屋島のできごとさんのブログ
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屋島のできごと
徳島に生れ育ち、四国四県を渡り歩き 、現在高松市に住む。 前月等のプログを見る場合は、下のカレンダーの月の部分の青色の「く」の部分をクリックしてください。(写真は、四国村のひな飾り:H30.02.20撮影)
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2018年02月25日

「栗林公園梅まつり(1)」


[ 08:36 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ F栗林公園・玉藻公園・中央公園 ]
「栗林公園梅まつり:北梅林」
 2月17日〜18日に特別名勝「栗林公園」で梅まつりが開かれる予定であったが、開花が遅れて2月24日〜25日に変更された。
 24日に栗林公園東門(切手御門)から北へと門をくぐり、北梅林に着くと、大勢の人が観梅を楽しんでおられた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「栗林公園梅まつり:北梅林」
 栗林公園には南梅林と北梅林にそれぞれ約80本、園内全体では170本の梅の木があるという。
 樹齢が50〜60年ぐらいだといい、花が少ない木もありそうであった。
 お子さんが梅の花の前に立って、記念撮影をされていた。
「栗林公園梅まつり:北梅林」
 栗林公園北梅林の西方にある梅の標準木である。
 この標準木が1月12日に5輪以上の花を付けて開花宣言があったが、平年の1月20日開花より8日ほど今年は開花が早かったという。
 白い花が、枝の上のほうに雪をかぶったように咲いている。
「栗林公園梅まつり:北梅林」
 栗林公園の梅の標準木、咲きはじめてかなりたつというのに、まだ蕾の花もあった。
 梅の木の後ろに20人くらいのグループが、標準木についての説明を受けていた。
「栗林公園梅まつり:北梅林」
 栗林公園の北梅林で木の数の本数が多いと思われるピンク色の梅の花である。
 大きめの花、写真が思いのほか綺麗に写ってくれていた。
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2018年02月24日

「徳島へA」


[ 07:48 ][ 自然・環境:ふるさと ][ J県外の旅 ]
「徳島へ:畑の真ん中の電柱に雪」
 徳島へ義母のお見舞いのため里帰りしてきた。
 徳島平野の真ん中を「吉野川」が流れ、その川の近くが我が故郷である。
 冬になると、阿讃山脈と四国山脈の間に強い西風が吹き、とても昔は寒かった。
 とある畑の真ん中にある電柱の西側だけに、雪が下から上までへばりついており、雪まじりの強風が吹いたあとのようであった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「徳島へ:野沢菜のトンネル」
 我が故郷は、田んぼが少なく畑が大部分を占めており、江戸時代から明治にかけて藍作が盛んに行われて村の名前を「藍畑村」と呼ばれていた。
 ずらりと畑に並ぶビニールトンネルの中を穴が開いている所から見ると、青々した「野沢菜」が育っていた。
 収穫された野沢菜は、長野県へ移出されることになる。
「徳島へ:田舎の細道」
 粉雪が舞うとある細道の田舎の風景である。
 この近くにご存知の元宝塚トップスター瀬戸内美八さんの実家がある。
 私より一つ学年が低かった瀬戸内さん、小学校六年生の時の秋の運動会でフォクダンスを一緒に踊ったことを、なぜだか未だに記憶している。
「徳島へ:昔の藍農家の家」
 昔の藍農家の国指定重要文化財「田中家」の住宅である。
 畑には雪が積もり、雪が舞う空の下の広い敷地に母屋と納屋が建っていた。
 小学生の頃、生徒数の関係で学校で余った机と椅子を、「田中家」の納屋に運び込んで保管していたような思い出がある。
「徳島へ:鵜の田尾トンネル」
 徳島へ里帰りし香川へ帰る時に時間があれば、高速道路を使わず徳島県阿波市土成町と香川県東かがわ市白鳥町を結ぶ「鵜の田尾トンネル」を通っている。
 トンネルからずっと手前の道路の上の標識に、「チェン必要」と表示されており引き返しすることも考えていたが、県境のトンネルまで路面に雪は無く無事に帰ってきた。
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2018年02月23日

「徳島へ@」


[ 10:03 ][ まち・生活・学校:まちなみ・おすすめスポット ][ J県外の旅 ]
「徳島へ:凍る新田町の久米池」
 2月19日、徳島へ義母のお見舞いに行った。
 高松市新田町の新田街道沿いにある「久米池」の一部が、凍っていた。
 ここには打ちっぱなしの「ゴルフ練習場」があり、ゴルフボールを打ったならば氷の上をボールが転がりそうであった。
 左の山の中腹には「久米清水八幡宮」があり、右中央に見える山は紫雲山である。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「徳島へ:高速道路の三木トンネル」
 高速道路の三木インターから高松道に入り、最近に開通した「三木トンネル」をくぐった。
 高速道の周囲には雪が積もり、二車線あるが一車線だけが使われていた。
 また、志度トンネルの入り口に事故車があり、スピードに注意して徳島まで行った。
「徳島へ:吉野川上流方面」
 徳島県の上板町と石井町の間の吉野川に架かる「六条大橋」である。
 欄干のため川面が良く見えないが、空には雪雲が広がっており、どんどん雪が降り出しそうであった。
 この橋、昔作られた橋で、歩道が狭く自転車は車道を通っている。
「徳島へ:母校の藍畑小学校」
 わが母校の前を通ると、運動場に雪が積もっていた。
 雪国ではないので、雪が降ると子供たちが喜んで運動場を走り回るはずだが、足跡がなく新雪のままのようであった。
 校舎は新しく建て替えられており、半世紀前の卒業時の建物は一つも残されていなかった。

「徳島へ:二宮尊徳先生幼児之像」
 わが母校の小学校の校門に二宮金次郎さんの銅像「二宮尊徳先生幼児之像」が立っており、道路からは見にくく木の間にあった。
 お顔を見ると、なるほど若かりし頃の金次郎さんのようであった。
 裏には「大阪市東区鎗屋町一丁目 徳島県名西郡藍畑村大字高畑村出身 松浦左一郎 昭和十年八月吉日之建」と刻まれていた。
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2018年02月22日

「屋島にて」


[ 09:03 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ B屋島周辺 ]
「屋島で:旧屋島ケーブル山麓駅跡」
 旧屋島ケーブル山麓駅の駅舎は取り壊されて無くなっているが、廃止される前まで使われていた車両がホームに留置され保存されている。
 「誰がなぜ前面ガラスを壊したの」と思いたくなる惨状に出会い、がっかり落胆した。
 昔賑わっていた遺産としてしっかりと後世に残さなければならないと思うが、防犯カメラは付けていないのだろうか。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「屋島で:屋島寺境内」
 青空が広がる春を思わせる天候に、屋島寺境内のお椀型の鉢から流れる水も凍らずに落ちていた。
 平日でそんなにお遍路さんの姿が見えてはいなかった。

「屋島で:屋島寺の梅の花」
 屋島寺四天門から南に出た所に梶原芭臣の「松に月 古き景色を 時雨けり」の句が刻まれた「芭臣句碑」がある。
 昭和4年12月に建立されており、写真ではっきりしないが右側に梅の木があり「紅い花」が咲きはじめている。
 屋島寺の門の南にある何本かある梅の木、老木になっている木が多い。
「屋島で:園児に出会う」
 屋島遍路道の途中で、園児さんと出会った。
 30人くらいの園児さんが3班に分かれて登ってきて元気よく何人にも挨拶された。
 何処の幼稚園かと聞くと、保育所だと答えてくれ、何才かと逆に聞かれたので5才というと、4才だと言ってくれた。
「屋島で:遍路道の水仙」
 屋島の遍路道のきわに水仙が植えられている所があり、大きな花をつけていた。
 遍路道には木に咲く花は見かけるが、このように植えられた花は少なかった。
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2018年02月21日

「四国村のひな飾り」


[ 09:26 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ D四国村 ]
「雛飾り(四国村):農村歌舞伎舞台」
 3月3日の「ひな祭り」を前に、2月17日から四国村で、農村歌舞伎舞台や古民家に「ひな飾り」がされて見ることが出来るようになっている。
 ここ、小豆島から移築された「小豆島農村歌舞伎舞台」は、春と秋に演じられる歌舞伎が村の人にとって、他に娯楽の無かった時代に大きな楽しみであったという。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「雛飾り(四国村):小豆島農村歌舞伎舞台」
 県内外の方々から寄贈されたお雛様が、小豆島農村歌舞伎舞台の隅々まで所狭しと飾られていた。
 六列から七列に並べられた五段飾り、御殿飾りや前列には市松人形があり、健やかな成長を願って各家庭で飾られていたものがこの舞台に集結し、お子さんや外国人などの皆様にとっては、楽しさいっぱいの展示でないかと思われた。
 昨年の写真と見比べてみると、雛人形の数が一段と増えているのが分かった。
「雛飾り(四国村):旧河野家住宅」
 愛媛県から移築された「旧河野家住宅」に昨年と同じく男女一対のお雛様が床の間に飾られていた。
 去年と様子が違うのは、古タンスの上に髪の長い男女の人形が、ガラスケースに入れて置いてあった。
「雛飾り(四国村):旧下木家住宅」
 徳島県から移築された「旧下木家住宅」、七段の豪華な雛飾りがされていた。
 雛飾りの右にある「生け花」、素人見にも華やかさにあふれた花のように思われた。
「雛飾り(四国村):古民家のお雛様」
 その他の古民家に飾られていた雛飾り。
 写真上は徳島県から移築の「旧中石家住宅」、写真上右は高知県から移築の「旧前田家土蔵」。
 写真下左は丸亀市から移築の「旧丸亀藩斥候番所」、写真下右は徳島県から移築の「旧吉野家住宅」。
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2018年02月20日

「屋島で探し物」


[ 12:22 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ @屋島山上 ]
「屋島:屋島ドライブウェイ」
 屋島に行くときは、ブログを書く材料になるものが何かないかと、鵜の目鷹の目で探し物をしている。
 去年の10月25日から屋島ドライブウェイが土砂崩れのために「片側通行」になり、信号機が設置されている。
 当初は砂入りの大きな黄色の袋が並べられていたが、最近になって背の高い鉄の梯子のようなものが打ち込まれて頑丈な防護壁になっていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「屋島山上:獅子の霊厳」
 屋島山上の「獅子の霊厳」に来たお遍路さんの団体客を前に、添乗員さんは高松市街、瀬戸大橋、女木島、男木島、豊島、岡山そして金毘羅さんの山などを上手に説明をされていた。
 自ら添乗員さんが持っていた「かわらけ」を投げ、誰か他の人も投げて見てといい先達さんが指名され、意外に上手に遠くまで飛ばされていた。
 添乗員さんから海まで届いたら1億円が貰えると冗談を言われていたが、とてもじゃないがそこまでは飛ばせない。

「屋島山上:新屋島水族館」
 獅子の霊厳を歩いていたとき、「新屋島水族館」から元気なトレーナーさんの声が聞こえてきて、少し離れた所からではあったが、空中をイルカが飛んでいるのが見えた。
 無料で見ることを昔、「ただ見」と言っていたが、古い広辞苑に無く、インターネットで探したがその言葉が見つからなかった。
「屋島山上:桃太郎広場」
 屋島山上の桃太郎広場に「モチノキ」があり、たくさんの赤い実を付けていた。
 小鳥が好んでこの実を食べるというが、ここではまだ小鳥が食べたようなあとは無いようであった。
「屋島中町:大宮八幡神社」
 高松市屋島中町の「大宮八幡神社」の境内末社の「天満宮」である。
 受験シーズンが到来し、梅の季節を迎えて鳥居さんに五角形の赤い飾りが結ばれていた。
 鳥居さんの両側にある梅の木の花はまだ咲いていなかったが、社の後ろにあった白い花と紅い花が咲いていた(写真下)。

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2018年02月19日

「町へ出掛ける」


[ 20:40 ][ まち・生活・学校:まちなみ・おすすめスポット ][ I高松市内 ]
「町へ:羽生選手、小平選手 金メダルおめでとう」
 平昌オリンピックのフィギュアスケート男子で羽生結弦選手が、スピードスケート女子500bで小平奈緒選手が金メダルに輝いた。
 琴電片原町駅の南の踏切で、築港行きの電車が通ったが、黄色の電車の車体に赤色で「○金」の文字、あたかも金メダルの受賞をお祝いしているようであった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「町へ:イキイキさぬき健康塾」
 高松市丸亀町レッツホールで「第33回イキイキ健康塾(香川大学病院と最新医療)」が2月18日にあり、テーマが「知っているといいかも知れない肺癌のきほん」であったので、聞きに行った。
 「癌は日本人の死因の第一位を占め、肺癌はその中でも男性の死亡原因の1位、女性では2位で、肺癌は恐ろしい病気のように思われますが、他の癌と同じで早期発見、早期治療で完全に治すことができ、難しいと思われる肺癌についての“きほん”をわかりやすくご説明したいと思います。」と、ポスターにありました。


「町へ:イキイキさぬき健康塾」
 丸亀町レッツホールで開かれた「イキイキさぬき健康塾」、開会のちょっと前に着くと、ほぼ満席で開会前には満席のようであった。
 「肺癌の予防、発見のためにどうしたら?」、「肺癌の診断の流れ」、「肺癌の治療法」などパワーポイントを使った詳しい説明をお聞きした。
 高齢になると、いろいろと病気の心配をかかえこんできている。
「町へ:丸亀町壱番街ドーム広場」
 丸亀町壱番街東館4階のレッツホールから降りしなに二階から見た「壱番街ドーム広場」である。
 1階に下りて見ると「お菓子まつり」が開かれており、いろいろなお菓子が販売されていた。
 また「あん餅雑煮」が売られており、「お菓子屋さんが作る本格あん餅雑煮、ダイシモチを使用して作りましたと、あった。
「町へ:新川大橋から見た渡鳥」
 屋島の山が望める「新川大橋」から新川を見ると沢山の渡り鳥が、首を水中に突っ込んでエサを探していた。
 今頃の寒い季節にどんなエサが居るのだろうか。
 橋の高さが水面から10mぐらいだろうか、写真を撮る自分の姿の影が写っていた。

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2018年02月18日

「ふるさと探訪:高い法然寺をまるごと観るG」


[ 08:50 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ Gウォーク・里山 ]
「ふるさと探訪法然寺:般若門」
 1月の「ふるさと探訪」で高松市仏生山町の「法然寺」に来ている。
 「法然寺」の来迎堂の裏の般若台の入口に「般若門」があり、高松藩主や一族のお墓に参拝する場合は、この門から「般若台」に入るが普段はカギがかかっており入れないが藩主の命日には開かれているという。
 「般若門」の屋根下に丸い大きな葵の門があり、再建主として「第十四代当主松平頼武、匠長 木澤源平」の名前が、板に書かれて掲げられていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「ふるさと探訪法然寺:初代頼重公のお墓」
 「法然寺」の「来迎堂」の上あたり「般若台」に初代高松藩主松平頼重公のお墓があった。
 大きな縦長の丸い石で作られており、周囲を玉垣で囲まれていた。
「ふるさと探訪法然寺:高井角右衛門のお墓」
 「法然寺」の歴代藩主と一族のお墓がある「般若台」にひと際おおきい初代藩主松平頼重公のきわに、小さな五輪の塔がある。
 これは、頼重公のご逝去の際に殉死した家臣の「高井角右衛門」のお墓だという。
 武家法度で殉死が禁止されており、頼重公の死亡より早く切腹したので、乱心だったと申し立ててお咎めを免れたという。
「ふるさと探訪法然寺:歴代藩主のお墓」
 「法然寺」の歴代高松藩主のお墓は、二代と九代がさぬき市の霊芝寺に、十代が東京の伝通院にあり、その他はここに眠っているという。
 写真は、四代から八代の藩主のお墓がある地域である。
法然寺般若台の九代藩主ョ恕公の奥方「倫姫(つねひめ)」の墓の後ろにある丸い小さな墓は、忠義の犬として葬られた「白犬」の墓である。
 倫姫の亡骸が江戸から讃岐に帰るとき、お棺の列に付き添う一匹の白犬がおり、葬式を終え一行が江戸に帰るとき、白犬は船上から瀬戸内の海に身投げしてしまう。この白犬は、江戸屋敷で殺され倫姫が手厚く供養した白犬の子犬ではないかと思われ、松平家の墓所の一角に墓が建てられたという。
 なお、平成30年2月19日(月)の9:00〜19:00はメンテナンスのためeーとぴあフログを見ることが出来ないそうである。
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2018年02月17日

「ふるさと探訪:法然寺をまるごと観るF」


[ 09:38 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ Gウォーク・里山 ]
「ふるさと探訪法然寺:文殊楼」
 1月の「ふるさと探訪」は、高松市仏生山町の「法然寺」に来ており、転ばないように手すりを握り、気をつけながら「文殊楼」まで上ってきた。
 「文殊菩薩を中心に左右に梵天、帝釈天を祀る。楼上に平和の鐘(昭和25年新鋳)が掛かる。27世心阿照道と親交厚かった福田平八郎画伯の「平和の鳩」と歌人吉井勇氏の「この鐘のひびこうところ大いなるやはらぎの世の礎となれ」の歌が鋳込まれている。」※讃岐の寝釈迦より。
「ふるさと探訪法然寺:文殊楼から仁王門方面を見る」
 「法然寺」の「文殊楼」がある場所から、下方の仁王門方面を見下ろした所である。
 仁王門の横に「五重塔」があり、その左に「涅槃門」と「三仏堂」の屋根が見えていた。
 仁王門の向こうに「前池」があり、そして「日山」の姿があった。
「ふるさと探訪法然寺:文殊楼の鐘」
 「法然寺」の「文殊堂」を通り抜けて、石段の途中で振り返ると、2階に鐘の下部が見えている。
 12月31日の除夜の鐘も、ここ「文殊楼」の鐘が打たれているという。
「ふるさと探訪法然寺:来迎堂」
 「法然寺」の般若台に近く一番高い所にあるお堂の「来迎堂」である。
 堂内には阿弥陀如来を中央に観音・勢至菩薩をはじめとする二十五菩薩が安置され、楽器を奏で、雲に乗り浄土から迎えに来る光景が立体彫刻で表されているという。
 今回は見えなかったが、あらかじめ許可を得れば見学できるという。
「ふるさと探訪法然寺:来迎堂内」
 「法然寺」の「来迎堂」の堂内には、金色の壁一面に本尊・阿弥陀如来を中央に観音・勢至菩薩をはじめとして二十五菩薩が楽器を奏で、歌い舞い雲に乗り浄土から迎えに来る光景が立体彫刻で表されているという。
 総門から始まり、浄土を目指し参道を登ってきた参詣者は、ここで如来に迎えられ、極楽浄土へ旅立つという場面を体感することができます。(ふるさと探訪資料より)
 写真は、2011年10月17日に扉の穴から堂内を写さしていただいたもの。
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2018年02月16日

「ふるさと探訪:法然寺をまるごと観るE」


[ 09:27 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ Gウォーク・里山 ]
「ふるさと探訪法然寺:仁王門」
 「ふるさと探訪」で「法然寺」の境内に入ると、赤い肌の金剛力士像が睨んでいる「仁王門」が真っ先に目に飛び込んでくる。
 「来迎堂へ至る堂々とした八脚門、脇間は三棟造とするが、中央間では谷をつくらずに鏡天井とする。虹梁・実肘木の渦から19世紀初期のものと考えられる。阿・吽金剛力士像安置。」
 金剛力士像の裏には、「高松檀紙わらじ会」から大きな「わらじ」が奉納されていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「ふるさと探訪法然寺:仁王門を入り雄山を望む」
 「法然寺」の仁王門をくぐると、般若台のある雄山に向って一直線に参道が続いている。
 「万灯篭 昭和大改修に際して、寄進された、法然寺型ともいうべき石灯篭が林立する。万灯会には一斉に灯される。」
 「万灯会 8月16日夜、盆の送り火。12月31日除夜の鐘を聴きながら1年をふり返る。」※讃岐の寝釈迦より。
「ふるさと探訪法然寺:二尊堂跡」
 昭和26年1月13日に焼失した元「二尊堂」があった跡で、基礎が残っている。
 ここから「文殊堂」まで、急な石段が相当高く続いていた。
「ふるさと探訪法然寺:元二尊堂」
 4年前まであった「法然寺」の木が生い茂る中にあった在りし日の「二尊堂」で、平成23年10月17日に写した写真である。
 
「ふるさと探訪法然寺:元二尊堂」
 かって「法然寺」にあった「二尊堂」で、中を通り抜ける際に見上げる位置にあった仏壇である。
 「阿弥陀如来、釈迦如来の二尊を祀り、その下を通り抜け、山頂に至る。両脇には歴代祖師像を安置する。木造でありながらシルクロードに見る石窟寺院の龕(がん)の型式という。」※讃岐の寝釈迦より。
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2018年02月15日

「町をめぐって」


[ 08:08 ][ まち・生活・学校:まちなみ・おすすめスポット ][ I高松市内 ]
「町めぐり:サンポート高松」
 このところ寒い日続いていたが、14日は春のようなぽかぽか天気となり、サンポート高松のバス待合所から出られて、外でスマホを見ている人がいた。
 JR高松駅前のJRクレメントホテルの南側に新築のホテルの骨組みが立ち上がっていた。
 工事現場の周りにあるパネルに、客室数222室のホテルが平成30年秋ごろに完成予定と書かれていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「町めぐり:サンポート高松」
 サンポート高松の海岸から西方を見ると、大槌、小槌の三角の島が見え、その手前の左側の海上に白い浮きのようなものが、たくさん浮いていた。
 何だろうか、魚を獲る網なのか、魚を養殖している筏なのか分からない。
「町めぐり:琴電瓦町駅」
 琴電瓦町駅前のコンコースに「フラワーバレンタイン」の幟が立ち、黒板に「2月14日のバレンタインデーは、そもそも男女が互いに愛や感謝を伝えあう日。男性のみなん、花贈りにチャレンジしませんか?」と書かれていた。
 中央には見本となるいろいろな花が飾られていた。
「町めぐり:選挙啓発ポスター展」
 瓦町FLAG8階の高松市役所のコーナーで、「明るい選挙啓発ポスター展」が2月13日〜2月18日まで開かれていた。
 工芸高校生の作品がずらーりと並んでおり、いずれも素晴らしい作品だなと思った。
「町めぐり:高松税務署」
 所得税の確定申告の時期になり、高松税務署へ「取得税等の確定申告書」の用紙を貰いに行った。
 控除の証明書などを準備し申告書に沿って計算すると、医療費控除の対象でもなく、税金が還付されることにはならなかった。
 年金所得者に係る確定申告不要制度により、所得税等の確定申告が不要であった。
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「町をめぐって」


[ 08:01 ][ まち・生活・学校:まちなみ・おすすめスポット ][ I高松市内 ]
「町めぐり:高松市役所」
 税務署への確定申告は不要でも、各種控除の適用がある場合には、市役所に「市民税・県民税申告書」を提出する。
 こちらの申告受付期間は、1月29日〜3月15日になっており、2月14日に市役所の「市県民税申告相談所」で見てもらい、書き間違いを修正して提出した。
「町めぐり:詰田川河口」
 屋島が見える高松市木太町の「詰田川」の河口で、たくさんの嘴の白い鳥が憩っていた。
 余り水質が良くないのでないかと思われたが、鳥の数は300羽位いるのでないかと推定された。
 何をエサにしているのか、元気に動き回っていた。
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2018年02月14日

「ふるさと探訪:法然寺をまるごと観るD」


[ 08:51 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ Gウォーク・里山 ]
「ふるさと探訪法然寺:三仏堂の寝釈迦さま」
 「ふるさと探訪」で仏生山の「法然寺」に来ており「三仏堂」の寝釈迦さまを見ており、撮影禁止のためいただいた栞の写真を使わせていただいた。
 現在仏を表わす阿弥陀如来坐像を中尊に、左右に過去仏を表わす釈迦如来像、未来仏を表わす弥勒菩薩像を配する三尊像(香川県指定有形文化財)を本尊としたのが、その名の由来だという。
 また、堂内にはお身丈9尺の木像釈迦如来涅槃像が安置されていることから「涅槃堂」とも呼ばれます。釈迦の生前の姿が立釈迦で、亡くなった姿が寝釈迦であり、松平頼重の正室である皓月院殿の菩提を弔うために作られたとされています。
 この涅槃像を中心に、空中には雲に乗る釈迦の母・摩耶夫人、周囲には嘆き悲しむ十大弟子や動物の彫像52類などが安置されています。(現地看板の抜粋)
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「ふるさと探訪法然寺:涅槃門」
 「法然寺」の「三仏堂(涅槃堂)」の前方にあるのが「涅槃門」で、上部に「法然寺」と書かれた扁額が掲げられていた。
 「涅槃門」は、切妻造り本瓦葺きの八脚門である。

「ふるさと探訪法然寺:良忠院の安産守護」
 「法然寺」の「三仏堂(涅槃堂)」の前に安産守護の「良忠院」がある。
 「法然寺八代の忠学上人を祀る。上人は母が埋葬されたのち、その墓所で生まれたといわれる。長じて亡き母を追慕のあまり僧となり、よく世の母子の危害を救った。よって妊産婦の安産守護と母子の災難除けとなっている。」※讃岐の寝釈迦より。
 安産・子育ての「忠学上人」のお墓が、お堂の裏手の墓地にあった。
「ふるさと探訪法然寺:三仏堂の建物」
 「法然寺」の「三仏堂」の建物の写真を撮るのを忘れていたので、平成23年(2011)に写した写真を用いた。
 「涅槃門」を入ると、右側に民間信仰の安産守護として知られる忠学上人を祀る「良忠院」があり、正面に方形に近い「三仏堂」のお堂がある。
 「三仏堂」は、阿弥陀如来坐像、釈迦如来坐像、弥勒菩薩坐像を本尊とするため、この名が付けらていますが、古くから「讃岐の寝釈迦」として知られる涅槃像があり、「涅槃堂」とも呼ばれている。
「ふるさと探訪法然寺:五重塔」
 「法然寺」の「仁王門」を入って右に「五重塔」がある。
 平成23年(2011)が法然上人八百年・親鸞聖人七百五十年大遠忌にあたることから、その記念事業として五重塔の建立が進められ、法然上人没後八百年にちなみ、塔の高さも壇上から800寸(24.24m。)となっており、初層階に仏舎利が祀られているという。
 平成23年1月25日新築。
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2018年02月13日

「ふるさと探訪:法然寺をまるごと観るC」


[ 07:49 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ Gウォーク・里山 ]
「ふるさと探訪法然寺:切り絵」
 1月の「ふるさと探訪」で訪れた「法然寺」の書院の廊下に切り絵が掲げられていた。
 この絵は、五重塔の落慶記念(平成23年)に松平公益会から贈られたもので、作者は「萩原幹生氏」だという。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「ふるさと探訪法然寺:書院の寺宝展示室」
 「法然寺」の書院に「寺宝展示室」があり、いろいろな物が展示されていた。
 歴代藩主のお墓がある般若台にかってあった「般若堂」に安置されていたという法然寺を開基した初代藩主松平頼重公の陶像の台座が展示されており、頭部が無いが松平頼重公が招いた京都の陶工「紀太理兵衛」の作品でないかといわれる。
「ふるさと探訪法然寺:書院の寺宝展示室」
 「法然寺」の書院の「寺宝展示室」に展示されている昭和62年まで「黒門」の屋根を葺いていた瓦である。
 この瓦、初代の理兵衛焼で赤い色をしている。
「ふるさと探訪法然寺:祖師堂内」
 「法然寺」の書院から本堂を経て、「祖師堂」に入ると、信者から献灯された「万灯会」が天井に吊り下がっていた。
 左右には聖観音立像(昭和50年)、阿弥陀仏座像(昭和62年)などのお骨仏が安置されていた。

「ふるさと探訪法然寺:三仏堂内」
 「法然寺」の「三仏堂(涅槃堂)」の左右と後ろの廊下には、椅子に座られた僧の像がたくさん並んでいた。
 お名前は分からなかったが、「法然寺」に関係のある高僧でなかろうかと思われた。
 「広目天」や「増長天」などの立像もあった。
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2018年02月12日

「春よ来い(四国村)」


[ 08:39 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ D四国村 ]
「春よ来い(四国村):梅の花」
 まだ寒い風が吹きつけるていた2月11日四国村にて。
 「春よ来い、早く来い
 四国村の梅の木の
 蕾も膨らみ はよ咲きたいと待っている。」
 楮蒸し小屋前の梅林まだ三、四輪の花しか見えなかった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「春よ来い(四国村):水仙の花」
 四国村の「かずら橋」を渡り、少し坂を上った農村歌舞伎舞台の斜面にスイセンの花がある。
 もう咲きはじめて一か月位となり、ほとんど満開に近づいてきている。
 木々の零れ日に、さんさんと光り輝いて見えていた。
「春よ来い(四国村):マンサクの花」
 四国村の「旧久米通賢宅」前庭に、一本のマンサクの木がある。
 大きな枯れ葉が引っ付いた枝先に、黄色の花びらの花が咲いていた。
 「落葉大低木。高さ三bくらい。山地に自生。早春、黄色・線形の四弁花を開き、楕円形の刮ハ(さくか)を結ぶ。茶花として栽培、花季が早いので珍重される。」※広辞苑より=刮ハ:複子房の発達した果実で、熟すれば縦烈して種子を散布する。


「春よ来い(四国村):唐臼の水」
 四国村の旧下木家住宅の下あたりに、約10cmの竹を半割りにした樋(とい)が長く伸び、勢いよく水が流れていた。
 この水が流れ落ちる所に「唐臼」があり、水が溜まると「ドスン」と音をたてて、杵が穀物を入れる臼を搗くという昔の機械である。
 立派な庭園にある竹製の「ししおどし」の原理と同じようである。
「春よ来い(四国村):資料館の昔の暖房器具」
 四国村の旧丸亀藩御用蔵内に「資料館」があり、昔の人が暖房のない冬に使っていた品が展示されていた。
 一番左が「行火(あんか)」と書かれていたが、子ども時代に「炬燵(こたつ)」といって、母親が中に炭を入れた炬燵を布団に入れてくれていた。
 足で踏み倒すと火事になる恐れがあり、心配していたことを思い出す。 
 左から二番目が「回転式行火」で「ふいにころがしても、火入れの部分が平行に保つことができる行火」と説明書きがあるが、我が地方では見たことがない。
 右の三つが金属製と陶製の「湯たんぽ」で、金属製は今も使われている。
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「春よ来い(四国村)」


[ 08:26 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ D四国村 ]
「春よ来い(四国村):かずら橋」
 幾分暖かかった2月11日、四国村の「かずら橋」の架かる池には、氷が無い。
 三連休の中日、観光客がぞろぞろと入村し、お年寄りもお子さんも、平気な様子で橋を渡っていた。
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2018年02月11日

「ふるさと探訪:法然寺をまるごと観るB」


[ 15:20 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ Gウォーク・里山 ]
「ふるさと探訪法然寺:本堂」
 1月21日、「ふるさと探訪」で高松市仏生山町の「法然寺」に来ており、本堂門の正面に「本堂」が建っている。
 「明治40年に信誉明道(26世)が再建した。本尊は法然上人一刀三礼の秘仏で、小松庄生福寺から移したもの。脇壇には滝宮法然上人像を祀っている。平成元年5月より万灯会第七期工事として全面改修を行う。」※讃岐の寝釈迦より。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「ふるさと探訪法然寺:本堂の彫刻」
 「法然寺」の本堂の左右の柱の両側に龍の彫刻がされている。
 初代高松藩主の松平頼重公は隠居後、竜雲軒と名乗ったため、法然寺には多くの龍が住み、防火に当たったので320年間一度も火災にあわなかったという。(平成26年に途絶える。)
「ふるさと探訪法然寺:本堂の仏像」
 「法然寺」の本堂内が拝観できなかったので、昔(平成23年)に本堂内を写さしていただいた写真である。
 本堂内の仏を祀る内陣には、法然上人自作と伝わる阿弥陀如来像が安置されています。法然寺の前身である生福寺(まんのう町)から伝来したとも言われ、法然上人が一刀彫るたびに三度礼拝しながら作成したという逸話があり、「法然上人一刀三礼の秘仏」ともいわれ、その他にも波乗りの法然上人像、親鸞聖人像、善導大師像、来迎の阿弥陀三尊像、中品下生の印を結ぶ阿弥陀如来立像などの木像が安置されています。(現地看板より抜粋)
「ふるさと探訪法然寺:書院の入口」
 「法然寺」の本堂の右手に「書院」があり、「本堂」や「三仏堂」への拝観の入口にもなっている。
 玄関中央には綺麗な花が活けられていた。
「ふるさと探訪法然寺:お骨仏」
 書院には「お骨仏」が祀られている。
 阿弥陀仏(昭和24年)、観音勢至菩薩(昭和35年)などの三尊が十万体のお骨で、今村久兵衛氏がつくられたという。
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2018年02月10日

「ふるさと探訪:法然寺をまるごと観るA」


[ 11:23 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ Gウォーク・里山 ]
「ふるさと探訪法然寺:黒門」
 1月21日、「ふるさと探訪」で高松市仏生山町の「法然寺」に来ている。
総門から長い参道を歩いた所に「黒門」があり、門の名前は、全体が黒く塗られていることによる。
昭和62(1987)年、通行していた車の事故により門が倒壊したため、平成2(1990)年に以前の門の形式をもとに再建。
 再建前の門には、高松藩の御庭焼(おにわやき)である理兵衛焼(りへえやき)の瓦が乗せられていました。この門前で「下乗(げじょう)」、つまり駕籠(かご)などの乗り物から下りるよう定められており、ここから先は特別であることが示されています。(現地看板の抜粋)
「ふるさと探訪法然寺:境内」
 「法然寺」の黒門をくぐると「広庭(ひろにわ)と呼ばれる庭があり、この広庭で、参道は、山上に向う道、三仏堂に向う道、本堂へ向かう道の三つに分かれ、この黒門から先が極楽浄土となるといわれています。(現地看板の抜粋)
 広庭に入ると、仁王門の右に輝くような「五重塔」や「三仏堂」の屋根が見えていた。
 参加者が大勢集まったため、ここで先に「本堂」に行く班と、先に「般若台」に行く班の二班に分かれた。
「ふるさと探訪法然寺:本堂門」
 「法然寺」の境内に入ると、一番南に「仁王門」、次に寝釈迦が安置されている三仏堂の前にあるのが「涅槃門」、そして一番右が本堂まえにあるのが「本堂門」である。
 本堂門は円形の本柱の前後に袖柱を配した四脚門で、寛文年間(1661〜1673)の建築と見られ、平成三年に本堂と共に改修されているという。
 門には、三つ葉葵の紋が入った白幕が張られ、門の下から「本堂」の建物がのぞいていた。
「ふるさと探訪法然寺:弘法大師堂」
 法然寺の「本堂門」を入った左側に「弘法大師堂」がある。
 「高松藩祖松平頼重公は藩の菩提寺として、寺を藩民の信仰の母体とするため浄土宗にとらわれることなく讃岐の生んだ仏教の大先覚者弘法大師を祀り寺域内に八十八か所を設けた。」(讃岐の寝釈迦より)
「ふるさと探訪法然寺:藩主手植えの松」
 「本堂門」を入った右手に大きな屋根の「書院」があり、その書院の前に「藩主手植の松」があった。
 緑の枝が広がっており、何代の藩主がお手植えした松なのか、そんなに古そうには見えなかった。
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2018年02月09日

「ふるさと探訪:法然寺をまるごと観る@」


[ 09:54 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ Gウォーク・里山 ]
「ふるさと探訪・法然寺:集合場所の総門」
 平成30年になって初めての「ふるさと探訪」は、高松市仏生山町の「法然寺をまるごと観る」という催しであった。
 「法然寺」で何やら行事があり駐車場が使えないというので、「ちきり神社」に車を置かせていただき、「法然寺」の総門を入った所で受付を済ました。
 「総門」が「法然寺」の表門で、ここから境内が始まり、古図に「柵門」と書かれ、かっては門の南に番所と接待場が設けられていたという。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「ふるさと探訪・法然寺:受付・開始」
 「法然寺」の総門を入ったところにある「十王堂」前で大勢の参加者が集まり、9時30分から「ふるさと探訪」が始まった。
 高松市観光ボランティアガイドとして栗林公園や法然寺など案内していただいている講師の先生が、紹介されて説明していただいた。
「ふるさと探訪・法然寺:十王堂」
 「法然寺」の総門をくぐると長い建物の「十王堂」がありは、亡くなった人が生前に犯した罪を裁く閻魔王など十王(秦広王、初江王、宗帝王、五官王、変成王、秦山王、平等王、都市王、五道転輪王)が安置されている。
 仏教では、亡くなってから七日ごとに各王の前で裁きを受け、四十九日目の満中陰に死出の旅が終わりその後、百ヶ日、一周忌、三回忌の裁判があり、裁判の日にあわせて罪を軽くすることを願って仏事供養が行われているという。
「ふるさと探訪・法然寺:見返地蔵堂」
 「法然寺」の総門から道をはさんだ小さな「ちきり神社」がある山の斜面に「見返地蔵堂」が建っており、お堂に石の地蔵菩薩座像が安置されている。
 地蔵菩薩は、地獄道や餓鬼道など、往生できない人々が生死を繰り返して苦しみを味わう六道を巡って、人々を導き救済する菩薩といわれる。
 「総門」をくぐった先からは「あの世」が表現されており、門から「地蔵堂」を見る姿が、見知らぬ世界に向かう不安や「この世」への未練から振り返る様子に通じることから、「見返地蔵」と呼ばれるようになったという。(現地看板より抜粋)
「ふるさと探訪・法然寺:二河白道(にがびゃくどう)」
 「法然寺」の総門から黒門までの参道は、仏教の「二河白道」の教えを表わし、現世である東の岸と極楽浄土のある西の岸の間に1本の細い道があり、道の南には怒りや憎しみを表わす火の河、北にはむさぼる心を表わす水の河が広がり、阿弥陀如来を一心に信じることが極楽浄土へたどり着く方法であることを説いています。
 参道の北にある蓮池(現・仏生山小学校)を水の河に、南にある前池を火の河に見立て、参道が極楽浄土へ続く「白道」としています。
 「黒門」までの参道は、十王の裁きの後、「二河白道」を通って、「黒門」から先に広がる極楽浄土へたどり着くという配置になっているという。(現地看板より抜粋)
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2018年02月08日

「いろいろ」


[ 09:36 ][ 自然・環境:動物・植物・魚 ][ B屋島周辺 ]
「冬の金魚」
 我が家では徳島県鳴門市で買ってきた大谷焼の鉢を軒先に置き、金魚を飼っている。
 このところ朝早い時間には、鉢の水が凍っており、金魚も死んでいるのかと微動だにしない。
 去年12月初めからエサをやっていなくちょっと心配になり、氷を割ってみたら動き出して安心した。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「屋島のミカン」
 屋島の麓にミカン園があり、今頃の時期には全部収穫済みとなっている。
 一本だけ小さなミカンがまだ実を付けている木があり、大きな穴があき黄色くなった実があちこちになっていた。
 おそらく冬になりエサが少なくなり、小鳥がつついているのでないかと思われた。
「JR屋島駅の列車」
 午前9時20分ころ、JR屋島駅の300mほどに西にある「前田踏切」で、遮断桿が降りてきて自転車を止めた。
 東の駅のホームを見ると、三つあるホームのそれぞれに列車が止まっていた。
 一番左の徳島行き特急列車が向こう側に出発、次に真ん中の岡山行き特急列車が出発し、2分あとに一番右の高松行きの列車が動き出した。
「パソコンの壁紙」
 もう5年以上使っている「パソコン」、今では時々トラブルに見舞われている。
 このパソコンにNHKBS「こころ旅」のクイズマラソンに全問挑戦した記念にメールで送られてきた壁紙を使っている。
 火野正平さんが高知県を旅している時に、高所恐怖症のために自転車を恐る恐る押して渡っている写真であった。
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2018年02月07日

「JR屋島駅にて」


[ 10:37 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ HJR四国・琴電 ]
「JR屋島駅:雛飾り」
 3月3日の「雛祭り」を前に「JR屋島駅」に雛飾りがされていたので写真を撮らせていただいた。
 無人駅になって駅の管理を受託した「JR屋島駅盛り上げ隊」が切符の販売や「地域振興スペース」に写真、書、生け花などがいつも飾られている。
 誹毛氈を敷いた台の上に、10体を超える「お雛さん」が展示されている。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「JR屋島駅:吊り飾り」
 「JR屋島駅」の雛飾りで天井から下がった紐に、いろいろな色をした飾りものが吊り下げられていた。
 ウサギ、金魚、マリなどの形をしており、華やかな雰囲気を醸し出していた。

「JR屋島駅:名誉駅長さん」
 「JR屋島駅」内にきちんと駅長の帽子をかぶった名誉駅長さんの「ぽんぽこ(ポンタ)さん」が、西のコーナーに陣取っていた。
 富士山を背景にした新幹線の写真があり、右にある水槽には「メダカ」が飼育されている。
「JR屋島駅:おもいやり標語」
 「JR屋島駅」の「地域振興スペース」に古高松小学校、古高松南小学校の児童を対象にした「古高松地区青少年育成連絡協議会の平成二十九年度おもいやり標語受賞作品」が展示されていた。
 「ありがとう その一言がうれしいな」
 「ありがとう まほうの言葉でやさしくね」
 「考えてあの子の気持ちと自分の言葉」
 「笑顔など明るい心つなげよう」
 「おもいやりいろんな人へつないでく」
 「おもいきりゆうきをだしてごめんさい」
 「思いやりみんなできずいて助け合う」
「JR屋島駅:おもいやり標語」
 「JR屋島駅」の「地域振興スペース」に古高中学校の生徒を対象にした「古高松地区青少年育成連絡協議会の平成二十九年度おもいやり標語受賞作品」が展示されていた。
 「ありがとう感謝の気持ち伝えよう」
 「優しさの水かけて思いやりの花咲かせよう」
 「私の笑顔あなたの笑顔におすそわけ」
 「思いやり広がるえがお減る犯罪」
 「思いやり大事にすれば幸せ二倍」
 「やさしさで広がる心生まれる笑顔」
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2018年02月06日

「冬の屋島」


[ 14:00 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ @屋島山上 ]
「冬の屋島:シャトルバスの車中から」
 2月6日に屋島山上行きの「シャトルバス」に乗り、源平合戦の古戦場を眺めている。
 上空に今にも雪がふりそうな雪雲が立ち込め、北の空に青空が見える帯が東の方にのびていた。
 ずっと向こうに見える小豆島の山が、明るく日に照らされていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「冬の屋島:屋島寺東大門」
 屋島寺の東大門の南側のちょっとした広場に、雪が少しではあるが積もっていた。
 寒いはずで、毛糸の手袋をはいているが、指先が冷たく痛いほどであった。
 
「冬の屋島:睡蓮鉢の水が氷る」
 屋島寺東大門をくぐると、すぐ右側に大きな水蓮の花と天女が描かれた大きな睡蓮鉢がある。
 いつもは天から水が零れ落ちているが、今朝はその水が凍りつき、長さ1メートルを超える氷柱となって垂れ下がっていた。
 底には砕け散ったと思われる氷塊が落ちており、早朝にはもっとすごい氷であったと思われた。
「冬の屋島:瑠璃宝池(血の池)」
 冷たい風が吹き抜け、見物する人もいなかった「瑠璃宝池(血の池)」の池面に、氷が張っていた。
 汚れた水ではあるが何か生物がいそうであり、テレビ東京の「池の水ぜんぶ抜く」という番組があるが、水を抜いて綺麗な水を入れなおして鯉でも放流すると、見物する人が増えそうな気がするがどうだろうか。
「冬の屋島:屋嶋城」
 667年(天智天皇6年)に築かれたと日本書紀に書かれている「屋嶋城」が平成28年3月に復元され、公開されている。
 2月6日久しぶりにここから降りようとやって来ると、「ゴオー」という音をたてて冷たい風が吹き抜けていた。
 風に飛ばされないようにゆっくり下りたが、麓まで下りてくると風も弱くなり、少し暖かかった。
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2018年02月05日

「アッケシソウの再生か」


[ 08:46 ][ まち・生活・学校:まちなみ・おすすめスポット ][ B屋島周辺 ]
「新川河口:新浜緑地」
 高松市屋島と春日町の間を流れて屋島湾に注ぐ「新川」の河口の高松市屋島西町に「新浜緑地」という小公園がある。
 屋島塩田が廃止されたため「アッケシソウ」をこの「新浜緑地」に移植し、育てられて2013年ごろまでは「アッケシソウ」を見ることができたという。
 新川新橋から見た写真の右にあるマンション左下にこの「新浜緑地」があり、中央の山が女木島である。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「新川河口:新浜緑地」
 昨年の高松市議会で「新浜緑地」のアッケシソウの再生について地元の市会議員さんが質問され、再生に向けた対策がとられることになった。
 「アッケシソウ」の生育には塩水の「塩分濃度」が必要で、去年10月末には新川河口から塩分濃度の高い塩水を引き込む水路が完成していたようである(写真)。
「新川河口:新浜緑地」
 2月3日に自転車で新川べりの道を通り「新浜緑地」に久しぶりにやってくると、新川から水を汲み上げているのか、ゴーというモーター音が聞こえてきた。
 テスト運転をしているのだろうと思われた。
「新川河口:新浜緑地」
 反対側に回ってみると、「管」から汲み上げた海水が出ており、池の中に海水が溜まり始めていた。
 溜まっている水が少し汚れて汚そうであったが、池の水に指をつけて舐めてみると、なるほど塩っぱかった。
 昔、北前船で運ばれてきたのでないかという「アッケシソウ」がいよいよ、屋島の地で再生に近づいているように思われた。
「新川河口:ミサゴだろうか」
 新川河口を走る琴電志度線の線路際に、桜の木が植わった「片田公園」の上の電線に大型の「ミサゴ」でないかと思われる鳥が7〜8羽止まっていた。
 電線を握った足が逞しく、嘴も鋭かった。
 近づこうとゆっくりと歩を進めたが、気づかれて輪を描くように飛んで行った。
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2018年02月04日

「高松競輪開設67周年記念玉藻杯争覇戦」


[ 08:32 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ I高松市内 ]
「記念高松競輪:クオカード」
 高松競輪開設67周年記念「玉藻杯争覇戦」が、2月1日〜4日まで、高松競輪場で開かれている。
 高松競輪ファンクラブに加入しており、入場すると写真のクオカードをいただいた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「記念高松競輪:スタンド」
 記念競輪には、有名選手が出場して戦いを繰り広げる。
 スタンドには、普段はない選手の名前が書かれた横断幕が、多数張られていた。
 これらの選手を応援するファンが掲出しているのだろうか。
「記念高松競輪:イベント」
 競輪場の遊具などが設置されている「チイタカ広場」で、いろいろなイベントが開かれ、大勢の家族連れらが観覧していた。
 写真上左「キラキラ・プリキュアアラモードショー」。
 写真上右「ボンクラステージ」にゲスト出演のガールズ競輪の「宮内愛選手」。
 写真下左は、ボンクラステージで踊る「盆栽踊り」。
 写真下右は、ピアニカをおでこで演奏する「にしね・タイガー&華井二等兵」のお笑いステージ。
「記念高松競輪:ミニ動物園」
 「チイタカ広場」の東のコーナーで、出張白鳥動物園「わんわんPark」が開かれていた。
 柵の中に入った犬ちゃんを、お子さんたちが可愛いと撫でていた。
 13時40分過ぎから、五匹の犬ちゃんによるドックショーが開かれて、見ていた家族連れからたくさんの拍手を受けていた。
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2018年02月03日

「文化財防火訓練(栗林公園)(1)」


[ 10:27 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ F栗林公園・玉藻公園・中央公園 ]
「文化財防火訓練(栗林公園):消防車」
 昭和24年1月26日に現存する世界最古の木造建造物である法隆寺(奈良県斑鳩町)の金堂で火災が発生し、壁画が焼損したことを受け、毎年1月26日を「文化財防火デー」に定められている。
 1月23日に文化財防火デーを前に栗林公園で消防訓練が実施されるというので、入園した。
 栗林公園内に訓練に参加する消防車なのか駐車の車があったが、実際に火災が発生したのか園外に出動して行った。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「文化財防火訓練(栗林公園):商工奨励館から煙(訓練)」
 栗林公園内には明治32年に建てられた「商工奨励館」などの文化財などがあり、文化財愛護意識の高揚と消防との連絡協力体制の確立を図ることを目的として、消防訓練が行われた。
 訓練の前に日本語、英語、中国語なとで、火災報知器が鳴るがこれは「訓練」である旨の放送があり、発煙筒の煙りを発生させて「商工奨励館」で火災が発生したという設定で防火訓練が始まった。

「文化財防火訓練(栗林公園):南湖から汲み上げ」
 火災報知器が訓練で鳴る中、「栗林公園自衛消防隊」の小さい「手押し消防車」が、北湖の箱松付近に吸管を沈め、発動機が始動していた。
 合図があったのか商工奨励館前まで長く繫げた白いホースが膨らみ、水が送られて行った。
 北庭の「石梁」にもう一台の「手押し消防車」が配置されていた。
「文化財防火訓練(栗林公園):放水開始」
 まず、北湖から水を吸い込んでいたホースから、勢いよく放水が始まった。
 本来なら火災現場に向って放水するのであるが、訓練のために「檜御殿跡」の芝生広場に向けて水がほとばしった。
「文化財防火訓練(栗林公園):放水で虹」
 続いて北庭の「石梁」付近に据え付けられた「手押し消防車」からの水が、放水された。
 水は霧となって風に流されるものがあり、放水する消防団員さんの左に小さく、虹を描いていた。
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「文化財防火訓練(栗林公園)(2)」


[ 10:24 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ F栗林公園・玉藻公園・中央公園 ]
「文化財防火訓練(栗林公園):放水」
 防火訓練は、「栗林公園自衛消防隊」だけでは手に負えないという設定か、待機していた高松市消防団の「南部分団」の消防車が商工奨励館前にかけつけて、放水を開始した。
 これで三台の消防車が、「檜御殿跡」の芝生広場に向けてしばらく放水を続けていた。
「文化財防火訓練(栗林公園):講評」
 栗林公園で行われた防火訓練が終了すると、消防団員が商工奨励館のヒマラヤ杉の前に整列し、講評が始まった。
 栗林公園観光事務所長さんと高松市北消防署長さんの二人から講評があった。
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2018年02月02日

「ふるさと探訪・寺町界隈を歩く(高松市)B」


[ 08:45 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ I高松市内 ]
「ふるさと探訪寺町界隈:無量寿院」
 12月の「ふるさと探訪」で高松市御坊町の高松興正寺別院からフェリー通りを渡り東に行った所にある「無量寿院」に来ている。
 赤茶色の塀が続く中央に山門があり、山門をくぐると広い庭の向こうに「本堂」があった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「ふるさと探訪寺町界隈:無量寿院の本堂」
 高松市御坊町の「無量寿院」は真言宗御室派のお寺さんで「紫山隋願寺」といい、坂田郷室山の麓に天正年間(729〜749)に行基菩薩が創建したという。
 その後、現在のサンポートや中央公園の南に移転し、寛文2年(1667)に現在地の御坊町に移ってきている。
「ふるさと探訪寺町界隈:無量寿院の石像三体」
 「無量寿院」の塀際に三体の石像があり、戦前の伽藍が高松空襲で失われる中、残ったのがこの石像だという。
 右から「理源大師」(天智天皇の六世孫にあたり、弘法大師の高弟に密教を学ぶとともに山岳修行に打ち込み修験道を復興)、真ん中に「倶利伽羅不動」(クリカラ竜王、倶利伽羅明王とも呼ばれ、盤石の上に剣が立ち、倶利伽羅竜王が巻き付いている)、左に役行者(大和葛城郡に住み、山岳修行を重ね呪法を学び、苦行の金峯山で金剛蔵王大権現を感得し、修験道の基礎を築いた。)であった。

「ふるさと探訪寺町界隈:高野山讃岐別院」
 高松市御坊町の「無量寿院」からさらに東に行くと、築地町の「高野山讃岐別院」の大きな建物が見えてくる。
 12月の「ふるさと探訪」の予定では、ここも訪問する予定であったようだが、時間の関係か割愛されていた。
 ホームページによると高野山讃岐別院は、「明治16年に和歌山の高野山より讃岐の国に弘法大師御尊像をお祀りする為に開かれました。」と書かれていた。

「ふるさと探訪寺町界隈:杣場川と新橋」
 片原町商店街から東にずっと来た「オオクラホテル高松」の近くにある見えない川の「杣場川」に架かる「新橋」があった。
 南の多賀町あたりから「杣場川」の流れがあり、昔この川の付近に勤めていた時は水質悪化のためかドブの匂いが良くしており、昭和51年までに暗渠化され琴電今橋駅から新橋までは木が植えられた公園になっている。
 「新橋」の北の公園で説明がされていたが、橋の隙間から匂ってくるドブの匂いは、臭かった。
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2018年02月01日

「ふるさと探訪・寺町界隈を歩く(高松市)A」


[ 08:58 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ C神社・仏閣 ]
「ふるさと探訪寺町界隈:お城のような本堂(高松興正寺別院)」
 高松市御坊町の「高松興正寺別院」の本堂は、昭和27年7月4日の高松空襲で、全焼している。
 その後、小さな仮堂が建ち、昭和25年に本堂の工事を着工し、本堂が再建されたのが昭和34年であったという。
 白い壁の正面の上に、和風の木造屋根が3棟乗っているようであった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「ふるさと探訪寺町界隈:興正寺別院本堂内
 高松市御坊町の興正寺別院本堂内で、輪番を務める高松市円座町の「相念寺」の葛西一住職さんから、香川県の仏教寺院について、真宗興正派について、別院の仏像、建物について詳しくお話があった。
 本堂は広々としており、参加者が150人ぐらいだったがまたまだ余裕がある広さを誇っていた。
「ふるさと探訪寺町界隈:高松興正寺別院本尊の阿弥陀如来像」
 高松市御坊町の高松興正寺別院本堂にはご本尊の「阿弥陀如来像」や「宗祖親鸞聖人像」が安置されていた。
 配布いただいた「ご坊さん物語(〜高松興正寺別院のあゆみ〜)によると、高松空襲による火災の最中に一人の老人が燃え盛る本堂に飛び込みご本尊の「阿弥陀如来」が救出されたといい、そのため像は黒ずんで見えていた。
「ふるさと探訪寺町界隈:高松興正寺別院の多宝塔(六角堂)」
 高松市御坊町の高松興正寺別院の本堂を南から見た写真で、五階建ての最上階に「多宝塔」が作られていた。
 周囲にビルなど無かった時代には、遠くからこの多宝塔が見えていたといい、別院の横や前を何回も通っていたが、このような建物があったとは知らなかった。
 六角形の形をした建物で「六角堂」とも言うらしく、急な階段だけどここまで登れるらしかった。
「ふるさと探訪寺町界隈:高松興正寺別院の讃岐国名勝絵図」
 高松市御坊町の高松興正寺別院本堂前の右側に1853年に書かれた勝法寺(元高松興正寺別院)の「讃岐国名勝絵図」があった。
 周囲がすべてお寺さんで、お寺の町であったことが分かる。
 また、本堂の正門左にあった「手水鉢」が、空襲を受けた時にひび割れや変色している跡を見ることができた。
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