屋島のできごとさんのブログ
ブログに書込みできません
屋島のできごと
徳島に生れ育ち、四国四県を渡り歩き 、現在高松市に住む。 前月等のプログを見る場合は、下のカレンダーの月の部分の青色の「く」の部分をクリックしてください。(写真は、屋島山上の談古嶺から見た初日の出:H31.1.1撮影)
≫ 詳細はこちら
<  2014年09月  >
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
ブックマークする
メッセージを送る
友だち申請をする


全体表示(2991

定番ジャンル(2632)
  • うどん(7
  • まち・生活・学校(226
  • 観光・レジャー(1561
  • 文化・伝統(149
  • 自然・環境(442
  • 歴史・文学(247

マイジャンル(2958)
  • Mその他(57
  • L食べ物・草木花など(115
  • K祭り・名所・旧跡・公園(161
  • J県外の旅(260
  • HJR四国・琴電(30
  • Gウォーク・里山(286
  • F栗林公園・玉藻公園・中央公園(206
  • I高松市内(336
  • E源平史跡(4
  • D四国村(90
  • C神社・仏閣(259
  • B屋島周辺(590
  • A屋島の道(遍路道等)(72
  • @屋島山上(492

ブログ内検索

メニュー

最新コメント

アクセス数
今日のアクセス数 54
昨日のアクセス数 510
総アクセス数 1216850
2014年09月30日

「かがわ島フェスタと『にっぽん丸』」


[ 07:56 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ I高松市内 ]
「かがわ島フェスタが開かれていた」
 サンポート高松のシンボルタワーホール棟1階展示場で、「かがわ島フェスタ」が開かれていたので、立ち寄った。
 県内の23の島が参加しており、各島の特産品が展示即売されていた。
 会場入り口には、「かがわ島フェスタ」のポスターを持った観音寺市のマスコットキャラクターの「銭形くん」がお客様に愛嬌を振りまいていた。
(参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「観音寺市のコーナー」
 観音寺市のコーナーには、「銭形くん」の人形が置かれ、島内に猫が多い伊吹島を「ネコの島」と紹介したポスターが貼られ、伊吹島のいりこなどの特産品がたくさん並べられていた。
 観音寺市のコーナーの隣に多度津町の「高見島」のコーナーが設けられており、ここで伝統食といわれサツマイモが入った「茶がゆ」をいただいた(100円)。
「漂流郵便局」
 展示されている机の上に赤い「漂流郵便受け」が置かれていた。
 男女の郵便局員が写るチラシを手に取ると「漂流郵便局(旧粟島郵便局)は、瀬戸内にあるスクリュー型の小さな島、粟島の丁度おへその部分にあります。ここはかってたくさんの物、事、人が流れ着きました。こちらは、届け出先の分からない手紙を受け付ける郵便局であり、「漂流郵便局留め」という形で、いつか宛先不明の存在に届くまで漂流私書箱に手紙を漂わせてお預かりいたします。」とあった。
「高松港岸壁ににっぽん丸の姿を見る」
 クルーズ客船「にっぽん丸」が高松港にやってくるのは知っていたが、それが今日だったとは知らずに「高松シンボルタワー」を出て港まで来ると、大きな船が停泊しているのに出くわした。
 28日の8時30分頃に353名の乗客を乗せて高松港に入港し、19時頃までバスツアーの@小豆島コースA琴平、栗林公園、屋島コースB瀬戸大橋、岡山後楽園、倉敷コースに出かけられており、この時間帯には乗船客がおられないようであった。
「高松港ににっぽん丸が寄港」
 高松港の岸壁に停泊している大型船の「にっぽん丸」、「飛鳥U」とともに最近何回となく寄港していることから、以前と比べて見物する人は少なかった。
 全長166.6b、総トン数22,472トン、乗客定員398人、乗組員数230人の「にっぽん丸」に比べて「飛鳥U」は、全長241.0b、総トン数50,142トン、乗客定員1010人、乗組員数470人とかなり大きく、「にっぽん丸」は岸壁に延長した係留施設を使わずに納まっていた。
[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=346173
2014年09月29日

「屋島山上」


[ 07:13 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ @屋島山上 ]
「屋島山上のモミジ」
 朝ごろには寒さを感じるこの頃になり、屋島山上のモミジも色が付き始めている。
 いま改装中の屋島山上のホテル「望海荘」前のモミジの木も、遠くから見れば赤くなってきていた。
(参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)

「新屋島水族館へ行く園児たち」
 屋島山上の「獅子の霊厳」から右回りで遊歩道を巡っていた時、たくさんの可愛い園児さんに出会った。
 暑い季節が去り絶好の行楽日和となり、駐車場でバスを降り、水族館まで歩いて来られていた。
 この道を車が来た時には一斉に立ち止ってやり過ごしており、このあと水族館へと楽しそうに入っていっていた。
「談古嶺の栗の木」
 屋島山上遊歩道の「談古嶺」から見る景色は、天気がよかったこともあって素晴らしかった。
 去年来た時に遊歩道に栗の木があるのを知ったが、この日に急に思い出して足を延ばしてみた。
 木々の間に肩身のせまそうに生えた一本の栗の木、やっぱり来る時期が遅かったのか空のイガグリが落ちているばかりであったが、よく探してみると厚みの薄い実の栗を5個だけ拾い上げた。
「屋島の南にある展望台から見た景色」
 屋島南嶺の遊歩道にある「展望台」から見た、高松市の南部方面の風景である。
 よく刈り込んだ三本の木の間からは、高松平野が広がっており、清々しい風が吹いていた。
「屋島遍路道」
 この日はバスで上がったが、下りしなには遍路道を歩いて下りた。
 遍路道の「畳み石」の付近で、左上には木に隠れてはいるが復元された「屋島城」の城門があるところである。
 右方にある小さな山は「前田山」で、山頂にはテレビ中継塔が見えている。
[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=346094
2014年09月28日

「屋島山上の風景」


[ 06:31 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ @屋島山上 ]
「屋島寺」
 屋島山上へ車で登る「屋島ドライブウェイ」を無料化しようという話が出ているが、そのドライブウェイを通ってシャトルバスに乗って屋島山上の駐車場に着いた。
 山上駐車場から四国霊場84番札所「屋島寺」に至る参道を進んでいた時、「金木犀(きんもくせい)」のいい匂いが漂ってきた。
 どこから匂って来るのかと探して屋島寺の「東大門」を入ると、門の左側に数本の金木犀の木があり、さらに進むと大師堂の横にある「一顧不動尊」の周りからもよく匂ってきていた。
(参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「屋島寺本堂脇の金木犀」
 屋島寺大師堂と本堂に参拝し、本堂と宝物館との間にある大きな「金木犀」の花が盛りのように咲いているのを見つけた。
 屋島寺境内には、あちこちにある「金木犀」の木から出るよい匂いに満たされていた。
 花は、葉の間に小さな黄色い花びらをたくさん付けており、しばらくは香りを楽しむことができそうであった。

「屋島の獅子の霊厳からの眺め」
 屋島山上にある「県木園」から眺めた高松市西方の眺めである。
 「獅子の霊厳」でタクシーから降りた老齢の県外客に運転手さんは「今日はよく瀬戸大橋が見えている。あれが鬼が島、高松の港、屋島の塩田跡、はるか向こうに見える台形状の山が金毘羅さん」というように説明されていた。
「ススキの穂の向こうに見える女木島」
 これから本格的な秋を迎える屋島にも、ススキの白い穂があちこちで見かけるようになっている。
 屋島湾の向こう側には、高松港から北沖約4kmでフェリーで約20分の女木島(鬼が島)が浮かんでいる。
 この時期、観光客も増えているのだろうなと思われた。
「屋島の獅子の霊厳から北方」
 屋島山上の「獅子の霊厳」から北方を見ると、瀬戸の海に「男木島」が見えていた。
 青い海を滑るようにゆっくりと高松東港に向かう船は、ジャンボフェリーで神戸港を6時に出航し、高松に10時45分に着く予定になっている。
 競馬場や甲子園に行っていた時によく利用していたが、久しく乗っていない。
[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=346033
2014年09月27日

「eとぴあ講座と屋島周辺」


[ 07:11 ][ 文化・伝統:文化施設 ][ B屋島周辺 ]
「 eとぴあ講座:自分史作成」
 eとぴあ・かがわの講座「自分史作成(2)」が先週に続いて、9月25日にあり参加させていただいた。
 午前中は、講師やアシスタントの皆さんに質問しながら「自分史」を作成してゆくもので、24日にeとぴあ5階のパソコンをお借りして作り始めていたので、なんとか午前中には完成を見ることができた。
 午後2時過ぎに作成した作品を5〜6人のグループで発表し、最後に二人が前に出て発表することになり、どのようにして選ばれたのか分からなかったが、受講席の真ん中のパソコンに作品を写して発表する機会を頂いたので、しっかりと「屋島のできごと」について宣伝させてもらった。
「口銭場川の萩の花」
 高松市屋島西町を流れる「口銭場川」の河川敷にまだ「萩の花」が健在であったので、またまた写真に撮った。
 なんという品種かは分からないが、花の大きさが普通見るより大きく、色も赤く鮮やかであった。
 この河川敷には、この一本だけであった。

「琴電屋島駅前のバス停」
 屋島山上へバスで行くため「琴電屋島駅」前に行くと、たくさんの人が集まっていた。
 これでは9時45分発には、とても乗ることができないなと諦めていたが、ちょっと早めに着いたバスには臨時便の表示があり、定刻に二台目のバスが到着し、無事乗ることができた。
 この人たちはウォーキングのグループで、バスに乗り込む前に体操をしていたので、一緒に体操に参加させていただいた。
「大宮八幡神社の例大祭の日」
 屋島遍路道を下りてきて大宮八幡神社にお参りして鳥居さんの所まで来ると、掲示板に今年の例大祭の宵宮祭が来月11日に、氏子祭と神幸祭が12日にあると告知されていた。
 合わせて玉垣に初めて見る「屋島大宮八幡神社秋季大祭」のポスターが貼られていた(切り込み写真)。
 屋島山上のボランティアガイド事務所やJR屋島駅にもポスターが貼ってあったが、窓ガラスに貼ってあるため自分の姿や外の景色が写り込み見づらく、写真に撮ると残念ながら影でごちゃごちゃになって写ってしまった。
「赤い実はなんだろうか」
 民家の前の細道を歩いていた時、所々穴があいたピンポン玉のような赤い色の実がなっており、写真を撮らせていただいた。
 はたして何という名前なのか分からないが、今まで見たことがない珍しい木の実のようであった。

[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=345994
2014年09月26日

「四国村のご紹介(最終)」


[ 07:13 ][ 文化・伝統:文化施設 ][ D四国村 ]
「四国村の旧吉野家住宅」
 高松市屋島中町の「四国村」に徳島県の太平洋に面した断崖の下にあったという「旧吉野家住宅」は、昭和63年に高松市指定有形文化財に指定されており建築年代は、19世紀前半と考えられており、切妻造り平屋建て本瓦葺きの家である。
 「江戸時代 太平洋に面した徳島県海部郡美波町伊座利にあった漁師の住宅である。海からの風が強いため、瓦葺で一般に軒が低く、海側には風よけの石垣が築かれていた。」※高松市の文化財より。
 漁師の家ということで、入り口にはちょっと朽ちた船が展示されている。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「四国村の異人館」
 四国村の出口とティールームを兼ねている「異人館」がある。
 「この建物は、明治38年(1905年)、英国人ワサ・ダウン氏の住宅として、神戸市生田区北野町に建てられ、昭和19年から日本郵船(株)の船員寮として改造、使用されていたものです。四国民家博物館建設にあたり、日本郵船の特別なご好意で寄贈され、神戸市居幾委員会のご理解とご指導によって、最初の姿に復原移築されました。」とある。
「四国村の郵便ポストと電話ボックス」
 四国村の「異人館」の前に「郵便ポストと電話ボックス」がある。
 郵便ポストの看板に「このポストは今から約100年ほど前ロンドン市内にあったものです。投函口は市内宛と地方宛にわけられています。夏目漱石が留学中、このポストに日本宛の郵便物を投函したともいわれています。」とあった。
 電話ボックスはイギリスで約100年余り前まで使われていたもので、昭和57年(1982年)に現地の古道具屋で買ってきたそうで、高さ2.6b、90a四方で、日本の一般のボックスよりやや大きく、四方の上部に「TELEPHONE」の文字がある。
「四国村の金毘羅燈籠」
 四国村の「流れ坂」を登り始めた所に「入場口」があるが、その脇に高さ約3メートルの寛政6年(1794年)に作られた「石燈籠」が建っている。
 もともとは四国村に移築されている「アーチ橋」と同じく、高松市国分寺町新名石舟にあったものを写したものである。
 「高い石積基壇と四段積の台座の上に建つ江戸後期の石灯籠で、意匠は「常夜燈」よりも簡素であるが、正面に「金毘羅大權現」と刻し、金毘羅街道の道標としての格を示している。」※文化庁ホームページより。

「四国村の我が国最古の公衆電話ボックス」
 四国村がオープンして間もない昭和51年(1976年)12月14日に、「我が国最古の公衆電話ボックス」が四国村に設置された。
 これは、「逓信総合博物館」にある、明治33年10月に東京・京橋に建てられた模型を参考にして、四国村入り口の茅葺屋根の「民芸品売店」横に復元したものである。
 丁度、うどん屋さんの「わら家」へ下りる石段の降り口にあり、電話機を外すとツーという信号が聞こえてきたので掛けることができる公衆電話であった。
[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=345915
2014年09月25日

「四国村のご紹介G」


[ 07:09 ][ 文化・伝統:文化施設 ][ D四国村 ]
「四国村の醤油蔵と麹室」
 高松市屋島中町の「四国村」の「小豆島の石蔵」から東方向に坂を下りて行った所に、昭和61年に国指定重要有形民俗文化財に指定された「醤油蔵と麹室」がある。
 「東かがわ市引田の醸造家で永年しようされてきたもの。天保9年(1838)に作られた仕込桶や、押槽(おしぶな)など昔の用具を使って醤油作りの作業場を再現した。」※パンフレットより。
 「明治時代 醤油製造のための建物と用具の指定。西と東、2棟の仕込蔵には麹室が付属している。さらに地域色豊かな醤油醸造用具が、系統的に収録展示されている。」※高松市の文化財より。

「四国村の醤油蔵の井戸」
 「醤油蔵」の建物の北側には、古そうな井戸があった。
 井戸の横には、「はねつるべ」の支柱が残っており、広辞苑によると
 「撥釣瓶(はねつるべ) 柱の上に横木を渡し、その一端に石を、他端に釣瓶をとりつけて、石の重みで釣瓶をはねあげ、水を汲むようにしたもの」である。
 昔の我が実家の井戸もこの方式で、離れた所に合った風呂場へ、何回も水を汲んで運んだものである。
「四国村の旧前田家土蔵」
 四国村の「流れ坂」の途中の西側に、明治初期に高知市布師田に建てられ「旧前田家土蔵」が移築されている。
 この土蔵の周囲の壁面に、雨が多い高知地方であるがために壁に雨水がしみ込むのを防ぐため、壁に二、三段の「水切り用かわら」が取付けられており、「水切土蔵」ともいわれている。
 土蔵入口横に番屋と呼ばれる隠居屋と離れ座敷を兼ねた立派な部屋が付いていた。
「四国村の旧丸亀藩番所」
 「旧前田家土蔵」の下方に「旧丸亀藩番所」がある。
 昭和58年に香川県指定有形文化財に指定された18世紀に建築されたといわれる寄棟造りの本瓦葺の建物である。
 「観音寺市豊浜町箕浦、丸亀藩西端にあった藩の番所である。間取りは、左側が土間、中央部に3部屋、右側に2部屋からなる。」※高松市の文化財より。
「四国村の火の見櫓(やぐら)」
 後ろのたてものが「旧丸亀藩番所」で、建物前の右側の石柱には「讃州豫州境従之東丸亀領」とある。
 建物前に立つのは昔の「火の見櫓」で、電信柱のような一本の木で出来た柱に、登るための足掛けを取り付け上部に半鐘を吊り下げて、火の見やぐらとした。
 昔は、背の高い建物もほとんどないため、このような高さでも火元が確認できたものと思われる。
[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=345875
2014年09月24日

「四国村のご紹介F」


[ 07:06 ][ 文化・伝統:文化施設 ][ D四国村 ]
「四国村の旧福井家石蔵」
 高松市屋島中町の「四国村」にある流政之氏作の「流れ坂」の途中に「アーチ橋」があり、その横に「旧福井家石蔵」がある。
 高松市国分寺町新名の旧県道で昔のこんぴら街道沿いの「旧福井家」の敷地内にあった石蔵は、明治中ごろに造られた農家の米蔵で、四国では大変珍しく、当時としてはぜいたくな煉瓦(れんが)を床に張ったモダンな建物である。
 ここでは、時折園児たちのひな人形が飾られたりのイベントに使われている。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「四国村の旧三崎の義倉」
 平成8年(1996年)に高知県土佐清水市三崎から「旧三崎の義倉(ぎそう)」が、四国村に移築された
 「三崎の義倉」は、は江戸時代の1819年(文政2)に、庄屋の沖一左衛門らが飢饉(ききん)に備えて、平時に稲や麦を貯蔵しておいて、飢饉の際には種籾(たねもみ)や食料の補助として支給する目的で建てられもので、1940年まで使われていたという建物である。
 「義倉」が保存されている例は極めて稀(まれ)で、当時の農民の暮らしや生活史を知るための貴重な文化財である。
「四国村の警鐘台(けいしょうだい)」
 四国村の「流れ坂」の途中に、「警鐘台」がある。
「警鐘台」という言葉も最近聞き慣れないものになっているが、火事や水害などの際に登って住民に危険を知らすために鳴らす鐘の鉄柱であり、各地の消防団にある。
 この警鐘台は、もと護衛空母「しまね丸」の無線マストであり、志度沖に沈没した船を昭和23年に引き上げた際に、地元のさぬき市志度鴨庄白方の地区が貰い受け、警鐘台として活用してきたものである。
 この警鐘台が用済みとなり、四国村に移築されたものである。
「四国村の消防屯所」
 「警鐘台」の東に「消防屯所 高松市屋島消防分団新馬場」の看板がかかる小屋があり、中には手押し消防ポンプが格納されていた。
 小屋の前には、大正八年三月吉日建立と彫った石柱があり、小屋には国登録有形文化財なのか青い四角形の銘板が取り付けられていた。
 「屯所」という何となく古めかしい言葉であるが、広辞苑によると@たむろする所A明治の初めごろ警察署の称。と書いてあった。
「四国村の石蔵」
 消防屯所の東には、小豆島の土庄町北浦にあった大正4年(1915年)の「石蔵」がある。
 看板によると、「この地区出身で大阪に出て事業に成功した藤原兵太郎氏が大正4年(1915年)、1,297円87銭5厘で建造した「石の蔵」で、藤原氏は公債1万4千円を村へ寄付し、それをこの中へ入れて保管していたという。
 切石積、鉄扉両開、軒蛇腹付陸屋根の異色の建造物である。」とあった。
[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=345815
2014年09月23日

「屋島周辺で」


[ 06:54 ][ 自然・環境:動物・植物・魚 ][ B屋島周辺 ]
「口銭場川の彼岸花と萩の花」
 高松市屋島西町を流れる「口銭場川」の河川敷に彼岸花と萩の花が咲いていた。
 この河川敷は、綺麗に整備がされており毎年のように草刈りが行われているが、写真の向こう側に咲く萩はこの頃になると律義に顔を見せてくれている。
(参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)

「屋島山上瞰蹟亭のススキ」
 秋を迎えて朝方に寒さを感じる今日この頃となり、休憩所がある屋島山上の「瞰蹟亭」前には、ススキの茎が伸び、穂が秋風に揺れていた。
 ススキの穂の間から見える五剣山の姿も、何処となく秋の様相を帯びているように感じる季節となっている。

「遍路道の彼岸花」
 自分の足腰はまだまだのようであるが、屋島の遍路道を上り下りるには、絶好の季節となってきている。
 土曜日に彼岸の入りして、田畑の畦道ではもう盛りが過ぎたと思われる「彼岸花」ではあるが、屋島の遍路道では綺麗に白と赤の花が咲いていた。

「遍路道のドングリ」
 屋島遍路道に頭上から、ドングリの実がどっさりと道路上に落ちていた。
 一本のドングリの木から何個の実が落ちるのか分からないが、拾ってきて土の上に置いておくと必ず芽を出してくるという勢いがこの実にはある。
 ドングリ拾いをしている親子を見ることがあるが、何かよい使い道はあるのだろうか。

「大宮八幡神社の萩の花」
 大宮八幡神社の「神馬」の前の広場に「萩」が植わっているのを初めて知り、その花を見に行った。
 しばらくぶりに神社に参拝したが、残念ながら萩の花は盛りを過ぎてしまっており、もう少し早く見に来ればよかったと思ったことであった。

[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=345774
2014年09月22日

「むれ源平石あかり2014B」


[ 06:59 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ B屋島周辺 ]
「石あかりロード:おいでまい」
 「うどん県おいでまいキャラバン隊」といって、今年は「屋島山上」、「栗林公園」、「琴平」の三カ所で、土、日、祝日に香川県ゆかりの人物に扮した二人組が、1時間くらい香川県の紹介、香川県ゆかりの歌などにより、観光客などに「おもてなし」をされている。
 「屋島」は静御前と武蔵坊弁慶、「栗林公園」は平賀源内と松姫、「琴平」はお玉ちゃんと森の石松という顔ぶれであった。
 いずれも直に見させていただいているが、この日は土曜日というのに各地から六人の皆様が馳せ参じてくれ、楽しい一時を過ごさせていただいた。
(参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「石あかりロード:睡蓮の夜」
 「洲崎寺」裏の交差点を少し北に寄った所に広場があり、毎年、いろいろな大がかりな展示を見せてくれている。
 今年は「マロンエイトが大移動、そこにはなんとモネの睡蓮を想わせる巨大な石あかりが登場!」と紹介されていた。
 写真の中央下部にある四角形の中には、岡谷明照氏の作品No.110の「睡蓮の夜」の作品がライトの光に浮かび上がっていた。
 その向こうにあるのは「庵治 牟礼 子供たちエイトマロンキッズタウン」のコーナーで、たくさんの作品が展示されていた。
「石あかりロード:夜明けのボーダーなど」
 琴電八栗駅から歩いて「駒立岩」付近から折り返して戻る時には、辺りはすっかり暗くなり、作品が石あかりに包まれてくる。
 上の写真は、島本清司氏が出展した作品No.96の「夜明けのボーダー」の作品であった。
 下の写真は、松原和樹氏が出展した作品No.109の「幸運のアメジストドーム@」と作品No.117の「幸運のアメジストドームA」の作品であった。
「石あかりロード」
 上左の写真は、木村裕司氏が出展した作品No.112の「扇」と岡田雅志氏が出展した作品No.111の「ステンドストーン」の作品であった。
 上右の写真は、村井修二氏が出展した作品No.113の「川辺のあかり」の作品であった。
 下左の写真は、中村勇治氏が出展した作品No.130の「ライト・サークル」、下右の写真はNo.97の「歩こう」の作品であった。
「石あかりロード:ストーンマス」
 「むれ源平石あかり2014」も、昨日で終わりました。
 スタッフの皆さま、そしてチラシを配ってくれた学生さん、お疲れさまでした。
 来年もよろしくお願いいたします。
 写真は、入山雅文氏が出展した作品No.139の「ストーンマス」の作品で、蒸気機関車のようで車体下部にライトの光が輝いていた。

[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=345716
2014年09月21日

「むれ源平石あかり2014A」


[ 06:34 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ B屋島周辺 ]
「石あかりロード作品:サボテンなど」
 いよいよ本日(21日)が最終日となる高松市牟礼町で開催されている「むれ源平石あかりロード」へ、9月13日に行ってきました。
 数多くの明りが点灯する作品群、残念ながら写真写りのまあまあのしか紹介することが出来なかった。
 上の写真は、「むれ源平石あかりロード2014」に伏石康宏氏が出展した作品No.31の「サボテン」の作品であった。
 下の写真は、坂本英之氏が出展した作品No.43の「ハートと小さな女の子」の作品であった。
(参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「石あかりロード作品:かさをどうぞなど」
 「むれ源平石あかりロード」の作品を、琴電八栗駅から順に見て回っている。
 上の写真は、「むれ源平石あかりロード2014」に坂本英之氏が出展した作品No.44の「かさをどうぞ」の作品であった。
 下の写真は、同じく坂本英之氏が出展した作品No.48の「無常」の作品であった。
「石あかりロード作品:おはようヒヨコちゃんなど」
 「むれ源平石あかりロード」の作品を、見て回っているが、それぞれに違った面白いと思った作品ばかりであった。
 上の写真は、「むれ源平石あかりロード2014」に落合賢氏が出展した作品No.52の「おはようヒヨコちゃん」の作品であった。
 下の写真は、山田浩之氏が出展した作品No.60の「お話ししましょう」の作品であった。

「石あかりロード作品:TL−2ほか」
 今年で10年になるという「むれ源平石あかりロード」、毎年、夕方に夕涼みがてらに見に行っている。
 上の写真は、「むれ源平石あかりロード2014」に中村勇治氏が出展した作品No.65の「TL−2」(中央)、No.66の「ちょっと一休み(赤)」(左)、No.67の「ちょっと一休み(青)」(右)」の作品であった。
 下の写真は、伏石康宏氏が出展した作品No.70の「言ってみよう」の作品であった。
「石あかりロード作品:ここはどーこだ、洲崎寺」
 「むれ源平石あかりロード」の作品を見て回っては中々手を出せないでいるが、3年前に手ごろな小さな作品を買って今でも床の間に飾り、タイマーで6時から10時ごろまで点灯するようにして楽しんでいる。
 上の写真は、「むれ源平石あかりロード2014」に村井修二氏が出展した作品No.90の「ここはどーこだ」の作品であった。
 下の左の写真は、期間中の土曜日ごとに「石あかり月あかりライブ」が行われていた「洲崎寺」、写真下右は「石あかりロード」の10年の軌跡展で、2005年から2013年の石あかりロードマップがポスターで年ごとに紹介されていた。

[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=345594
コメント
From:e-とぴあスタッフさん
マイブログ ] 
[ 2014/09/21 18:19 ] Re:「むれ源平石あかり2014A」
屋島のできごとさん、こんにちは。

石あかりロードの写真ですね!!
しかも光る前と後!
ありがとうございます!
これは、今日までのようですね〜。
ちょっと頑張って見に行ってきます!
2014年09月20日

「むれ源平石あかり2014@」


[ 07:36 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ B屋島周辺 ]
「石あかりロードを見に行く」
 9月21日が最終日となる高松市牟礼町で開催されている「むれ源平石あかりロード」へ、9月13日に行ってきました。
 自転車ですぐの所というのにいろいろと都合で中々行けなかったが、ようやく行くことができた。
 「神櫛王墓」の近くのお菓子屋さんに作品No.1が置かれ、旧庵治街道沿いの約1kmに160体の「石明り灯ろう」が展示されていた。
 琴電八栗駅前には、近くの小学校の児童の皆さまのコーナーがあったが、今年からは北方に移され、駅前は一新されており右のちょっと高い位置に作品No.2の「化け雪見―根―」(久保榮廣氏作)が展示されていた。
(参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「源平史跡の総門跡」
 安徳天皇が六万寺を行在所とした時に海辺の防御に備えて門を構えた「総門跡」には、「HANABI−SUMMER CARNIVAL−」と書かれた看板とともに、9作品が展示されていた。
 作品Noがなく、特別展示という趣であった。
「トイレの神様と原始フューチャーの作品」
 上の写真が「トイレの神様」と書いてあった作品で、植村花菜さんによる歌の「トイレの神様」を思い出させるネーミングであった。
 琴電八栗駅前から出発し「駒立岩」で折り返してきたが、帰りにはすっかり暗くなって便器の中に明りが灯っていた(右の写真)。
 下の写真は「原始フューチャー」と名付けられており、右の写真は暗くなってから明りが灯るとカラーミラーボールのように地面を照らしていた。
「LOVEと幸せをたくさんの人へ」
 上の写真は、伏石美保氏が出展した作品No.20の「LOVE」の作品であった。
 下の写真は、岡本俊之氏が出展した作品No.22の「幸せをたくさんの人へ」という作品であった。
「まごころじぞうと愛地蔵」
 上の写真は、村井修二氏が出展した作品No.24の「まごころじぞう」の作品であった。
 下の写真は、山田浩之氏が出展した作品No.25の「愛地蔵」の作品であった。
[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=345556
2014年09月19日

「eとぴあ・かがわの講座受講」


[ 06:56 ][ 文化・伝統:文化施設 ][ I高松市内 ]
「eとぴあかがわの講座受講」
 久しぶりに「eとぴあ・かがわの講座」の「自分史作成」を受講した。
 「自分の人生を振り返る自分史をプレゼンテーションソフト(スライドショー形式で表示するソフト)を使って作り、作品を発表してみましょう。」と募集されていたので応募していたものである。
 eとぴあで用意された「高松太郎の自分史(思い出の出来事)」を使ったことがない「パワーポイント」を使って作成するもので、講師先生の話を聞きながらアシスタントに質問しながら何とか一日目の講習が終了した。
 来週は自分の「自分史」の作成を試みるということで、家のパソコンに「パワーポイント」が入っていないため練習も出来ず、果たして完成するのかどうか心配である。
(参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「香川プラザで絵手紙の展示」
 「eとぴあ・かがわ」の講座は午前から午後にまたがってあるため、昼の休憩時間に「かがわプラザ」に入館した。
 おりしも瀬戸内海国立公園指定80周年記念「香川のみどり百選」絵手紙展(夏の部)が開催中であったので、見て回った。
 「あなたに伝えたい、瀬戸内のみどり」がテーマになっており、「秋の部」大募集とも書かれていたのでチョッピリではあるが書いて見るかと思ったことであった。
「新川下流の堰」
 高松市屋島西町の「新川」に「ゴム引布製起伏堰(きふくぜき)」があり、チューブに空気や水を入れて膨らませて水を堰き止めたり、水をチューブの上から流すというものである。
 新川堤防を自転車で通っていた時、このチューブが萎んでおり、何か理由でもあるのだろうかと思った。
「イチョウの木にギンナンの実」
 栗林公園に行った時、イチョウの木に黄色い実をつけていた。
 秋だなあと感ずるとともに、落ちていた実を拾って鼻に近づけると、何とも言えない臭い匂いがしており、その匂いの記憶がしばらく消えなかった。
[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=345513
2014年09月18日

「栗林公園を訪ねてみると」


[ 07:36 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ F栗林公園・玉藻公園・中央公園 ]
「栗林公園に栗林動物園が復活」
 栗林公園の東門の東南の位置の現在「栗林庵」がある所に、「栗林動物園」があり2002年(平成14年)9月30日に閉園してもうすぐ12年になる。
ここに動物園があったことを知っている人が少なくなってきている中、「栗林庵」入り口に写真であるが「栗林動物園」が復活していた。
 写真前面の下部に「なつかしの記念撮影 タイムスリップしたい年月日をご記入いただき、看板の前で記念撮影をどうぞ!」と書いてあり、昨日は2014年9月17日の日付が記入されていた。
(参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「栗林公園の萩の花」
 栗林公園の「芙蓉沼(ふようしょう)」の南に架かる「石梁」に繋がる流れの両側に「萩」の花が咲きだしていた。
 「はぎ」は、草かんむりに「秋」と書いて「萩」と書き、秋を代表する花であるという。
 栗林公園内には「約130株のハギがあり、種類が多い順にミヤギノハギ(39株)、ヤマハギ(39株)、シロバナハギ(23株)、ニシキハギ(18株)、マルバハギ(7株)などです。」※入り口のチラシより。
「栗林公園の芙蓉の花」
 栗林公園の現在工事中の「商工奨励館」前の花壇にある「芙蓉(ふよう)」の赤い花が咲いていた。
 「見ごろを迎えこれから10月中旬頃まで長い間咲き続けます。花色は可愛らしいピンクです。一日花のため朝咲いて夕方にはしぼみます。」入り口のチラシより抜粋。
「栗林公園の蓮の花の今」
 栗林公園の「芙蓉沼(ふようしょう)」には、7月頃には「ハス」の花が見事に咲き誇っていた。
 季節が移って現在はというと、枯れた葉っぱが多くなっており、花があった茎には「種」のようなものがついていた。
 昨日のNHKテレビで徳島・鳴門産の「レンコン」が高松の市場に入荷しているという放送があったが、栗林公園のハスの根のレンコンは、どうするのであろうか、そのままにしておいて来年も花を楽しませてくれるのだろうか。

「今、花が咲いているハス」
 高松市新田町のハス畑で背は低いが、今、ハスの花が花ざかりであった。
 ハスの花には、赤い色と白い色が咲いていたが種類が違うのだろうか。
[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=345434
2014年09月17日

「四国村のご紹介E」


[ 07:54 ][ 文化・伝統:文化施設 ][ D四国村 ]
「四国村の旧中石家住宅」
 高松市屋島中町の「四国村」の旧久米通賢住宅から一段降りた所に、「旧中石家住宅」があり、昭和58年に「高松市指定有形文化財」に指定されている。
「江戸時代の母屋、隠居屋、納屋の3棟からなる。徳島県祖谷地方にあったものを移築、復元した。用途の異なった建物が等高線に沿って並ぶ景観は、昔、祖谷等の山間部に多く見られた。」※高松市の文化財より。
 茅葺の屋根で、主屋は間口5間半(約10メートル)、奥行3間半(約6.36メートル)、間取りは土間がなく、「ウチ」と「オモテ」の2部屋からなっている。
「四国村の旧中石家住宅隠居用住宅」
 旧中石家住宅の隣に隠居用住宅がある。
 昔の田舎は、ある程度の年齢になると父親が仕事を子供に譲り、住まいも母屋から「隠居用住宅」に移るという習わしがあった。
 母家に比べて、幾分小さな建物になっているように思われた。
「四国村の染が滝」
 「旧下木家住宅」付近から流れ出た水が、「添水唐臼小屋」のあたりに堪り、「染が谷」に一気に流れ落ちていた。
 「旧中石家住宅」の母屋と隠居屋との間から滝壺がある所に行くと、昭和26年に発見された古代ハスの「大賀ハス」が一面に植えられていた。
 この滝、昭和52年(1977年)11月に完成しており、水はモーターで循環しているといい、流政之氏の作品だそうである。
「四国村の旧黒瀬家丸亀藩御用蔵」
 「染が滝」から竹林をちょっと上がった所に「旧黒瀬家丸亀藩御用蔵」があり、昭和59年に香川県指定有形文化財に指定されている。
 「丸亀市西平山町にあった丸亀藩の米蔵である。切妻造本瓦葺で、寛政8年(1796)に建てられた。白漆喰、腰瓦、出入口、窓など現代にも通じるデザインが印象的である。」※高松市の文化財より。
 この蔵を持っていた旧黒瀬家は、京極高和が万治元年(1658年)に播州・竜野(現在の兵庫県竜野市)から丸亀に転封された際に、共に移り、京極藩の米を引き受け、海運業でも活躍したと伝えられている。
「四国村のメガネ橋」
 高松市国分寺町新名の旧県道の「石舟池」に架かっていたアーチ式の「石舟のめがね橋」が、県道の拡張に伴って四国村に移築されたのは、昭和57年(1982年)11月であった。
 石橋に刻んだ文字から石材は、明治三十四年に地元の石工兎子尾与次郎が切り出し、兎子尾米吉が築いたらしく、橋の最上部内側の石の両端に、彩色した唐獅子(がらじし)とコイが彫刻してある(切り込み写真)。
 この石橋は、径間3b、幅4.5b、水面からの高さが3bであった。
[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=345377
2014年09月16日

「四国村のご紹介D」


[ 07:41 ][ 文化・伝統:文化施設 ][ D四国村 ]
「四国村の楮蒸し小屋」
 高松市屋島中町の「四国村」にある高知県梼原町から移築した「楮(こうぞ)蒸し小屋」は、高級和紙を作るため楮や三椏(みつまた)を釜の上に積み込んで蒸すための小屋である。
 紙づくりは、楮や三椏を釜に入れ、小屋の中にある釣鐘のような蓋をして蒸して、そして叩いて繊維を潰し、水を加えて掬いあげるという工程だそうである。
「四国村の旧下木住宅」
 四国村の「旧下木住宅」は「剣山の北側、徳島県美馬郡一宇村に残されていた民家。安永十辛丑(1781)三月吉辰日と書かれた棟札があることから、建築年代が明らかな民家として貴重な存在である。」※高松市の文化財より。
 昭和51年に解体されて四国村に復元されており、間口7間(14b)奥行き4間(7.9b)の寄せ棟造り茅葺ぶきであり、間取りは向かって左側に土間があり、中央に板張のナイショ(居間)その隣りにオモテ(座敷)がある。
「四国村の添水唐臼(そうずからうす)」
 これは昭和30年(1955年)頃まで徳島県美馬郡つるぎ町一宇に残っていた「添水唐臼」を、昭和54年(1979年)1月に移転、復元したものである。
 臼に繋がる太い丸太をくり抜き、水を溜め(切り込み写真)て、その重みで杵(きね)を打ちおろして穀類を精米するものである。
 同じように水車で動かして精米する方法があるが、大がかりな装置と水量が必要となるが、こちらは簡単に作れて水が少なくてもよいという優れた昔の自動精米機であった。
「四国村の徳島県にあったシシガキ」
 四国村の「添水唐臼」の裏の境界として、徳島県特産の「青石」が並べて立てられていた。
 この板石は、徳島県美馬郡一宇村(いちうそん)一宇(現美馬郡つるぎ町一宇)にあった「猪垣(ししがき)」の一部である。
 山畑の周囲を板石で囲み、イノシシの侵入を防いでいたというものであつた。
「四国村の旧久米通賢住宅」
 久米通賢は、安永3(1774)年、現在の引田町馬宿に生まれており、坂出沖に塩田を開きその他測量術にすぐれ、軍船、大砲、撃発式鉄砲、ピストルから、扇風機まで発明しました。
 旧宅は、平屋建て寄棟造り茅葺の主屋で四国村小村へ移築するための解体時に天井裏から、測量器具、大砲の鋳型の原形などが発見されたという。
 
[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=345274
2014年09月15日

「四国村のご紹介C」


[ 08:29 ][ 文化・伝統:文化施設 ][ D四国村 ]
「四国村のカンカン石」
 高松市屋島中町の「四国村」にある南予の茶道の右隣に「カンカン石」が、二本のロープでブランコのように吊り下げられており、叩いて音を出すための木槌が用意されていた。
 「この石はたたくと金属質の澄んだ音色がするのでカンカン石とも呼ばれている。高松市の西方にある国分台だけに産出する珍しい岩石で、明治二十四年(1891年)ドイツの地質学者バインシェンクによって讃岐岩質安山岩「サヌカイト」と命名された。」※現地説明板より。
「四国村の旧広島県大久野島燈台」
 南予の茶道から東に来た高台に「旧大久野島燈台」がある。
 「大久野島は広島県竹原市の沖合に浮かぶ周囲四キロメートルの小さな島である。この灯台は明治二十六年島の南端に建設され、翌二十七年五月十五日に初点灯した。光源は当初は石油によったが、大正十四年からは電気に替わった。
戦争中、軍事機密のために大久野島が地図から消されていた時期がある。この灯台はその暗い歴史を見守り続け、平成四年老朽化のため建て替えられることとなった。」※看板より抜粋。
 なお「大久野島」は昔、毒ガスが製造された島であったという。
「四国村の旧江崎燈台退息所」
 さいはての岬や絶海の孤島で沖行く船の安全を支えた燈台守とその家族の住まいだったのが「燈台退息所」であり、昭和30年代になって灯台が無人化されてその役目を終えている。
 「江崎燈台」は瀬戸内海の難所といわれる明石海峡を望む淡路島の北端にあり、明治四年(1871年)に点灯しており、退息所の間取りは中廊下式で、多くは畳敷きの部屋であった。
 平成7年(1995年)2月の阪神・淡路大震災により大きな被害が出て、1998年に四国村に移築された。
「四国村の旧鍋島燈台退息所」
 「鍋島燈台」は坂出市沖の与島町の「鍋島」にあり、明治5年(1872年)に初点灯している。
 この建物は、明治6年2月に竣工しており、昭和30年(1955年)頃まで本来の職員宿舎として使用されていたが、その後は海上保安本部の通信施設になっていたという。
 1998年に四国村に移築復元された。
「四国村の旧クダコ島燈台退息所」
 「クダコ島燈台」は、愛媛県松山市中島町のクダコ島にあり、明治35年(1902年)7月に着工、翌年3月に竣工し、初点燈した。
 燈台の無人化にともなって、この退息所が不要になったので、四国村に移築して復元された。
 
[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=345233
2014年09月14日

「四国村のご紹介B」


[ 07:52 ][ 文化・伝統:伝統文化・工芸・芸術・芸能 ][ D四国村 ]
「四国村の釜屋」
 高松市屋島中町の「四国村」の三棟ある「砂糖しめ小屋」の間に昭和58年に重要有形民俗文化財に指定されている「釜屋」がある。
 ここには、砂糖しめ小屋で絞ったばかりのサトウキビの汁を煮詰めたという三つの大釜が置かれており、これを冷やしたという「冷やし瓶」も据えられている。
 釜屋とは、飯を炊いたり湯を沸かす「釜(かま)」がある小屋をいうが、昔、我が実家の古家でも土間に釜を置いたところを「かまや」と呼んでいた。
「四国村の砂糖しめ小屋」
 四国村では一番上にあるこの「砂糖しめ小屋」は、坂出市林田町から移築した「旧宮崎家」のもので、昭和58年に重要有形民俗文化財に指定されている。
 石臼(いしうす)の間にサトウキビを挟んで牛二頭を使って回転させて絞っていた小屋で、小屋の中にはサトウキビをしめる作業工程の説明パネルが掲げられていた。
「四国村の左甚五郎の墓碑」
 四国村の美術館に向かう途中に、「左甚五郎の墓碑」がある。
 あの有名な江戸時代初期の伝説的名工で日光東照宮の「眠り猫」を彫刻した「左甚五郎」で、晩年に高松藩の生駒家に大工棟梁として仕え、57歳で高松にて没したと伝えられている。
 この墓は、元高松市番町の「地蔵寺」にあったものを、2002年に寺の改築に伴い四国村に移設されたという。
「四国村のギャラリー」
 「四国村ギャラリー」は、四国村創設者の加藤達雄氏が収集した美術品を展示する美術館として、建築家・安藤忠雄氏設計により平成14年(2002年)に開館しました。ヨーロッパの絵画や、彫刻・仏像・青銅器・書など幅広い美術品の数々をゆっくりご堪能いただけます。」※ホームページより。
 館内には、ピカソ・ボナール・ルノワールなどの絵画や、良寛や一休などの日本書画、中国の仏像や青銅器、イランやギリシャ、オリエントの出土品や工芸品など国内外の美術品が紹介されているという。
「四国村の南予の茶堂」
 この茅葺屋根の建物は愛媛県南部の山間部にあった「南予の茶堂」で、昭和64年1月に高松市指定有形文化財に指定されている。
 「茶堂は南予地方に多く見られたもので、四国遍路の休憩の場、接待の場として利用された。嘉永6年(1853)の落書きがあり、その姿から四つ足堂と呼ばれていた。」※高松市の文化財より。
 このお堂に四国村の守り本尊の彫刻家流政之氏の作品の石仏「聖観音菩薩」が安置(切り込み写真)されており、昭和51年10月3日の開村式に瀬戸内寂聴さんを迎えて開眼法要が行われており、瀬戸内寂聴さんがこのお堂を「遊庵」と命名された。
[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=345156
2014年09月13日

「夏の間の写真」


[ 08:48 ][ 自然・環境:動物・植物・魚 ][ L食べ物・草木花など ]
「善通寺さんのスイレンの花」
 ある所の写真を投稿するコーナーへ出した写真が予想どおりことごとくボツになったので、ボツにならないこのブログに載せてみている。
 7月21日に善通寺さんを訪れた際に綺麗に咲いているスイレンを見つけた。
 四国霊場善通寺仁王門前にある「はつかばし」の両側に、水に浮かぶ樽のような丸い1メートルぐらいの鉢があり、紫色や赤色のスイレンの花が咲いており、橋を渡るお遍路さんがしばし暑さを忘れて見入っていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「お日様のようなヒマワリの花」
 8月5日、高松市新田町を自転車で通りかかったときに、ちょっと毛の少なくなった頭のようなヒマワリの花が畑にあった。
 びっしりと実が詰まっており、周囲に残る花びらが、まるで子供さんが描いたお日様のような格好であった。
「屋島遍路道のキノコ」
 8月18日、屋島遍路道でニョキと頭を出した「キノコ」を見つけた。
 笠の直径が約15センチ、笠の下の軸の直径が約2センチという大きなもので、見た目にはバームクーヘンのような色で、美味しそうなタルトのような形であった。

「むかし屋島に駕籠がいた」
 屋島山上のボランティアガイド案内所前に、昔なつかしい記念撮影用の人を乗せて運ぶ駕籠の写真が掲げられた。
 屋島ケーブルが出来るまでは麓からお年寄りなどを運び、ケーブルが出来てからは山上で「屋島遊覧かご」として昭和50年代まで活躍したもので、今でも駐車場から来た所でお客様を待っていた姿が記憶に残っている。
「相引川のヒマワリの花」
 高松市のシンボルである屋島が島であると証明している「相引川」に、地元の皆様が育てている遅咲きのヒマワリが咲いていた。
 太陽の方向を向いて咲くといわれる花が、ここではあちこち気ままに向いており、この辺りのみに残る十二本の松の木も、なかなかの風情があり見事であった。
[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=345073
2014年09月12日

「屋島の周辺」


[ 07:21 ][ まち・生活・学校:まちなみ・おすすめスポット ][ B屋島周辺 ]
「高松市屋島西町の鵜羽神社」
 四国新聞に高松市屋島西町の鵜羽(うのは)神社境内遺跡で、古墳時代前期の製塩に使われた「炉」の跡が見つかったと報道されていたので、9月10日神社へ見に行った。
 この神社へは、浦生(うろ)の「屋島城」の見学で何回か訪れており、多分掘り起こされた遺跡があるのでないかと思ったが、境内にはそれらしきものは見つからず、何処か他の場所にあるかも知れなかった。
 神社前の道路は、半島の先にある長崎ノ鼻の「砲台跡」へと続いている。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「高松市屋島西町の浦生の海岸」
 「鵜羽神社」のすぐ前にある海岸からは、高松港方面や島々が見渡せ、海の空気を吸い込んでのんびりできる場所であった。
 小学校分校跡にある看板によると、「浦生(うろ)の地名は海運物資が集まる室(むろ)から派生したともいわれ、海辺にある鵜羽(うのは)神社には豊玉姫が鵜草葺不合命を出産した地であるとの伝説が残されています。神社の付近は古代の製塩遺跡で、山手には屋島の北嶺と南嶺を隔てる大谷があり、日本書紀で天智天皇六年(667)の条に記された屋嶋城の遺構を見ることができます。大谷は「鑑真ヶ谷」あるいは「弘法谷」とも呼ばれ、屋島寺にゆかりのある高僧が瀬戸内の海路からこの場所に下り立ち、山頂へ登ったという伝承が残されています。高松市」
「高松市屋島西町の屋島とススキ」
 屋島から続く西の斜面に秋をよく表わしている「ススキ(左)」とちょっと背の高い「パンパスグラス(右)」と思われる白い穂が、畑の縁に並んで立っていた。
 ここで東から昇る名月を入れた写真が撮れれば良かったのにと、思ったことであった。
 中央奥の山が屋島南嶺の「獅子の霊厳」で、山頂の一番高く三角に見える所が、「ホテル望海荘」である。
「高松市屋島西町の堤防下に咲く赤いマンジュシャゲ」
 屋島の南麓に「仲池」と「道池(新池)」の二つの池が並んであり、通称「二つ池」と呼ばれており、この「仲池」の堤防下に「マンジュシャゲ」の赤い花が咲いていた。
 この「仲池」の堤防を登ると、池を挟んで「屋島小学校」の校舎があり、校舎の中央には背の高いワシントンヤシの木が五本立っている(切り込み写真)。
「我が家の彼岸花(曼珠沙華)」
 わが家のプランターに植えた「彼岸花(曼珠沙華)」に白くて黄色っぽい花が咲きだしている。
 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)は、天上に咲くという架空の花で、毒があるということで子ども時代には何となく近寄りがたい花のようであった。
[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=344993
2014年09月11日

「屋島山上で」


[ 07:37 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ @屋島山上 ]
「旧屋島ケーブル屋島山上駅」
 「旧屋島ケーブル登山口駅」が無くなっているのを先月見てきたが、「屋島山上駅」がどうなっているのかと、屋島に登ったついでに見に行った。
 元「山上駅」はあるにはあったが、外観上から痛みがひどそうに見えており、建物周囲には「立入禁止」のテープが張りめぐらされていた。
 平成21年(2009年)に「近代化産業遺産」にこの建物が認定されたそうだが、建物を保存するためには早めの補修が必要でないかと思われた。
(参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「屋島のアケビ」
 屋島山上の遊歩道にまだまだ緑色の「アケビ」の姿が見えていた。
 秋が深まり赤く熟れてくると、見る間にその姿を消してしまう恐れがあるので、まだ早いうちにカメラに収めた。
 周囲の緑の葉っぱと同化して、今のうちはちょっと見つけにくい状況にはある。
「屋島山上からの五剣山の眺め」
 屋島山上東側の遊歩道からは、源平合戦の古戦場を挟んだ向こうに「五剣山」の五つの剣のような山頂が見えている。
 瀬戸内海国立公園指定80周年記念事業で坂出市の東山魁夷せとうち美術館で開かれていた「美しき日本 瀬戸内海の風景」のチラシに、昭和7年(1932年)に描かれた藤島武二氏の「五剣山の日の出」が載っていた(切り込み写真)。
 この絵は、屋島山上から見て描かれたようであった。

「旧ホテル甚五郎前のビワの木」
 屋島山上の旧ホテル甚五郎前の崖下に、毎年、春に美味しそうなビワの実を手の届かぬ位置に付けていた背の高いビワの木が倒れかかっていた。
 はるかに高い位置にあった木の上も、手の届く位置になっていたが、このまま枯れてしまうのだろうか。
 弱っていたうえに先日の台風で傾いてしまったようであった。
「黒いキノコ」
 屋島山上にある瑠璃宝池(血の池)の畔に、キノコらしからぬ黒い色のキノコが出ていた。
 最近まで、いろいろな色のキノコを屋島で見かけることができたが、このような黒いキノコを見たのは初めてであった。
 何かしら不気味なように感じた。
[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=344873
2014年09月10日

「屋島山上で屋島小児童からインタビュー」


[ 07:56 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ @屋島山上 ]
「屋島山上の遊歩道でインタビュー」
 9月8日に屋島遍路道を登り、屋島寺仁王門の手前で右折し、遊歩道を新談古嶺から屋島寺の方向に緩い上り坂を歩いていた時、5〜6人の小学生が三人の大人と話しをしていた。
 何をされているのかとその近くに行くと「屋島小学校の4年生です。社会科の勉強でインタビューさせて下さい。時間はいいですか。」と、メモを見ながら話しかけてこられた。
 インタビューは全員の児童から「かわりばんこ」にあったが、元気いっぱいの児童の声が聴け、姿を見て、こちらも元気になれたような気がした。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「屋島山上駐車場」
 屋島山上駐車場にも大勢の屋島小学校の児童が陣取り、無料休憩所の中から見ていると、車を下りて来られた参拝客や観光客に早速インタビューをされていた。
 遊歩道で受けたインタビューでは、最初に何処から来られましたかと聞かれ地元ですと答え、屋島へは何回目かと聞かれ年間100回は来ていると答えた。
 その他「多三郎タヌキを知っていますか」、「談古嶺から源平古戦場が見えることを知っていますか」、「北嶺に行ったことがありますか」、「遊鶴亭を知っていますか」、「獅子の霊厳から瀬戸内海や瀬戸大橋が見えることを知っていますか」、「不喰梨を知っていますか」、「姫ボタルをしっていますか」などを質問され、それぞれ全て知っていると答えさせていただいた。

「屋島山上の屋島寺」
 四国霊場第84番札所「屋島寺」の境内に入ると、ここでも屋島小学校の児童が我先にと近づいてきて、「インタビューされましたか」と聞かれ、済みましたと答えると、「ありがとうございました」とさわやかな返事が返ってきた。
 児童たちは、まだまだ暑い中を観光客などをキャッチすべく元気に走り回っていた。
「屋島山上の屋島寺仁王門」
 「屋島寺」を参拝し「仁王門」を出た所で、手前にある遍路道を歩いて上がってきた人に屋島小学校児童によるインタビューが始まっていた。
 「インタビューいいですか」と聞かれ、「余り難しい話でなければいいですよ」と気軽に応じておられたようであった。
 今日(10日)の四国新聞にJR高松駅で「屋島小 高松駅でアンケート」の記事が掲載されていたが、屋島に来られた人にインタビューするのと違って、JR高松駅で聞いた「屋島」の認知度がに残念ながら低かったようであった。
「屋島遍路道から南の眺め」
 屋島の「遍路道」から木々の間から見える屋島南面の景色である。
 写真中央下に建ち並ぶ建物が「屋島小学校」の校舎であり、屋島へ登る道の側にある。
 中央上部に左から右にある緑の帯が、「新川」の流れで、もうちょっと右のの写真に写っていない地点で「春日川」と合流し、屋島湾にそそいでいる。
 建物の間にある今は緑の田圃も、黄金色に間もなく変色してゆくことでしょう。
[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=344815
2014年09月09日

「四国村のご紹介A」


[ 07:28 ][ 文化・伝統:文化施設 ][ D四国村 ]
「四国村の旧河野家住宅」
 高松市屋島中町にある「四国村」に「旧河野家住宅」がある。
 「愛媛県喜多郡内子町にあった18世紀終わり頃の民家。南予地方の典型的農家で、竹簀子(すのこ)の床や土間に設けられたコウゾ蒸し装置が目を引く。昭和54年、移築、復元された。」※高松市の文化財より。
 この家に入った所に土間があり、一段高い所に「茶の間」と「座敷」の二間があり、全ての床が竹で出来ており、各部屋に囲炉裏が設けられていた。
 「旧河野家住宅」の前の広場には、小豆島の「大阪城残石」が置かれていた。
(参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「四国村のちから石」
 「旧河野家住宅」を出た所に、「若者たちの力だめし ちから石」があった。
 どこかに置かれていたものか、4個の石には刻印があるそうで、「正二十八貫」は105kgもあるそうで、とても抱え上げの出来ない重さである。
「四国村の砂糖しめ小屋」
 「江戸〜明治時代 讃岐三白の一つ砂糖は明治初年まで主力の農産物であった。サトウキビを締めた砂糖しめ小屋は讃岐平野で数多く存在した。様々な砂糖製造用具とともに特色ある民俗資料である。」※高松市の文化財より。「国指定重要有形民俗文化財」
 この小屋は元坂出市にあったものを移築したものである。
「四国村の石碑」
 三棟の「砂糖しめ小屋」に囲まれた斜面に、「四国村」の建設の功績をたたえた記念碑が昭和57年(1982年)5月に完成している。
 昭和51年10月に開館した「四国村」の旧下木家、旧河野家住宅の二棟が重要文化財として指定を受けた機会に建立されたもので、土地提供や民家の鑑定、考証などを行ったり、大工さん、左官さん、屋根師さん、庭師さんなど14人の功労者の名が刻まれている。
「四国村の見学できなかった砂糖締め小屋」
 「旧上原家砂糖締め小屋」は、このときは工事がされており、中には入れなかった。
 「砂糖づくりは東讃白鳥町の医者向山周慶(さきやましゅうけい)によって始められた。あるとき行き倒れの遍路(へんろ)を助けたところ薩摩の良助という男だった。これに頼み、薩摩藩の国禁を犯してサトウキビの苗を持ち出させたという。向山と良助を合わせ祀った向良(こうら)神社が白鳥町にある。」※看板より。
 (注)向山周慶と良助を祀る「向良神社」は高松市松島2丁目にもある。
[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=344753
2014年09月08日

「四国村のご紹介@」


[ 07:09 ][ 文化・伝統:文化施設 ][ D四国村 ]
「四国村の入口」
 高松市屋島中町の「四国民家博物館」は、通称「四国村」と呼ばれており、屋島南嶺の山の中腹にある。
 日本の原風景、ふるさとに出会える場所
 「昔の暮らしが、先人たちの知恵が息づいている、それが「四国村」です。
 四国各地から移築された民家33棟が当時のままの姿で復元され、屋島の南山麓の林やお花畑の中に点在しています。四国村は、忘れかけていた日本のふるさとに出会える場所です。」※入場パンフレットより。
 石畳の坂道を登った所に入場券売り場があり、この建物が高知県宿毛市にある「浜田の泊屋」を模して作られたもので、高床式の土佐の若者組の宿泊所である。
(参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「四国村の祖谷(いや)のかずら橋」
 徳島県の祖谷(いや)地方は、深い谷間に流れる急流が人の往来を阻んでいたが、ここに山に自生している白口かずらを編んで、つり橋を作ることが出来るようになり、対岸との往来が容易になったという。
 祖谷にある「かずら橋」は日本三大奇橋の一つで、四国村のかずら橋は、祖谷地方の技術者を招いて、材料も本場の物を使って架けているという。
 かずらで出来た吊り橋は、揺ら揺らと揺れて足を置く橋の横板が丸太で間があいており、ちょっと怖い感じがする橋である。
「四国村の小豆島の農村歌舞伎舞台」
 「小豆島では秋祭りに農村歌舞伎が奉納された。この舞台は島内にあった20余のうちのひとつで、土庄町小部地区のもの。墨書きから江戸時代末期に建築されたことがわかる。」※高松市の文化財より。
 「高松市指定有形文化財」

「四国村の小豆島のシシガキ」
 四国村の小豆島の農村歌舞伎舞台の上に土塀のような「小豆島のシシガキ」がある。
 山の中にある畑の農作物をイノシシやシカの被害から保護するため、畑の周辺を囲った垣根で、粘土に松葉を入れて造ってあるという。
 昔も今も、イノシシがたくさん居たのだなと思った。
「四国村の旧山下家住宅」
「農村歌舞伎舞台」の上に「旧山下家住宅」があり、昭和56年に香川県指定有形文化財に指定されている。
 「徳島県境に近い山腹にあった住居。寄棟カヤ葺の屋根で、梁は細く、柱はチョウナけずりの栗材を用いている。讃岐の山間部における典型的な江戸時代の農家である。」※高松市の文化財より。
 軒下には、手回しで風力を起こして穀物を選別する唐蓑(とおみ)が、そして土間には米などを精米する唐臼(からうす)が置かれていた。
 唐臼は、一方に石の臼(うす)に穀物を入れて、テコの原理で一方の木の上で人の体重を乗せて押し下げた後、足を外すとドンと木の重みで臼の中に杵が落ちて穀物がこなれる仕掛けであった。
[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=344675
2014年09月07日

「屋島に登る」


[ 06:43 ][ まち・生活・学校:まちなみ・おすすめスポット ][ B屋島周辺 ]
「JR屋島駅前」
 9月6日、JR屋島駅から屋島山上へのシャトルバスに乗り込み、バスが発車するのを待っていた。
 屋島駅前通りの向こうには、屋島南嶺が見えておりバスは約17分で屋島山上に到着する。
 後から二人連れのフランス人が乗り込んできて「四国村」でバスを降りたが、若くて綺麗な人であった。
(参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「屋島寺東大門付近」
 「屋島寺東大門」前に屋島山上を案内してくれるボランティアガイドの案内所があり、土曜日ということで戸が開いていた。
 「顔出し看板」の向こうにある「モミジ」の木もいくぶん紅葉したように見えており、「東大門」をくぐる前に観光客やお遍路さんが立派な門の前で記念撮影しているのに出くわすことがよくある。
「屋島陸上競技場の工事が始まる」
 「屋島寺」に参拝し、「獅子の霊厳」を見て遍路道を歩いて下り、屋島小学校の横から真っすぐと南に向かって「屋島陸上競技場」の横に出た。
 一昨年に老朽化した屋島陸上競技場を閉鎖しており、今年7月17日に起工式が行われて、工事事務所も建てられて新競技場の工事が始まっている。
 敷地を取り囲むように建てられたパネルに張られた看板によると、屋島陸上競技場(仮称)の建設工事の期間は「平成26年6月24日から平成29年2月13日」までと書いてあり、完成まで2年8月かかるそうであった。
 切り込み写真は完成予想図。
「屋島遍路道のセンニンソウの花」
 麓の屋島遍路道の道端に、約2メートル位の木立の上に、たくさんの白い花が咲いたツルが延びていた。
 帰ってネットで調べてみると「センニンソウ(仙人草)」であることが分かり、「果実に仙人ひげのような白い毛」があることからこの名が付いたという。
「屋島神社の参道」
 屋島へ行くときは毎度通る「屋島神社」の参道で、真正面の高台にある社が「屋島神社」である。
 昔の写真を見ると、この参道には背の高い松がずらりと並んでいたが、いまではその数が減ってきている。
 琴電の踏切を越えた所にあるまだ若木のような松の木の葉っぱが、上から下まで茶色になっていた。
 残念ながら枯死してしまうのだろうか。
[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=344594
2014年09月06日

「香川県知事選挙」


[ 08:04 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ B屋島周辺 ]
「香川県知事選のチラシ」
 任期満了に伴う香川県知事選挙は、8月14日に告示され、17日間の選挙戦があって8月31日が投票日であった。
 香川県知事選挙の過去7回の投票率が連続して30%台に低迷しているため、いろいろな形で「街頭啓発運動」が行われ、投票率アップのため投票参加を広く呼び掛けていた。
 タレントの「要潤さん」が出ているインターネットを見たが、「8.31香川県知事選挙 僕の上司を選んでください。」と書いたチラシも手にして、何があっても何時ものように投票に行こうという気になった。
(参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「屋島と香川県知事選のポスター」
 写真は屋島神社の参道であり、横断歩道を左に曲がれば「琴電屋島駅」がある。
 いつも選挙がある都度、その曲がり角に選挙ポスターの掲示板が立てられている。
 今回の香川県知事選挙には、浜田恵造さん(ポスターの上)と河村整さん(ポスターの下)が立候補していた。
「小学校体育館が投票所」
 投票所になっている体育館の前と南側には、今夏に植えた芝生のために、時々自動的に水やりが行われており、突然手前から斜めに噴出した水にとまどった。
 体育館の玄関には、「香川県知事選挙 高松市第22投票区投票所」の看板が立てられており、入った所に受付があり、奥の別の所で投票用紙を受け取り、記載台で立候補者の名前を書いて、投票箱に入れた。
 この投票所では午前7時から午後8時までが投票時間であった。
 投票締め切り後、開票が行われて浜田恵造さん(62)が再選された。
「花壇に雑草が蔓延る」
 選挙投票日の8月31日が児童の夏休みの最終日になっており、校内の投票所までの道すがら学校の「花壇」を見ると、花の中に雑草が茂っていた。
 なかでも丈夫そうな「カヤツリグサ」が踏ん張っており、この草の名前を漢字で書くと「蚊帳吊り草」となり、昔の夏の夜に寝るときに「蚊」を防ぐため部屋に蚊帳(かや)を吊っていたが、子供時代にこの草の茎を引き裂いて蚊帳を吊ったような四角形を作っていた思い出がある草であった。
「相引川のコスモス」
 相引川の河川敷に植えられている「コスモス」の花が咲き始めている。
 地区の人たちがお世話しており、綺麗な「ピンク」、「赤」、「白」の花が所々に花を付けていた。
 9月になっても暑い日があるが、吹く風は秋風のようであった。
[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=344513
2014年09月05日

「あちらこちら」


[ 07:50 ][ まち・生活・学校:まちなみ・おすすめスポット ][ B屋島周辺 ]
「道の駅で梨を販売」
 8月30日、道の駅「源平の里むれ」で、第5回梨祭が開催されており、行ってみた。
 「香川豊南農協梨部会」が生産した「豊水梨」が販売されており、美味しそうな「梨」がたくさん並べられていたので、一袋買って帰って食べた。
合わせて道の駅の店内では、「梨」を使った手作りのスィーツをも売られていた。
(参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「海鮮食堂じゃこや」
 道の駅「源平の里むれ」の外のテントで「梨」を、店内で野菜を買って昼飯に丁度よいかなと思い道の駅内の「海鮮食堂じゃこや」を見ると、大勢の方々が列を作っていた。
 近くの瀬戸内海で獲れた魚介類を中心とした食堂で、この魚が美味しいという評判であったが、おそらく椅子に座りきれないであろうと思い食べるのを諦めた。

「コミュニティセンターにレントゲン車が来る」
 平成26年度高松市健康診査の通知があり、8月28日にコミュニティセンターで「胸部エックス線間接撮影」を受けに行った。
 受付を済まして「コミュニティセンター」内で待っていると、受付番号を呼ばれてレントゲン車の中に入っていくと、ほんの短時間で終わった。


「初日のガールズケイリン」
 8月29日、高松競輪場でガールズケイリンがあったので、香川出身の竹井選手を応援に行った(左から3人目が竹井選手)。
 出場した選手は、右から1番(白)青木志都加(21)京都、2番(黒)飯田よしの(24)東京、3番(赤)矢野光世(23)福岡、4番(青)田畑茉利名(26)千葉、5番(黄)竹井史香(19)香川、6番(緑)加瀬加奈子(34)新潟、7番(橙)伊木雪乃(29)熊本の7人であり、残念ながら竹井選手は4着であった。
 写真はスタート前に精神統一する各選手たち。
「カメの親子」
 高松市新田町の「口銭場川」の流れの中にある大きい石の上に親子の「カメ」が乗っていた。
 首の色が黄色や青色をしており、何かしら奇妙な感じがするカメで、外国から入ってきたカメだろうか。
 川の上の道路からは5メートル位離れていると思われるが、見つめている人の気配を感じたのか水の中に「ズボン」と入っていった。
[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=344394
2014年09月04日

「徳島の阿波踊りB」


[ 07:09 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ J県外の旅 ]
「阿波踊りのうずき連とかもめ連」
 8月12日徳島市の両国本町演舞場に「阿波踊り」を見に来ている。
 徳島市の「両国本町演舞場」は、徳島市内に設けられた演舞場では最長の170メートルもあり、踊り出して演舞場を抜けるまで相当時間踊り続けなければならないため、踊り子泣かせの演舞場と言われている。
 写真上と下左は有名連の「うずき連」で、昭和32年創立の連員数が120名で、ややゆったりしたテンポのお囃子と優雅でしなやかな差し足の女踊り、伝統的な正調阿波踊りを貫いています(徳島新聞(抜粋)より)。
 写真下右が徳島県板野郡松茂町にある徳島航空基地の「かもめ連」で、高張り提灯とは別に飛行機の模型を竿に付けたものを持っていた。
(参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)

「阿波踊りのはなしか連・やめられ連と青山学院連・八千代連」
 写真上が「はなしか連」と「やめられ連」で、写真下が「青山学院連」と「八千代連」である。
 「はなしか連」は落語家さんの連で、踊り終えた演舞場の本部席で「小話」が披露されていたが、本部席から遠い席であったためよく聞くことが出来なかった。
 写真下右の写真では、小学生の姉弟さんか団扇(うちわ)で「八千代連」の踊り子さんを扇いでおり、踊り子さんから感謝の言葉が出ている様であった。
「阿波踊りのよしこの連と健祥会連」
 写真上と下左が有名連の「よしこの連」は、昭和27年に結成され、阿波おどりのお囃子「よしこの節」から命名しており、女踊りは桃色の浴衣でしなやかに、男踊りは紫の法被で力強く、黄色の扇で鮮やかに舞う女ハッピ踊りや元気いっぱいのちびっ子踊りなど個性と持ち味を生かした踊りが特徴である(ホームページより)。
 写真下右が福祉事業を展開している「健祥会連」で、小さなお子さんが踊り子さんの前にたびたび出たがり、親御さんがその都度引き戻していた。
「阿波踊りの天保連・奴連・華舞遊連」
 写真上左は「天保連」で連員数約45人、男踊りの剛・女踊りの柔のからみがひときわ楽しいものにしています(阿波おどり会館の有名連の紹介より)。
 踊り子さんが口々に「ヤットサー、ヤットサー 1かけ2かけ3かけて4(し)かけた踊りはやめらぬ、5かけ6かけ7かけて8(や)っぱり踊りはやめられぬ」と囃子言葉を揃えていた。
写真上右は「阿波連」で、連員数約60人、阿波踊りが大好き、誰でも踊れる、そんな阿波っ子の集まり(阿波おどり会館の有名連の紹介より)。
 写真下左は「奴連」、写真下右は「華舞遊連」である。
 阿波踊りの伴奏の「鳴り物」として笛、三味線、太鼓、鉦(かね)、太鼓が使われている。
「阿波踊りの阿波扇連・無双連」
 写真上は「阿波扇連」、写真下左は「無双連」である。
 有名連の「阿波扇」は連員数が約80人で平成2年個性豊かな踊りを目指す若者たちによって結成されました。正調の踊りに扇を取り入れたオリジナルの扇踊りが阿波扇の特徴です(阿波おどり会館の有名連の紹介より)。
 「無双連」は昭和51年創立し連員数が70名で、キレのある団扇さばきで背筋を立てて腰を落とし無双流と名付けられた男踊り、にぎやかな花むそう、華やかな踊りの眉むそう、連名に込められた「他に二つとない踊りを見せる」連を目指している(徳島新聞(抜粋)より)。
 写真下右は夜9時半ごろの「新町橋東公園」で、新町川のひょうたん島クルーズの船が着いた所である。
[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=344317
2014年09月03日

「徳島の阿波踊りA」


[ 07:30 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ J県外の旅 ]
「仙台七夕連のすずめ踊り」
 「せんだい杜の都親善大使」を先頭に、今年も徳島市と観光姉妹都市を結んでいる宮城県仙台市の「すずめ踊り連」が、両国本町演舞場に踊り込んで来た。
 この踊りは「仙台城築城の際に石垣を築いた石工による即興の踊りが起源とされており、現在では毎年5月に開催される「仙台・青葉まつり」をはじめ地域のお祭りから宮城県内外・海外等での催しでも披露されています。」とあり、笛、鉦、太鼓で奏でる伴奏は、阿波踊りにちょっと似ているリズムのように思われた。
(参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「ユーモラスに踊るすずめ踊り」
 「仙台七夕連」の「すずめ踊り」は、雀の仕草をよく観察して取り入れているなと思われた。
 色鮮やかな扇を両手に持ちクルクルと回したり、ぴょんぴょんと跳ねて踊る姿は、見ているだけでとても楽しく面白かった。
 
「四国大学連、誤座留連、アスティス連」
 写真上は「高張り提灯」を先頭に踊り込んで来た「四国大学連」で、写真下が「誤座留連」と「アスティス連」である。
 「高張り提灯」は、長い竿の先に連名の入った提灯を二つ付けており、重いため概ね男性が持ち、前を行く連との間隔などを考えて速度を調節する役目があるという。
 「誤座留連」は、香川県内にも同じ名前の連があり、県内のイベントで踊るところをよく見かけることがある。
「まんじ連、JTB連、大名連、大学連」
 写真上左は「まんじ連とJTB連」、写真上右は「大名連」で、写真下左は徳島大学泌尿器科の「珍宝連」、写真下右は「大学合同連」で、「早稲田大学」、「慶應大学」、「中央大学」、「筑波大学」、「東京理科大学」、「横浜国大」が参加していた。
 有名連の「まんじ連」は、連員数が約65人で、平均年齢23歳と若さあふれるメンバーで構成されており、家族のような和気あいあいとした連である(阿波おどり会館の有名連の 紹介より)。
 「大名連」は連員数が130人で、心を一つに連員相互の親睦と、親しみやすさが連のテーマで正調阿波踊りの伝統を守るため、日夜研究しています(ホームページより)。
「蔓連、松空連、徳島文理大学連、ハーネス連」
 写真上左は有名連の「蔓(かずら)連」で平成15年に出来た若い連で、かずら橋の「かずら」から名を取り、かずらの様に人と人のつながりと古き良き正調のリズムを大切にし、男踊りは力強く個性豊かに、女踊りはしなやかにぞめきのリズムに乗せて踊ります(ホームページより)。
 写真上右は小松島市にある第24航空隊の「松空連」で、写真下左は盲導犬と一緒に踊っておられた「徳島文理大学連とハーネス連」、写真下右は「徳島文理大学連」である。
[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=344235
2014年09月02日

「徳島の阿波踊り@」


[ 12:04 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ J県外の旅 ]
「阿波踊りが午後6時開始」
 阿波踊り初日の8月12日、徳島市両国本通りに設けられた無料桟敷席の一番前に陣取っており、午後6時から有名連の「新のんき連」が踊り込んで来た。
 有名連(ゆうめいれん)とは、「阿波おどり振興協会」や「徳島県阿波踊り協会」などの団体に属している連のことで、その工夫された踊りには見ごたえがあり、本場徳島で踊る阿波おどりのほかに、全国各地に出向いてその踊りを披露している。
(参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「阿波踊りの新のんき連」
 4枚の写真は「新のんき連」の踊りである。
 新のんき連 は連員数が約130人で、基本をしっかりマスターした踊りは、どんなに個性を出しても美しい線を崩すことはありません(阿波おどり会館の有名連の紹介より)。
 なお「新のんき連」などの「連(れん)」とは、阿波踊りを踊る団体、グループのことで、有名連や企業から出ている企業の連、大学の連などがある。
「阿波踊りの阿呆連」
 4枚の写真は「阿呆連」の踊りである。
 「阿呆連」は創立23年の連員数約130名で、ほうかむりをし提灯を振り、豪快に踊り、阿波武士の心を脈々と伝え、正調武士の踊りを守り続ける連(阿波おどり会館の有名連の紹介より)。
 踊り子が一カ所に集まったり離れたりして、その踊りは他と違っているように見え、興味深く見ることができた。
「阿波踊りの四国化工機連、カローラ連、葉月連」
 写真上左は企業連の「四国化工機連」、写真上右は同じく企業連の「カローラ連」で、写真下は「葉月連」である。
 「葉月連」は昭和53年に創立され、連員数が約70名の連で、踊り好きで気の合う仲間が集まり、8月陰暦で言う「葉月」に結成したので葉月連と名づけ、正調を基本として楽しく踊っています(阿波おどり会館の有名連の紹介より)。

「阿波踊りの独楽連・歌舞伎十八番連・酔狂連・金長連」
 写真上左は「独楽連と日本公庫連」、写真上右は「歌舞伎十八番連とNIPPO連」、写真下左は「酔狂連とにわか連」、写真下右は「金長連とにわか連」である。
 有名連の「独楽連」は連員数が約75人で、独楽(こま)のごとく連長を軸に威勢よくまわり、優雅にそして暴れ駒のようにいつも元気よく!(阿波おどり会館の有名連の紹介より)。
 有名連の「酔狂連」は連員数約106名で、「酔狂」とは「もの好き」文字通り、もの好きな集まりで基礎を重んじ伝統を引き継いだ踊りが特徴(阿波おどり会館の有名連の紹介より)。
 また「にわか連」とは、観光客などが踊ってみたいと思ったときに飛び入り参加する連で、普段の服装の人、貸しハッピを着た人などたくさんの人が阿波踊りを楽しんでおられた。
[ コメントを書く ] [ 関連する記事(トラックバック)を書く ]
トラックバックURL:http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/TrackBackServlet.asp?blogid=344124