屋島のできごとさんのブログ
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屋島のできごと
徳島に生れ育ち、四国四県を渡り歩き 、現在高松市に住む。 前月等のプログを見る場合は、下のカレンダーの月の部分の青色の「く」の部分をクリックしてください。(写真は、玉藻公園の落葉:H30.12.04撮影)
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2018年12月10日

「徳島へ帰る @」


[ 17:13 ][ 自然・環境:ふるさと ][ J県外の旅 ]
「徳島へ帰る:大群の黒い鳥」
 徳島県の実家から渋柿を千切るので来たらという連絡があり、11月30日に帰ってきた。
 用事があった石井町石井の田んぼに、夥しい黒い鳥が田んぼでエサを漁っているのに出くわした。
 ざっと数えて150羽くらいで、稲刈りを終えて1か月は経つと思われるのにこの多さにびっくりした。
 この田んぼに稲の落穂が、たくさん落ちていたのかも知れない。
「徳島へ帰る:コスモスの花」
 11月30日に阿波市土成町を通っていた時、畑にコスモスの綺麗な花が咲いている所があった。
 もう明日から12月という時期にコスモスの花が見えるとは、不思議な気がした。
 背が低いコスモス、いつ頃に種を蒔いたのだろうか。
「徳島へ帰る:三木武夫さんの銅像」
 阿波市土成町の徳島自動車道の「土成インターチェンジ」に近くの「土成中央公園」の横の道路で信号待ちしていた時、公園に三木武夫さんの銅像があるのを見つけた。
 同氏は明治40年(1907年)にこの近くで生まれ、第66代の内閣総理大臣になった方である。
公園の木に小型の太陽光パネルから電気を導くイルミネーションの配線がされており、暗くなると点灯されるようであった。
「徳島へ帰る:宮川内ダム」
 阿波市土成町と東かがわ市白鳥の間の峠にある「鵜の田尾トンネル」を、高速を利用しない場合は香川へ帰っている。
 トンネルの手前に「宮川内(みやごうち)ダム」があり、西日を受けた山が輝いていた。
 このあたりには数軒の「たらいうどん」のお店屋さんがあり、昔はよく寄っていたが最近は行けていない。
「徳島へ帰る:渋柿」
 実家で渋柿を千切り車に乗せて帰ったが、ボロ車にたくさん載せたものだから、スピードが鈍っているように感じた。
 柿の元のヘタの部分に枝を残して、皮を剥いて吊るしやすいように収穫した。
 一個一個は軽いものだが、箱に並べると持ち上げるのに難儀する重さになった。
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「徳島へ帰る A」


[ 17:06 ][ 自然・環境:動物・植物・魚 ][ L食べ物・草木花など ]
「徳島へ帰る:干し柿」
 持ち帰った渋柿、150個ほどはご近所さんに配ったみたいで、残りを翌日から皮を剥いた。
 普段は包丁など持たない慣れない手で皮を剥き、とうとう肩が凝ってしまった。
 12月2日iに物干し竿に吊るすと、中央が重さで撓んでいたが、干し柿が出来る頃には軽くなる。
 寒くなければなかなか乾かないようで、11月7日の昼頃には少し寒くなった感じがしてきた。
「徳島へ帰る:干し柿」
 渋柿を剥いて竿に干したのが12月2日、それから8日が経ち、柿が柔らかくなり干し柿になりつつあった。
 干してから約2週間で食べれるようになると新聞に載っていたが、あと1週間経つと試食してみることになる。
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2018年12月09日

「探訪・松平頼該(左近さん)を訪ねる @」


[ 08:09 ][ まち・生活・学校:まちなみ・おすすめスポット ][ I高松市内 ]
「ふるさと探訪石清尾八幡付近:石清尾八幡宮」
 10月14日に「「ふるさと探訪松平頼該(左近さん)を訪ねる」があったが、徳島へ帰る用があり、家人に出席してもらって資料を貰ってきてもらった。
 20日にその資料に基づき「ふるさと探訪」で行ったであろうコースを辿ってみた。
 20日に「石清尾八幡宮」では、「氏子祭」が行われていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「ふるさと探訪石清尾八幡付近:境内の灯籠」
 石清尾八幡宮の境内に入ると、石段の手前に古い石灯篭が立ち並んでいる。
 歴代の藩主が寄進しされており、向こうから高松初代藩主・頼重(よりしげ)、7代・頼起(よりおき)、初代・頼重、初代・頼重、源英(隠居後の頼重)、9代・頼恕恕(よりひろ)、10代・頼胤(よりたね)、11代・頼聡(よりとし)など。
 また下拝殿の横と前に5代・頼恭(よりたか)、6代・頼真(よりざね)、3代・頼豊(よりとよ)、初代・頼重、7代・頼起(よりおき)が寄進された石灯篭があるという。
「ふるさと探訪石清尾八幡付近:長谷川宗右衛門表忠ノ碑」
 石清尾八幡宮の下拝殿から北に回って「新氏子会館建設予定地」の入り口に、松平頼該(左近さん)と共に幕末の尊王運動に奔走した長谷川宗右衛門の表忠の大きな石碑がある。
 江戸藩邸に出仕して尊王の思いを強め、高松藩が幕府を支えて鳥羽伏見の戦いで官軍が勝利すると朝敵となり、官軍から追討軍を差し向けられる事態となったとき、松平松平頼該(左近さん)らとともに藩主に朝廷への恭順を訴え、自ら太政官府へ追悼令解除に赴くなど藩のために奔走したという。
「ふるさと探訪石清尾八幡付近:紫雲山 親量院 霊源寺」
 石清尾八幡宮の参道を約700b東にきた御旅所の付近のちょっと南に、「霊源寺」がある。
 秋になると道路から見える紅葉が綺麗で、いつも見に来ているお寺さんである。
 「霊源寺 臨済宗妙心寺派 本尊子安観音 寺記によると、僧雲厳の開創、初め香川郡坂田郷(紫雲山の麓)にあって千光寺といった。松平頼重が娘婿菩提のため延宝四年(1676)現在地に移し、霊源寺と改称した。元禄十年(1697)綾歌郡長炭村佐岡寺山より観音像が出土したので、高松二代藩主松平頼常は生母親量院(水戸藩主徳川光圀の側室)の発願により、元禄十二年(1699)堂を建て安置した。これがいわゆる子安観音である。同十四年(1701)頼常から親量院の号と寺領百石を与えられた。・・・」※寺内の看板より。
「ふるさと探訪石清尾八幡付近:霊源寺」
 高松市亀岡町に「霊源寺」がある。
水戸藩の水戸光圀の長男「頼常」が、高松藩二代藩主となり、「頼常」の生母・親量院(水戸藩主徳川光圀の側室・玉井弥智)がここ「霊源寺」の墓所に葬られている。
 また、本堂東側の木々の間に「参政玉井信敏の「痙刀(えいとう)の碑」があり、幕末に藩主の密書を携えて江戸への道中三河の国で薩長の討幕軍と遭遇し、寺に逃げ込んで密書を焼き自害した事件があり、ここに刀を埋めて顕彰した碑だという。
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「探訪・松平頼該(左近さん)を訪ねる A」


[ 08:01 ][ まち・生活・学校:まちなみ・おすすめスポット ][ I高松市内 ]
「ふるさと探訪石清尾付近:亀阜荘跡」
 参加出来なかった10月14日の「ふるさと探訪」の行き先を、資料をもとにして10月20日に訪れた。
 高松市亀阜町の現在の「亀阜小学校」の全域とその周辺を含めた広い敷地に、松平頼該(よりかね=通称名・左近)の別荘「亀阜荘」があったといい、校庭の隅に「松平金岳公人亀阜荘旧迹」の石碑が立っている。
 高松第8代藩主・松平頼儀(よりのり)の長男であったが、異母弟に藩主の座を譲り「亀阜荘」に住んでいたという。
「ふるさと探訪石清尾付近:贈正四位松平左近君紀功碑」
 亀阜小学校の校庭にある「松平金岳公人亀阜荘旧迹」の碑の隣りに、「贈正四位松平左近君紀功碑」がある。
 漢文で書かれた碑文は全く分からないが、「ふるさと探訪」の資料に現代語に訳したものが載っており、これを見れば少しは分かったような気がした。
 松平左近(1809年〜1868年(明治1))は尊王心厚く、高松藩が朝敵の汚名をきせられたとき活躍、朝廷に恭順の意を示させて藩を救ったという。
「ふるさと探訪石清尾付近:講道館跡」
 香川県庁を附属小学校側から撮った写真で、3本ある木の陰に「藩校講道館」の看板が立てられていた。
 「高松藩の藩校は、二代藩主松平頼常が元禄十五年(1702)に講堂を中野天満宮の南に建てたのが始まり・・・六代頼真は安永八年(1779)に規模を倍増して中野天満宮の北側(現在の香川県庁付近)に学館を建て、講道館と名づけ、後藤芝山を総裁として、翌年開学しました。・・明治四年(1871)七月の廃藩置県に伴い藩校は廃止されるまで、藩の教育機関とて多くの人材が育てられました。」※県庁敷地内に立てられた看板より。

「ふるさと探訪石清尾付近:新建大聖廟記碑」
 高松藩の藩校のいわれを記した石碑が、現在香川大学付属高松小学校の校庭にある。
 高松藩藩校の講道館に聖廟が天保三年(1834)に建てられ孔子像を安置し、釈奠(せきてん)の祭祀を記念して天保五年(1834)に松平左近(頼該)が撰した文章を、11代藩主頼聰の命により文久二年(1862)に「新建大聖廟記碑」として講道館の敷地(現在の香川県庁東館から日本赤十字病院にかけての場所)に建碑されたものが、現在は香川大学付属高松小学校の校庭に移されている。
「ふるさと探訪石清尾付近:旧県立中央病院跡」
 高松市番町五丁目にあった「旧香川県立中央病院」の建物が、取り壊されていた。
 2014年(平成26年)3月1日に現在の朝日町に移転して、4年半あまりが経っている。
 亀阜小学校などを見て回った時、ここにあった建物が無くなっているのに気がついた。
 ここにあった病院に通院したり、お見舞いに行ったりしたことがあるのが思い出される。
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2018年12月08日

「紅葉のピークだった頃の栗林公園 B」


[ 08:41 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ F栗林公園・玉藻公園・中央公園 ]
「栗林公園の紅葉:石梁付近」
 11月29日、今年最後となる栗林公園の紅葉を見に北庭の石梁付近に来ている。
 石の小橋の「石梁」付近と小川が流れる「潺湲池」付近に、モミジの木がたくさん植わっていた。
 いずれも見事な紅葉の見頃を迎え、結婚式の前撮りに訪れたカップルが3組ほどあり、撮影ポイントで順番を待って撮影がされているようであった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「栗林公園の紅葉:枕流亭から見た紅葉」
 栗林公園の「潺湲池」の裏側の小山の上に「枕流亭」の東屋がある。
 11月29日にここからモミジ見物に訪れた人々が、見上げるようにモミジを見ている姿が目の当たりに見えていた。
 木の裏から見るモミジもまた美しかった。
「栗林公園の紅葉:芙蓉沼の畔のモミジ」
 11月29日、栗林公園の「芙蓉沼」の畔にある「香風亭」の近くに来ている。
 この「芙蓉沼」は「蓮池」とも呼ばれて、ハスが6月頃から池の一面に茂り、夏には大形の淡い紅色や白色の花が咲くところであるが、今の季節には枯れた葉が見えていた。
 池の畔にはモミジの木が多く植えられており、見頃を幾分過ぎて葉が地面に積もっていた。
「栗林公園の紅葉:花しょうぶ園の紅葉」
 栗林公園の北庭にある北梅林の東に「花しょうぶ園」があり、6月頃には綺麗なしょうぶの花が咲く場所である。
 今頃は紅葉を愛でる人が訪れる静かな場所で、モミジの木などがあり、向こう側には江戸時代に鴨猟が行われたという園内最大の「群鴨池」が見えている。
「栗林公園の紅葉:鴨引き堀」
 平成5年に復元された「鴨場」につながるだろう「鴨引き堀」、向こう側には交通量の多い国道11号線が走っている。
 この堀に鴨の姿が多く見られ、おおよそ数えてみると50羽を越えているようであった。
 江戸時代には栗林公園でも「カモ猟」がされていたのだろうか、本日の新聞に、7日に宮内庁新浜鴨場(千葉県市川市)で行われたカモ猟で、カモを放鳥される写真が掲載されていた。
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2018年12月07日

「紅葉のピークだった頃の栗林公園 A」


[ 08:46 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ F栗林公園・玉藻公園・中央公園 ]
「栗林公園の紅葉:楓岸のモミジ」
 11月29日、おそらくは最後となるであろう栗林公園の紅葉を見に来て、南庭の楓岸にいる。
「かえで」の「きし」と書いて「楓岸(ふうがん)」と呼び、多く植えられた楓はモミジと同じように使われている言葉だそうである。
 モミジの木の下には、紅葉した葉が落ちて積もっており、通路に落ちている葉を手に取って見ているれ観光客も見受けられた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「栗林公園の紅葉:モミジの旧標準木」
 栗林公園の「楓岸」の東の岸にモミジの「旧標準木」がある。
 手前の木は黄色っぽく、向こう側の木は赤く紅葉していた。
 違った種類の木が二本あるようであった。
「栗林公園の紅葉:楓嶼と楓岸」
 栗林公園のモミジの旧標準木の東から見た楓嶼(ふうしょ)と楓岸である。
 南湖に浮かぶ小島の楓嶼(ふうしょ)と楓岸(ふうがん)が、同時に見渡せる場所で立ち止まり写真を撮った。
 楓嶼の島影が南湖に映っており、観光客の多くがカメラを構えていた。
「栗林公園の紅葉:恋つつじの周囲を泳ぐ鯉」
 栗林公園の古風な太鼓橋の「偃月橋」を渡っている。
 目の前にある島が杜鵑嶼(とけんしょ)には、ハートの形をしたツツジが植わり「恋ツツジ」とも言われ、結婚式の前写しの撮影スポットになっているという。
 この「恋ツツジ」の左側に、コイが一匹もいなかった池に先日放流された色とりどりのコイが悠々と泳いでいた。
 放流されたコイが100匹、「偃月橋」の上からコイの数を数えると、60〜70匹はいたようであった。
「栗林公園の紅葉:飛来峰から見た景色」
 栗林公園の絶景ポイントの一つの「飛来峰」は、高松藩主が江戸を懐かしんで富士を模して造らせたと伝えられているという小さな山の築山である。
 左側に「吹上亭」という売店があり、この池の畔では例年ならコイにエサをやる観光客が多く見られる場所ではあるが、今年はコイの姿が見当たらなかった。
 また幾分、池の水が濁ったような色をしているようであった。
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2018年12月06日

「紅葉のピークだった頃の栗林公園 @」


[ 09:40 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ F栗林公園・玉藻公園・中央公園 ]
「栗林公園の紅葉:日暮亭を西から見る」
 栗林公園の秋のライトアップが11月23日(金・祝)〜12月2日(日)にされたが、その期間中の11月29日の昼間に栗林公園を訪れた。
 ライトアップは多分、この時期に紅葉が見頃を迎えるということで期間設定されているだろうと思われるので、この期間に今年は最後になるであろうという栗林公園の紅葉見物に出かけた。
 「日暮亭」を西から見た風景で、色鮮やかな紅葉の下で着物を着た女性が案内されていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「栗林公園の紅葉:日暮亭を東から見る」
 11月29日の栗林公園、紅葉したモミジに囲まれた「日暮亭」の建物が見えている。
 「日暮亭(Higrashi−tei) かって江戸時代に「日暮亭」と称する茶屋があり、その後撤去された跡地に、明治31(1898)年、石州流の茶室として再建されたものである。
 平成11年(1999)年、保存修理、腰掛待合及び路地の再整備等一連の復元整備工事により、往時の姿を取り戻した草庵の茶室である。」※現地看板より。
「栗林公園の紅葉:見上げてモミジを見る」
 11月29日の栗林公園、「日暮亭」の屋根を覆っていた紅葉したモミジを見上げると、淡い赤と薄い黄緑色の葉を見ることができた。
 大きな木の陰から零れる陽の光に照らされて、何とも言えない色合いになっていた。
「栗林公園の紅葉:楓嶼と掬月亭」
 11月29日に栗林公園の楓岸から、南湖に浮かぶ島の楓嶼(ふうしょ)の全島が紅く燃えているように見えていた。
 左側に見えるのは、栗林公園の中心的な建物の「掬月亭」で、ここから眺める南湖の景観は歴代藩主もこよなく愛したという。
 この「掬月亭」に人の姿があり、お茶を飲みながら大名気分で栗林公園の秋の風景をご覧になっているようであった。

「栗林公園の紅葉:楓岸」
 11月29日の栗林公園の南湖の南の岸に「楓岸(ふうがん)」があり、ここにはモミジの木が多く植えられている。
 よく紅葉しているのだろうと思って来たが、南にある木々の陰になってか内にあるモミジの中に緑の葉があるものの、よく日が当たる外のモミジは見事に紅葉していた。
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2018年12月05日

「街中の病院へ @」


[ 10:06 ][ まち・生活・学校:まちなみ・おすすめスポット ][ I高松市内 ]
「口銭場川の鳥の争い」
 12月4日に街中の病院へ行くため自転車で家を出た。
 近所を流れる小川の「口銭場川」、珍しく黒い「川鵜」の姿が見られた。
 普段はサギの縄張りのはずだが、新ざんものの川鵜が威張って、サギを追っ払っていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「霧にむせぶような新川」
 「霧にむせぶ夜」という歌が昔あったが、「霧にむせぶ」とはどういう意味なのだろうか。
 新川河口の橋を渡っていた時、新川の周辺が霧にかすんで、近くの建物しか見えなかった。

「晴れていたらこんな新川の風景」
 よく晴れていた11月29日に同じ場所から撮った「新川」の写真である。
 屋島の山容は見る場所によって違うが、これは南側から見た山の姿で、枯葉になった葉を含めて紅葉した屋島の風景であった。
「工事中の病院」
 街中にある病院本館の横に「新東館」の建設が行われており、高い高い「タワークレーン」が2基設置されていた。
 はるかなクレーンの高さは、約50mもあるといい、仕事はじめと終わりに作業員はどうやって上り下りしているのだろうか。
 まさかエレベーターはなさそうであった。
 クレーンを操るオペレーターは、食事も休憩もトイレも上部の操作室でされているのだろう。
「高松市中央公園:落葉」
 病院で定期の診察を受け病院で昼飯を食べて、近くの高松市中央公園にやってきた。
 公園に設置されたイサム・ノグチさんの作品の「オクテトラ」の周囲の一面に、落葉が敷き詰められたように落ちていた。
 子供たちが入ったり出たりする「オクテトラ」の右下の穴には、子供たちがかき入れたのか落葉が埋もっていた。
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「街中の病院からの帰り A」


[ 09:53 ][ まち・生活・学校:まちなみ・おすすめスポット ][ I高松市内 ]
「高松市中央公園:モミジの林」
 12月4日、街中の病院で定期の診察を受けて病院からの帰りに、病院の近くにある高松市中央公園にやってきている。
 もう紅葉の時期は終わったのかなあと思いきや、公園の南にあるモミジの紅葉がまだ健在であった。
 落ち葉もそこそこに落ちており、まもなく紅葉の時期がお終いになるのだろう。
「サンポート高松:小豆島のフェリー」
 瀬戸内海の海にただよう霧が少し残る高松港に、小豆島からのフェリーが入港してきた。
 高松港では視界が500m以下になったときに停船勧告が出るようで、12月4日に午前7時20分に停船勧告が出されて同8時55分に解除されたという。
 向こう側に見えるのは高松市朝日町と朝日新町の陸地で、さらに向こうに見えるはずの屋島の山が全く見えていなかった。
「サンポート高松:シンボルタワー」
 JR高松駅の北側にあるサンポート高松の「シンボルタワー」、2004年に完成した四国で一番高い約151.3mの高さがあるという。
 おりからの霧が残る中、海側から見ると半分から上が段々に薄っすらと見えていた。
「サンポート高松:落葉」
 サンポート高松のシンボルタワーから海に向かって伸びる広い遊歩道の両側に、街路樹が植えられている。
 まだ一部に木の上についた葉が残っているが、ほとんどが地面に落ちていた。
 比較的、大きな葉っぱのようであった。
「サンポート高松:玉藻公園のモミジ」
 玉藻公園の北西に「水任流保存会会長松平頼明顕彰碑」の横にモミジの木がある。
 高松城の石垣と共にまだ紅葉が綺麗であった。
 かなりの落葉が見えていたが、木の上にはまだまだ多くの紅葉した葉が残っていた。
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2018年12月04日

「秋真っ盛りの屋島 F」


[ 07:42 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ A屋島の道(遍路道等) ]
「屋島の秋:屋島遍路道の畳石付近」
 11月24日に屋島の南嶺から北嶺を巡り、屋島遍路道から屋島を下りている。
 遍路道の途中にある畳のような石がある「畳石」付近で、黄葉した木というよりは、季節が冬に向かい枯れてしまった落葉樹の木が多く見られた。
「屋島の秋:屋島遍路道のモミジ」
 屋島遍路道の「畳石」から下った「つづら折り」になった所に、毎年のように綺麗に色づくモミジの木があった。
 周囲の木に落葉している木が多いなか、日がたくさん差し込み、紅葉したモミジの葉が輝いていた。
「屋島の秋:不喰梨の上のモミジ」
 弘法大師さんの伝説が残っている屋島遍路道の不喰梨(くわずのなし)が見えるちょっと上あたりの崖に、一本のモミジの木があった。
 ほんの一部に赤みがさしていたが、まだまだ緑色が十分に残る葉に、こぼれ日が降り注いでいた。
 紅葉、黄葉でなく、「緑葉」といえるのかも知れない。
「屋島の秋:屋島遍路道の人面木かな」
 屋島遍路道の不喰梨(くわずのなし)からちょっと下りた所に、人の顔をした木があるということが、噂になっていると聞いた。
 かなり太い木の上下に二つの顔があり、上の方の顔がより人間の顔らしく見えていた。
 通り過ぎるだけでは気が付かないようで、言われてみれば顔らしいと言えないではないと思われた。
「屋島の秋:ケーブル山麓駅跡」
 屋島ケーブルが廃止されて13年がたち、ケーブル山麓駅舎もこの間に取り壊され、現在は地元の自治会館が建っている。
 ケーブルの線路跡が山上まで伸びており、廃止当初は線路跡を歩いて登れていたが、現在は危険防止のためか閉鎖されているのでないかと思われた。

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2018年12月03日

「秋真っ盛りの屋島 E」


[ 08:08 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ @屋島山上 ]
「屋島の秋:談古嶺と一本のモミジ」
 11月25日に屋島山上に来ており、屋島寺から東に来た「談古嶺」に、モミジの木がある。
 見頃に近い時期を迎えて、秋の日に照らされた紅葉したモミジが一本だけ佇んでいた。
 観光客が古戦場を見るためか二つの石の腰掛が置かれていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「屋島の秋:ボランテイアガイドと観光客」
 屋島山上の「談古嶺」で、屋島山上で活躍されているボランティアガイドさんが、観光客にガイドされていた。
 示された手の先には、庵治の港か、あるいは瀬戸の海か、もしくは小豆島だろうか。

「屋島の秋:南嶺の遊歩道」
 屋島南嶺にあるケーブル駅跡に向かう遊歩道の所々に、綺麗に紅葉したモミジがある所があった。
 屋島のケーブルカーが健在であった頃は、この道を通って屋島寺や獅子の霊厳などに向かう人がいっぱいいたが、今では通る人が少なく静かではあるが、寂しさを感じる遊歩道になっている。
「屋島の秋:ケーブル山上駅跡」
 平成17年(2005年)8月31日に廃止された「屋島ケーブル」の山上駅跡にやって来た。
 ここでよく似た顔の四匹の「猫」が出迎えてくれた。
 人通りが少ない所で飼われている猫にしては、近づいても逃げていかなくてこちらを見つめ返していた。
 元山上駅前には、りっぱなトイレが設けられており、その前にあるモミジの木が紅く紅葉していた。

「屋島の秋:屋島寺仁王門前のイチョウの木」
 「屋島ケーブル」の山上駅跡から遊歩道を歩いて、屋島寺仁王門前にやってきた。
 仁王門前の左右に一本ずつのイチョウの木があり、右にある木はほとんどが落葉しており、左の木はかろうじて黄葉が見えるイチョウの木であった。
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2018年12月02日

「秋真っ盛りの屋島 D」


[ 08:40 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ @屋島山上 ]
「屋島の秋:遊鶴亭への道」
 11月25日に屋島の南嶺から北嶺に足をのばした。
 屋島山上の北端となる「遊鶴亭」の手前100m付近で、北嶺の周回路が一本道になっており、そこからは少し下り坂になっている。
 道の両側からは、ウバメガシの木がトンネル状に伸びていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「屋島の秋:遊鶴亭」
 屋島山上の北端にある屋島三大展望台の「遊鶴亭(ゆうかくてい)」に着いた。
 「屋島北嶺と備讃瀬戸 ここ遊鶴亭は屋島山上の最北端に位置し、視界320度の展望を誇っております。展望台から山道を下ると長崎の鼻に至り、高松藩によって築かれた長崎の鼻砲台跡があります。
 眼下に広がる備讃瀬戸は、桃太郎さんが鬼退治をした鬼ヶ島(女木島)、オリーブの小豆島、おむすびのような大槌島と小槌島など瀬戸内海国立公園の中でもっとも美しい風景が一望できます。」※現地看板より。


「屋島の秋:遊鶴亭から見る島々」
 屋島半島の突端の「長崎の鼻」で、砲台跡、長崎の鼻古墳、そして屋島木里神社などがある。
 左沖に見えるのが「男木島(おぎしま)」、中央にある島が「豊島(てしま)」、右手前が「大島(おおしま)」で、写真には写っていないが右前方には「小豆島(しょうどしま)」がある。
「屋島の秋:長崎の鼻から上がってきた人」
 遊鶴亭の展望台の上から景色を眺めていた時、話し声が聞こえ、親子連れの二人が登ってきた。
 かって屋島を縦断して屋島南嶺に登り北嶺に下りるイベントに何回か参加したことがあるが、ここから下りる山道は急坂で最近、ここから下へ下りたことはない。
「屋島の秋:談古嶺からの眺め」
 北端の遊鶴亭から引き返し、源平合戦の古戦場が見渡せる「談古嶺」までやって来た。
 もう何百回も見ている見なれた景色であるが、秋晴れの澄み切った空気の中、八栗の山や志度湾などが見渡せていた。
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2018年12月01日

「秋真っ盛りの屋島 C」


[ 08:33 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ @屋島山上 ]
「屋島の秋:北嶺と南嶺の分岐点」
 11月25日に屋島に登り、南嶺の西側を回り今度は北嶺に向かうため、南嶺と北嶺との分岐点に来ている。
 この分岐点に覆いかぶさるように大きなモミジの木があり、かってこの東側にホテルがあったが今はなく跡地が公園のようになっている。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「屋島の秋:トンネルの上の道付近」
 北嶺に入ってしばらく歩くと、山の幅が細くなった所があり、細い木がたくさん生えていた。
 ちょうど屋島スカイウェイのトンネルの上になっている所で、左右からは下を走る車が見えていた。
「屋島の秋:千間広場」
 南嶺との分岐点から約50分歩いて北嶺の「千間広場」に着いた。
 ここはモミジの木が多い所で、手前の木の葉は全て落ちていたが、向こう側のモミジの木の落ち葉はほとんど無かった。
 ここに木製のベンチがあり、コンビニで買ってきたオニギリを食べた。

「屋島の秋:千間堂跡」
 屋島北嶺の千間広場の北の林の中に「千間堂跡」がある。
 過去の発掘調査で建物跡や仏具が出土しており、この遺跡が「千間堂」と呼ばれる仏堂の跡で、南嶺にある現在の「屋島寺」が創建された土地であると伝えられているという。
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