋敷の様子が明らかになっているという。
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