屋島のできごとさんのブログ
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屋島のできごと
徳島に生れ育ち、四国四県を渡り歩き 、現在高松市に住む。 前月等のプログを見る場合は、下のカレンダーの月の部分の青色の「く」の部分をクリックしてください。(写真は、我が家の「木いちご」H29.5.14撮影)
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2017年05月27日

「東谷農村歌舞伎公演C」


[ 07:52 ][ 文化・伝統:伝統文化・工芸・芸術・芸能 ][ I高松市内 ]
「東谷農村歌舞伎:交通安全・防犯キャンペーン」
 高松市香川町の「東谷農村歌舞伎公演」、高松南警察署香川交番の協力により、歌舞伎に出演した子どもさんや地域の人が出演し「交通安全・防犯キャンペーン」が行われた。
 「気をつけよう交差点」、「高齢者に思いやりを」、「絞めようシートベルト」、「守ろう自転車のルール」、「つけよう反射材」と書かれた幕を子供たちが持ち交通安全標語を話し、花道では傘に書かれた「飲酒運転ダメ」を表示していた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「東谷農村歌舞伎:交通安全・防犯キャンペーン」
 「交通安全・防犯キャンペーン」の最後に「未来へつなぐ住みよいまちとよき伝統」の横断幕をみんなで持ち、「交通安全・防犯キャンペーン」を呼び掛けていた。
 
「東谷農村歌舞伎:さぬき相撲甚句会」
 次に「さぬき相撲甚句会」による相撲甚句が披露された。
 平成26年度の全国大会で優勝しているこの甚句会、旧高松城まつりでも何度か自慢ののどを聞かせていただたことがある。
 大相撲が巡業で地方に来たときに、お相撲さんによるその地方の事柄を織り込んだ相撲甚句を聞くが、歌のうまいお相撲さんがたくさんいるなあと感心している。
「東谷農村歌舞伎:休憩ランチ」
 「東谷農村歌舞伎」を見て、お昼になったので、歌舞伎の幕間を使って食事をした。
 「うどん」を販売している所にはたくさんの人が並んでおり、うどんはゲットできたが「いなりずし」が売り切れて無かった。
 「おはぎ」、「ドーナツ」を買って食べ、お腹を膨らませた。
「東谷農村歌舞伎:弁天娘女男白浪」
 川東校区コミュニティ協議会有志が出演する「弁天娘女男白浪」の「稲瀬川勢ぞろいの場」であった。
 毎年出演者を募るといい、初めて舞台を踏んだ面々の皆様が、緊張した面持ちで花道に出てきた。
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2017年05月26日

「東谷農村歌舞伎公演B」


[ 08:24 ][ 文化・伝統:伝統文化・工芸・芸術・芸能 ][ I高松市内 ]
「東谷農村歌舞伎公演:立ち見の会場」
 「東谷農村歌舞伎」が行われている高松市香川町の「祇園座」、仮設の屋根に時折吹く強い風により屋根のテントがパタパタと音をたてていた。
 丁度真ん中位の椅子席に座っていたが、後ろを振り返ると座る椅子が無く立ち見をしている大勢のお客様がおり、椅子席の左右にも立ち見の方がおられた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「東谷農村歌舞伎公演:すずかけ五人衆」
 続いての舞台に「すずかけ五人衆」が上演された
 「川東小学校のオリジナル脚本の『すずかけ五人衆』です。『すずかけ』というのは川東小学校のシンボルツリー、正門を入って丁度正面にある大きなプラタナスの木です。これから出てくる『すずかけ五人衆』は、川東小学校の紹介をしてくれています。」※指導先生より。
「東谷農村歌舞伎公演:すずかけ五人衆」
 「すずかけ五人衆」が舞台に登場、最初は向って右側の「楽しさ伝え門」であった。
 歌舞伎の語り口で、一人一人から学校のご紹介があった。

「東谷農村歌舞伎公演:すずかけ五人衆」
 
 写真上左は「真剣聞くの介」、
 写真上右は「どんどん知りべえ」、
 写真下左は「よく見つけ太郎」、
 写真下右は「何でも読み丸」。
「東谷農村歌舞伎公演:すずかけ五人衆」
 「東谷農村歌舞伎公演本部」の受付で300円分のおひねりの両替を行っており、知り合いの子、名場面などに応じて舞台めがけておひねりを投げ込んでいた。
 5円とか1円などを色紙に包んでおり、これを何個かつかんでバラバラと投げる。
 しかし、投げる勢いがないと前に座っているお客様の頭をかすめて落ちてしまっているものがあった。
 子供さんが出ている場面では、「安心して下さい子供さんの分となります」といっておられた。
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2017年05月25日

「東谷農村歌舞伎公演A」


[ 08:32 ][ 文化・伝統:伝統文化・工芸・芸術・芸能 ][ I高松市内 ]
「東谷農村歌舞伎公演:弁天娘女男白浪」
 高松市香川町の平尾八幡神社の境内にある「祇園座」で開幕した「東谷農村歌舞伎公演」、二つ目の演目は川東小学校6年生の子供たちによる「弁天娘女男白浪」で、まず舞台に登場したのは、5人の「捕手」で、男児1人、女児4人であった。
 この「祇園座」、文化年間(1804年〜1818年)に徳島へ出稼ぎに行った若者たちが習ってきた芝居を、氏神さんの祭礼に演じたのが始まりと伝わり、平成22年度、日本ユネスコ協会連盟の未来遺産に登録されている。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「東谷農村歌舞伎公演:弁天娘女男白浪」
 川東小学校の白浪五人男が、花道から一人一人登場し、見得を切って待機し、五人がそろったところでお客さんの方を向いたところである。
 「昨年度、総合学習で歌舞伎を選択した旧5年生の発表です。毎年公演している弁天娘女男白浪の子ども版です。」※パンフレットより。
「東谷農村歌舞伎公演:弁天娘女男白浪」
 「私たちは川東小学校の6年生です。これから出演する子供たちは、5年生の時の総合学習で歌舞伎コースを選んだ子で、農村歌舞伎を1年間学んできました。祇園座の皆様のご指導のもと毎週歌舞伎の練習を続けてきました。私たちはこれからも農村歌舞伎の歴史とそれを守っている方々の熱い思いを受け継ぎ、伝えていきます。」※指導先生より。
 花道から舞台に回ってきて口上を述べる「日本駄右衛門」である。(問われて名乗るもおこがましいが、生まれは遠州浜松・・・)。
「東谷農村歌舞伎公演:弁天娘女男白浪」
 川東小学校の6年生の白浪5人衆の皆さま。
 写真左上は、「弁天小僧菊之助」(問われて名乗るもおこがましいが、生まれは遠州浜松・・・)
 写真上右は「忠信利平」(続いて跡に控えしは、月の武蔵の江戸育ち、幼児の時から・・・)
 写真下左は「赤星十三郎」(そのまた次に連なるのは、以前は武家の中小性・・・)
 写真下右は「南郷力丸」(さてどん尻の控えしは、汐風荒き小動の磯・・・)
「東谷農村歌舞伎公演:弁天娘女男白浪」
「川東 小学校」の6年生が演じる 「弁天娘女男白浪」のクライマックス、五人衆と捕手が絡む最終の場面である。
 「弁天娘女男白浪」が幕になると、満場の拍手が沸き起こっていた。
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2017年05月24日

「東谷農村歌舞伎公演@」


[ 08:26 ][ 文化・伝統:伝統文化・工芸・芸術・芸能 ][ I高松市内 ]
「東谷農村歌舞伎:香川町へ」
 4月30日、高松市香川町の祇園座で開かれるという「東谷農村歌舞伎公演」を見に行った。
 10時から始まるというので、8時過ぎに家を出て、8時45分頃駐車場になっている川東小学校に着き、車を置いて高松市香川所前から無料送迎バスに乗り約15分で農村歌舞伎小屋の「祇園座」に到着した。
 「東谷農村歌舞伎」を見に来たのは平成25年4月28日以来、二度目であった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「東谷農村歌舞伎:道々に幟が立つ」
 高松市香川支所より塩生街道を南下し、そして左に曲がって行くと、道幅が狭くなってきていた。
 道路の両側にはたくさんの「幟」が立ち、見物客を歓迎しているようであった。
 消防署員さんも交通整理に協力されており、地区をあげての催しとなっているようであった。
「東谷農村歌舞伎:平尾八幡神社」
 平尾八幡神社は、人家が少ない小高い丘の上にあり、大きな木に囲まれて社殿があった。
 鳥居さんをくぐった右側に「祇園座」の建物があり、建物にひっつけてテント張りの大きな屋根が設けられていた。
 この神社は、天養元年(1804年)3月15日吉廣兵庫頭の創祀で東谷八幡宮と言われたという。
「東谷農村歌舞伎:平尾八幡神社の社殿」
 平尾八幡神社境内の参道を行くと、随身門に続いて拝殿・本殿がある。
 随神門をくぐった右側(北側)にはシイ林になっており、その中に昭和53年に香川県の保存木に指定されている樹高19.7mもある「ツブラジイ」の巨木があるという。
 聞きなれない名前であるが、シイの仲間だそうである。
「東谷農村歌舞伎:寿式三番叟」
 川東校区コミュニティ協議会長さんの挨拶があり、いよいよ「祇園座」で、農村歌舞伎の公演が始まった。
 最初は、「龍っ子くらぶ こども歌舞伎教室」のお子さんたちの出演する「寿式三番叟」であった。
 「御目出度い時に舞う踊りで、三番叟にもたくさんの種類があり、地区によっていろんな三番叟があるそうです。昨年の秋とは役割を少し変えてお稽古しました。中学生に上がった子どもたちも一緒に頑張っています。」※パンフレットより。
 小さな女子の透き通った声の歌や、三味線に合わして踊る姿に感動した。
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2017年05月23日

「春日川の川市」


[ 08:30 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ B屋島周辺 ]
「春日川の川市:春日川河口」
 毎年5月18日のこと、家にいて「パンパン」という煙火がなり、ひょっとしたら春日川の「川市」のお知らせでないかと思い、春日川河口に架かる高松市木太町の「春日川橋」の袂にやって来た。
 「川市」が開かれている河川敷からは屋島が見えており、まだ時間的には早いと思われたが、子供さんを中心にたくさんの人出であった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「春日川の川市:石段に座り食べる」
 川市の楽しみは露店で食べ物を買うことで、春日川河川敷に下りる石段に座って子供たちがいろいろなものを食べられていたが、この日はちょっと暑かったので、氷などを食べている様子であった。
 石段の近くには、フライドポテト、フルーツ飴、射的ゲーム、焼き鳥、電球ソーダ、アンパンマンカステラなどのお店が出ていた。
「春日川の川市:花屋さん」
 「春日川橋」の直下に花屋さんが店を出していた。
 ボタンやシャクヤクなど綺麗な花が咲いた鉢物が並んでおり、自分にとってはちょっと手が出せなかった。
 ここから「春日川橋」を見上げると、三脚にカメラを構えた人が目立って多かった。
「春日川の川市:露店」
 死者を弔う「流れ灌頂」が川市の始まりだというがそのようなことは無くなり、「川市」を楽しむ若い人たちが多く来ている。
 何年か前には農道具を売る店があったが、それも無くなって、食べ物やくじなどの露店が目立って多いようであった。
「春日川の川市:川沿いの露店のテント」
 夕方近くになり、露店では電灯を灯す店が増えてきていた。
 80近い露店が立ち並ぶ春日川河口、これからが賑わう時間帯のようであるが、暗くならないうちに自転車で帰路についた。
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2017年05月22日

「屋島に登るB」


[ 07:35 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ @屋島山上 ]
「屋島:西嶺」
 屋島山上の県木園から南に来た所にある「西嶺」からは、高松市街や高松平野を見渡すことができる。
 「屋嶋城」の完成時に柵が設置されており、左下に「レクザムフィールド(屋島競技場)が見えている。
 ここからも屋島西町へ下りる道がありそうではあるが、下りたことはない。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「屋島:西嶺から見たレクザムフィールド」
 屋島山上の「西嶺」から見たレクザムフィールド(屋島競技場)である。
 この屋島競技場、4月23日にオープンし「ジュニアチャレンジマラソン」が行われ、5月14日に「屋島Genpeiリレーマラソン」がたくさんの人を集めて行われたが、この日に人の姿が見えないようであった。
「屋島:西嶺から見た屋嶋城」
 屋島山上の「西嶺」から「屋嶋城」が見えるようにと設けられた展望台から見た「屋嶋城」である。
 ここにある看板には、メサ地形について説明があり、「この場所から城門を望むと、左右に発達した崖が天然の要害として城壁の役目を担っていたことがよく分かります、屋嶋城はまさにメサ地形を最大限活かした山城と言えるのです。」とあった。
 遠くからではあるが、見学している人の姿はいないようであった。
「屋島:白い花」
 屋島遍路道に咲く白い花の「トベラ」の木である。
 まだ小さな木であるが、たくさんの花をつけていた。
 秋になると実が避けて、真っ赤な種子が飛び出して来る。
「屋島:不喰梨(くわずのなし)」
 屋島遍路道の途中にある弘法大師さんの逸話がある「不喰梨(くわずのなし)」である。
 ここには二本の「カリン」の木があり、数年前に一度だけ花が咲き、実を付け、いつの間にやら実が無くなっていたということがあったが、それ以降、花が咲いたことが無い。
 木の真上に僅かに空がみえているが、周囲は大きな木に覆われており、日照時間が少ないのが理由でないかと思われた。

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2017年05月21日

「屋島に登るA」


[ 07:25 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ Gウォーク・里山 ]
「屋島:屋島寺南のツツジ」
 屋島寺の南の広場に何年か前に植えられた「ツツジ」が咲き、間もなく花の時季が終わりかけていた。
 以前植えていたとき作業していた人に聞いたのは、「ヒドラツツジ」と聞いたが確かではない。
 屋島寺本坊の中にも、綺麗に剪定された「ツツジ」の花が咲いていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「屋島:松の花と実」
 屋島山上の全国の木がある「県木園」に、山口県の木の「アカマツ」があった。
 いま新芽のような花の穂が伸びており、穂の元には緑色の「松傘」が付いていた。
 さらにここには無いが、種子を放出した松ぼっくり(松傘)があるときがあるという。
「屋島:豊後梅」
 屋島県木園にある大分県の木の「豊後梅」が例年のように遅めに花が咲いていたが、今大きめの緑色の実を付けていた。
 普通は鈴なりの実が見られるが、今年は間隔がかなりあけて成っていた。
 もうすぐ熟れると、何ともいい香りがしてくるのである。

「屋島:これ何の花」
 屋島山上の「県木園」の芝生ひろばに、夥しい数の背の低い紫や白の花が咲いていた。
 約10センチ足らずの高さの花ではあるが、一面に広がって咲いている様は、これでまた綺麗に見える。
 ありふれた雑草であると思われるが、名前は知らない。
「屋島:これ何の花」
 屋島の県木園から南に行った所の「西嶺」に、黄緑色の清々しい木の花が咲いていた。
 木の枝から5本の小さなラッパのような花が伸びており、こぼれ日に輝いているように花が見えた。
 この木も当然のように名前は知らない。
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2017年05月20日

「屋島に登る@」


[ 08:16 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ A屋島の道(遍路道等) ]
「屋島:遍路道の草いちご」
 屋島遍路道の麓に近い所に毎年「草いちご」の実がなるところがある。
 このところ屋島に登っていなく久しぶりに行くと、時期が終わりかけてはいたが何個か赤く熟れた実が残っていた。
 本物のイチゴに数段劣るが、食べれ無いことはない味がしていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「屋島:遍路道の工事中」
 屋島遍路道の「あと200メートル」の表示がある所からちょっと行ったつづら折りの部分が工事中で、片側通行となっていた。
 この辺り雨が降ると滑りやすくなることから、石畳の石に横に溝を掘っていた。
 どなたか滑って怪我でもされた人がいたのだろうか。

「屋島:遍路道の工事中」
 屋島遍路道の終点付近に手すりが抜け出すようになって、赤いコーンが置かれ工事中にはなっているが、まだ工事はされていなかった。
 屋島寺へ上がる石段の途中で、いつも会うが話をしたことがなかった高齢の「先生」と呼ばれている方から話しかけられた。
 大正15年生まれで、琴電屋島駅に自転車を置かれて歩いて登っているといい、まだまだお元気の様子であった。
「屋島:屋島寺」
 すっかり晴れ渡った青空の下、屋島山上の四国霊場札所「屋島寺」に、何人かのお遍路さんがお参りしていた。
 屋島寺本堂前に植えられた「ツツジ」の花が、かろうじて残っていた。
 自ら口が悪いという方にこの日も出会い、毎度のように「寝たきりにならない様に、せっせと屋島に登らないといけないよ」というお言葉を頂戴した。
「屋島:モミジの花」
 屋島山上の「瑠璃宝池」の南に一本の「モミジ」の木がある。
 今の時季、この木に全体におびただしい赤い花をつけていた。
 やがて実がなり、秋になると風に吹かれて落下するという。
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コメント
From:e-とぴあスタッフさん
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[ 2017/05/20 10:25 ] Re:「屋島に登る@」
屋島のできごとさん、こんにちは。

快晴の中咲いているツツジは美しいですね。
遍路道を歩いたことはありませんが、一度訪れた所を歩いてみると新たな発見がありそうで楽しみですね。
2017年05月19日

「ふるさと探訪御厩から檀紙を歩くA」


[ 08:30 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ Gウォーク・里山 ]
「ふるさと探訪御厩から檀紙:小比賀家築山庭園」
 小比賀家の「池泉式築山庭園」の池泉は、香川県指定名勝になっており、江戸時代初期における讃岐の庭園の代表であるという。
 南北に「く」の字に湾曲した形で池が掘られ、南部に鶴島、亀島があり、亀島には宝筐印塔型の燈籠がある。
 また昔に橋の材料に使っていたという「モロザ」の一本の木で造った茶室の「東屋」が建っていた。
 この時期には水が枯れていたが、周囲の水が上がって来た時に池に水が入るという。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「ふるさと探訪御厩から檀紙:小比賀家民具展示場」
 長屋門の中には、馬屋と牛舎が、反対側には民具展示室があり、「千歯回転式足踏脱穀機」、「石臼」、「手押し式草とり機」、「うまんぐわ(前)、うしんぐわ(後)」、「田植定規」などが展示されていた。
 また長屋門の入口の壁際には、見たことのないような木製の手押しポンプらしきものが乗っていた(写真)。
「ふるさと探訪御厩から檀紙:彦四郎の墓」
 小比賀家住宅から南に来た所にある津内山の麓に、御厩焼き陶祖の「彦四郎」のお墓がある。
 彦四郎は享保3年(1718年)に元山町に生まれ、愛知県で陶器製造の技術を身に着けて讃岐に帰り、津内山の麓で良質の陶土を見つけて御厩焼を完成し、実用的で価格も安いものを作っていたという。
「ふるさと探訪御厩から檀紙:彦四郎の墓」
 御厩焼きの「彦四郎」の墓は、数メートルの石のスロープを上った所に、石碑と並んで立っている。
 順番にお墓にお参りしたが、下を見るとお参りを終えた方が、地元の説明者のお話を聞いていた。
 後方には、この辺りに多く見られるおむすびの形をした山が見えている。
「ふるさと探訪御厩から檀紙:いぼ神さん」
 「彦四郎」のお墓からさらに南に来た所の道路縁に「いぼ神さん」があった。
 「いぼ神さん このいぼ神さんという平石は別名「鎌倉さんの袂石」ともいい、表面に襞や皺がありここへ溜まった水をお題目を唱えながら自分に出来た「いぼ」につけると、「いぼ」は跡形もなく消えてなくなるので毎日数名の人が訪れて御利益を喜んでいる。」※冊子「伝統御厩焼陶芸教室とロマンのふる里めぐり」より。
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2017年05月18日

「ふるさと探訪御厩から檀紙を歩く@」


[ 07:14 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ Gウォーク・里山 ]
「ふるさと探訪御厩から檀紙:小比賀家住宅」
 3月の「ふるさと探訪」は、「高松市御厩から檀紙を歩く」というもので、御厩町の「小比賀家住宅」に集合するものであった。
 指定されたバスに乗って「小比賀家住宅」に着くと、集合時間が過ぎており既に「小比賀家住宅」の見学が始まっていた。
 後から着いた者は、先に近くにある「御厩大塚古墳」を見に行った。
 写真は長さが36メートルの「小比賀家住宅」の長屋門。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「ふるさと探訪御厩から檀紙:御厩大塚古墳」
 「大塚古墳 大塚古墳は、高松市御厩町佐古地区に所在する「横穴式石室」を主体部とする盛土古墳である。・・中略・・平地に単独で存在し、主体部が巨石積みによる全長約5メートルの横穴式石室を採用していることから、古墳時代後期(紀元6〜7世紀)頃の当時の豪族が地域の有力者の墓であったと考えられる。」※現地看板より。
「ふるさと探訪御厩から檀紙:小比賀家の主屋」
 「小比賀家」の先祖は、甲斐源氏武田氏から別れ、天正10年(1582年)に武田氏から滅亡して性を小比賀氏と変えて四国にやって来たという。
 小比賀家の主屋は屋敷の中央にあって間口13間半、奥行き5間半で、茅葺きの寄棟造で四方には本瓦の庇がついている。
 屋根上には、本瓦葺きの煙り出しが乗っている。

「ふるさと探訪御厩から檀紙:小比賀家住の小玄関の間」
 写真は「小玄関の間」から見た「居間」である。
 小玄関は、当家と同格の来訪客があったときに入る玄関である。
 また「大玄関」は、高貴な来訪者があったときに使われ、「大玄関の間」、「座敷下の間」、「座敷上の間」が使われる。
「ふるさと探訪御厩から檀紙:小比賀家住の彦四郎の作品」
 縁側の台の上に乗っているのは、御厩焼きの陶祖である「彦四郎」が作ったという「手水鉢」である。
 「彦四郎」は、生活用品となるものを作っていたと言われている。
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2017年05月17日

「ふるさと探訪旧道沿いに国分寺を歩くB」


[ 07:34 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ Gウォーク・里山 ]
「ふるさと探訪国分寺:ヤブツバキ」
 ちょっと昔の2月26日のふるさと探訪で高松市国分寺町の「如意輪寺公園」の南にある如意輪寺跡に来ている。
この寺跡に、昭和56年3月2日に高松市指定天然記念物に指定されている「ヤブツバキ」がある。
 ヤブツバキは日本におけるツバキの野生種で、樹齢が200〜300年といわれ毎年3月に赤い花が咲くが、近年樹勢が衰えているという。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「ふるさと探訪国分寺:讃岐国分寺跡」
 高松市国分寺町の国分寺の北側にある「讃岐国分寺跡」にやってきた。
 奈良時代、聖武天皇の命によって造営された讃岐の国分寺は、現在の四国霊場80番札所である国分寺を含む東西330m、南北240mが、国の史跡として昭和3年に指定された後、昭和27年に国指定特別史跡に格上げされている。
 写真は、讃岐国分寺を10分の1の縮尺で復元された「伽藍の配置模型」である。
「ふるさと探訪国分寺:讃岐国分寺跡(築地塀)」
 復原された讃岐国分寺跡の「築地塀」である。
 「築地塀は、昔の役所や寺院などにつくられ、内と外を区切る重要な施設です。発掘調査の結果、東西220m、南北240mの範囲を築地塀で方形に囲っていることがわかりました。ここでは、発掘調査成果に基づいて築地塀の一部を復原しております。大きさは、下幅1.8m、上幅1.5m、高さ3.93m、屋根には蓮華文の軒丸瓦と唐草文の軒平瓦を複製してのせております。」※現地看板より。
「ふるさと探訪国分寺:讃岐国分寺跡」
 四国霊場80番札所「国分寺」の入口を入って、右に行った所にある「千体地蔵堂」の前に集まり、国分寺について講師先生から説明があった。
 この地蔵堂の東には、3間四方の七重塔と推測される塔跡の礎石が残されていた。
 この場で、「ふるさと探訪」は解散された。

「ふるさと探訪国分寺:讃岐国分寺跡」
 「ふるさと探訪」は解散されたが、国分寺にお参りするため本堂へやって来た。
 本堂の手前にいくつもの大きな礎石が配置されており、昔ここに「讃岐国分寺」の金堂があった跡であるといわれている。
 現在の「国分寺」の本堂は、瓦葺単層入母屋造で、鎌倉時代後期の建物と考えられており、奈良時代の講堂跡にその礎石を利用して建てられている。
 この本堂、国指定の重要文化財に明治37年8月29日指定されている。
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2017年05月16日

「ふるさと探訪旧道沿いに国分寺を歩くA」


[ 07:18 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ Gウォーク・里山 ]
「ふるさと探訪国分寺:讃岐国分尼寺跡(法華寺)」
 ちょっと昔の2月26日のふるさと探訪で、高松市国分寺町の讃岐国分尼寺跡である「法華寺」に来ている。
 国分寺跡から北東へ約2kmの位置にあり東西180〜210b、南北180bの範囲で、昭和3年2月7日に国指定の史跡となっている。
 境内には菅原道真公も愛でたという牡丹の花が、数多く植えられていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「ふるさと探訪国分寺:讃岐国分尼寺跡(法華寺)」
 讃岐国分尼寺跡(法華寺)の境内に残る金堂礎石がある北西隅に、寛永7年(1795年)に高松藩主頼儀公によって建てられたという「観音堂」がある。
 弘化元年(1844年)に真言寺院として復興されて、「法華寺」と称されるお寺になったといわれる。
「ふるさと探訪国分寺:讃岐国分尼寺跡(法華寺)」
 「法華寺」の本堂前の掲示板に「観音堂」に安置されている「木造十一面観音立像」の写真が、掲示されていた。
 いただいた資料によると、像高103.2aの桧材、寄木造りで、室町時代の地方作と思われるが、両手、両足、光背、化仏は、いずれも江戸時代の後補であると書かれている。
「ふるさと探訪国分寺:如意輪瓦窯跡」
 川津桜が咲き誇る「如意輪寺公園」に来ており、公園南にある池のたもとにある「如意輪瓦窯跡」を見ている。
 平成10年の公園の整備事業の際に窯跡2基が発見されたもので、平安時代末(11世紀末)頃のものと考えられており、現在、窯跡は公園内に埋め戻して保存されているという。
「ふるさと探訪国分寺:如意輪寺跡」
 「如意輪寺公園」南の崖下にある如意輪寺跡に、一棟の堂宇が建っている。
 如意輪寺は、境内周辺で採集された軒瓦から平安時代末頃の創建と考えられており、讃岐国分寺、鷲峰寺とともに古い歴史を持つ国分寺地域を代表する寺院であったが、現在は無住となり、本堂は取り壊されている。
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2017年05月15日

「ふるさと探訪旧道沿いに国分寺を歩く@」


[ 08:09 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ Gウォーク・里山 ]
「ふるさと探訪国分寺:国分寺北部コミュニティセンター」
 まだ寒かった2月26日、ふるさと探訪の「探訪旧道沿いに国分寺を歩く」に参加した。
 JR屋島駅から列車に乗り、高松駅を経由して9時8分頃に端岡駅に到着、歩いて10分くらいかかって「国分寺北部コミュニティセンター」に到着した。
 9時30分に主催者からご挨拶があり、高松市職員の講師の方が紹介されて始まった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「ふるさと探訪国分寺:国分寺北部小学校校門」
 集合場所からほん近くに「国分寺北部小学校」があり、校舎南側にある「校門」を見学した。
 端岡尋常小学校として明治27年(1894年)に正門として造られた校門で、高さ3.4b、間口2bの赤煉瓦造りで、上部が半円形のアーチ型をしている。
 現在の校門の下半分が後世に補修されたものであるというが、上部は建設当時のまま保存されている。
「ふるさと探訪国分寺:国分寺北部小学校校門」
 端岡尋常小学校の正門として建てられた校門は、赤門と言われており、小学校のシンボルになっている。
 昭和45年3月28日に国分寺町指定有形文化財に指定され、平成18年(2006年)に高松市と合併後に高松市指定有形文化財となっている。
「ふるさと探訪国分寺:讃岐国分尼寺跡(法華寺)」
 国分寺北部小学校から真っすぐ北へ来た所に、讃岐国分尼寺跡の「法華寺」があった。
 国分寺町新居にある古代の国分尼寺跡は、国分寺とともに741年(天平13年)に聖武天皇の詔に基づき建立された国の寺院で、「法華滅罪之寺(ほつけめつざいのてら)という。

「ふるさと探訪国分寺:讃岐国分尼寺跡(法華寺)」
 讃岐国分尼寺跡の「法華寺」の東の空き地で、講師先生のお話があった。
 奈良時代に造営された讃岐の国分尼寺、現在の「法華寺」には、金堂の礎石と推定される自然石が残っているほか、その北側で昔の尼坊跡が確認されているという。
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2017年05月14日

「第3回源平の里義経祭りA」


[ 06:49 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ B屋島周辺 ]
「源平の里義経祭:古高松小学校の吹奏楽の演奏」
 4月23日、JR屋島駅前の通りで「源平の里義経祭り」が行われており、高橋木材さんの倉庫から勇壮な音楽が聞こえてきた。
 以前からとりこになっている古高松小学校の吹奏楽の演奏が行われており、演奏の最後にいつも演奏する「アフリカンシンフォニー」が流れてきた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「源平の里義経祭:古高松小学校の吹奏楽」
 古高松小学校の吹奏楽の皆様の「アフリカンシンフォニー」の演奏が終わり、たくさんの聴衆の声に押されて、アンコール曲の演奏が始まった。
 この演奏会には、小学生だけでなく卒業生の中学生や、元、指揮をされていて他校に転勤されている先生の姿があった。

「源平の里義経祭:能楽への誘い」
 高松市出身の観世流能楽師の「怜以野(レイヤー)陽子さん」による「能楽への誘いU」のレクチャーがあった。
 「昨年のG7会議歓迎レセプションやカウントダウンなど地元でも活躍中。日本伝統文化の発信や次世代への継承など幅広く活動中。」とパンフレットに書いてあった。
 能について歩き方や面、そして謡い方についてなどの解説があり、最後に実際に踊って見せていただいた。
「源平の里義経祭:古高松小学校合唱部」
 古高松小学校合唱部の可愛い皆様が舞台に上がり、清らかな歌声を聞かせていただいた。
 次から次へと流れてくる歌、楽譜を見ないで歌っている子がいたが、たくさんの曲を覚えているのに感心した。

「源平の里義経祭:JR屋島駅」
 「JR屋島駅」でも、コンサートが続いていた。
 ここ屋島駅の駐輪場の上空に、今頃の時期に「鯉のぼり」が出てきて泳いでおり、この日は風がないのか尻尾が下がっていた。

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2017年05月13日

「第3回源平の里義経祭り@」


[ 08:02 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ B屋島周辺 ]
「源平の里義経祭:ポスター」
 「第3回源平の里義経祭り」が、JR屋島駅前周辺で4月23日に行われた。
 あいにく「レクザムフィールド(屋島競技場)」のオープンと重なったため掛け持ちで見物した。
 この祭りは、平成26年までは「源平の里ほたるまつり」として6月に行われていたものを、模様替えして4月に行われるようになった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「源平の里義経祭:鞍掛松と地蔵尊」
 JR屋島駅の北約150mに「鞍掛松」があり、源平合戦の折に源義経の軍勢が阿波から強行軍で屋島に向ったとき、人馬の疲労が甚だしかったので、この松に鞍をかけて人馬を休養させた所であると伝えられている。
 ここにある義経が武運勝利の願掛けをしたという「地蔵尊」で義経の慰霊祭が行われたが、「レクザムフィールド(屋島競技場)」に行っていたため、参列が出来なかった。

「源平の里義経祭:JR屋島駅前」
 「JR屋島駅前」には、演奏者用とお客様用のテントが張られており、良い天気でテントの中や駅舎の陰に入り見物している人が多かった。
 テントから外れた外で、仲良く3人の女児が音楽を聴いていた。
 ここでは「タワーモータース」などの演奏が行われていた。
「源平の里義経祭:駅前通りの露店」
 JR屋島駅前では、片側車線を通行止めにしてテントが張られ、露店が店開きしていた。
 露店前には、お子さんたちが列をなして品定めに夢中のようであった。
「源平の里義経祭:うどん販売テント」
 JR屋島駅前の通りの昔、民家が建っていた跡の駐車場で、恒例になっている「うどん」の販売が行われていた。
 たくさんのスタッフさんが、列に並ぶお客様に対応されていた。
 「レクザムフィールド」でも食べてきたが、ここでも「うどん」が食べたくなって、列に並んだ。
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2017年05月12日

「レクザムフィールドオープン記念式A」


[ 07:10 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ B屋島周辺 ]
「レクザムフィールドオープン:室内競技場」
 高松市屋島中町の「レクザムフィールド(屋島競技場)がオープンし、競技場内を一周して見学させていただいた。
 メインフィールドの西側スタンドの建物の中に「室内競技場」があり、棒高跳びの公認競技ができる施設があった。
 またここには、約150mの走路があり、走り幅跳びや三段跳びの練習もできるという。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「レクザムフィールドオープン:マラソン」
 バックスタンドを見学している時、メインフィールドではたくさんの小中学生が走られていた。
 後ろの方には福士加代子さんがいるようであり、この後サブフィールド側の外に出て競技場の外コースを走るマラソンのようであった。
「レクザムフィールドオープン:福士加代子さんと走る」
 瀬戸内海や相引川をイメージした青色の全天候型舗装のトラックでは、中学生の女子選手と、福士加代子さんが一緒に走っていた。
 先頭を行く選手は飛びぬけて早く、福士加代子選手は2番目、3番目の選手と一緒に走り、何やら声を掛けながら余裕をもって走っておられた。
 西側スタンドにある大型ビジョンに、上位成績が表示されていた。
「レクザムフィールドオープン:表彰式」
 「ジュニアチャレンジマラソン」で上位に入った一人一人の選手に福士加代子さんから、表彰状と副賞のスポーツバックが贈られた。
 表彰状には色紙が添えられており、「願えば叶!! ワコール福士加代子 2017.4.23」と書かれていると、表彰を受けられた選手から紹介された。
「レクザムフィールドオープン:ハイタッチ」
 「ジュニアチャレンジマラソン」に出場した小中学生が並び、福士加代子さんが順番にハイタッチするという趣向であり、選手のみなさんの腰のあたりにある手を、なでるように前に進んできた。
 出場選手にとっていい想い出となり、香川県からオリンピック選手が出てくれることを願っている。
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「レクザムフィールドオープン記念A」


[ 07:04 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ B屋島周辺 ]
「レクザムフィールドオープン:ゆるスポーツ」
 再び「レクザムフィールド(屋島競技場)」に戻ると、メインフィールド内で「ゆるスポーツ」が行われていた。
 写真上右は「ミズノ流忍者学校」、写真下左は「スポーツかるた」、写真下右は゜バブルサッカー」であった。
 小さなお子さんたちも、一生懸命に取り組んでおられた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「レクザムフィールドオープン:スポーツ広場」
 サブフィールドの南側には「スポーツ広場」があり、イサム・ノグチ氏の彫刻遊具が三種類あった。
 写真上左は塔の周りを滑り降りる「すべり台」で、さっそく小さなお子さんが楽しそうに遊んでいた。
 写真下右は、一周200mのトラツクの補助競技場で、近隣学校の利用を考慮した舗装がされているという。
「レクザムフィールドオープン:パネル展」
 2階のメインスタンドの裏で「旧屋島陸上競技場パネル展」が開かれていた。
 旧屋島陸上競技場は、香川県と高松市によって構成された建設委員会によつて増築された屋島山を背景にした全国屈指の競技場として完成し、平成24年11月3日に閉場している。

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2017年05月11日

「レクザムフィールドオープン記念式@」


[ 07:25 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ B屋島周辺 ]
「レクザムフィールドオープン」
 高松市屋島中町に平成26年から改築が進められていた「レクザムフィールド(屋島競技場)」が、平成29年4月23日(日)にオープンした。
 「コンパクトで多機能な陸上競技場へ 市民の健康とスポーツレクリェーションのための身近な施設として多くの市民に親しまれてきた「高松市屋島陸上競技場」。市民の思いを継承し、更なる愛着を感じていただける競技場を目指して新たに屋島レクザムフィールド「屋島競技場」として生まれ変わりました。」※屋島レクザムフィールド(屋島競技場)のパンフレットより。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「レクザムフィールドオープン:記念式典」
 4月23日午前9時からオープンの記念式典が始まり、大西高松市長さんより主催者挨拶があり、続いて岡下高松市議会議長さんより来賓祝辞があった。
 各界から参列された大勢の皆様や報道陣、一般の方々が式典の進行を見守っていた。
 来賓席の後ろには「祝レクザムフィールドオープン」のアーチが立ち、背景に屋島の山がくっきりと見えていた。
「レクザムフィールドオープン:テープカット」
 高松市長さんをはじめ屋島地区コミュニティ協議会会長さんら計8名の方々によりテープカットが行われた。
 平成26年7月17日に着工し、約3年をかけていよいよ完成をみたものである。
 近くに住んでいるので、いろいろな大会が行われるのを楽しみに待っている。

「レクザムフィールドオープン:福士加代子選手」
 「屋島競技場」のオープニングイベントして、2016年リオデジヤネイロオリンピック女子マラソンに出場された福士加代子さんをゲストとしてお迎えし、この後、ジュニアチャレンジマラソンが行われることになっている。
 ジュニアチャレンジマラソンに出場する小中学生を前にして開所式があり、福士加代子さんにいろいろとインタビューがされていた。
「レクザムフィールドオープン:屋島山頂ウォーキング」
 「レクザムフィールド(屋島競技場)」のオープンを記念して屋島へ上る「屋島山頂ウォーキング」に参加するたくさんの人々がスタンド前に勢ぞろいしていた。
 高松市体力づくり市民会議の林会長さんより一言挨拶があり、その後、大西高松市長さんから挨拶があり、屋島へ三班に分かれて出発して行った。
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2017年05月10日

「中央公園の野外彫刻などQ」


[ 08:08 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ F栗林公園・玉藻公園・中央公園 ]
「高松市中央公園:名無しの権兵衛」
 高松市中央公園に設置された彫刻作品等には必ず制作者や作品名などが表示されているが、中央公園東側の「四季の道」にある作品には無い。
 二枚の長い板状の石が間を開けて建てられており、どこかで見たような構図のように思われた。
 作者名が知りたいと思い探して見たが、見つかっていない。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「高松市中央公園:光のモニュメント」
 高松市中央公園の北東の隅の交番の東に、「光のモニュメント」がある。
 「光のモニュメント 寄贈 百十四銀行 1990年」という銘板が埋め込まれているが、詳しいことは分からない。
 番町地下道が完成したのが1990年(平成2年)2月なので、この時に作られたものでなかろうか。
 下部に格子状の扉のようなものがあり、あるいは地下道の換気口になっているのかもしれない。
「クリエイティブ中央通りプロムナード事業完成記念碑」
 高松市中央公園の北東隅の五番丁交差点が見渡せる場所に、「クリエイティブ中央通りプロムナード事業完成記念碑」と書かれた碑がある。
 「ゆとりとうるおいのある道路環境の形成、バランスのとれた都市景観の整備をすすめるため、クリエイティブ高松・中央通りプロムナード事業が推進され、ここに完成を迎えたものであります。番町地下道(光の広場)及びキャブシステムによる電線類の地中化は、沿道地域の協力のもとに道路空間、沿道空間施設等が総合的に整備されたものであり、特に規模、施設面に於て全国的に類のない光の広場が、広く県民の方々に愛され活用されることを念じ、ここに記念碑を設置するものであります。平成2年3月吉日 建設省四国地方建設局 香川工事事務所長 山本隆幸」
「番町交差点地下:親しみのある光」
 高松市中央通りの番町地下広場の「光の広場」に、1990年(平成2年)2月に設置された綾南町出身の彫刻家・福家靖夫氏作の「親しみのある光」がある。
 寄り添った父母と子供をイメージしたもので、家族の愛を願っている作品であるといわれている。
 銅合金製の球形で、高さ二・二六b、直径一・八六b、重量が約一・五dあるという。
 鏡面は、いつも灯の光でピカピカに光っている。
「番町交差点地下:艶景・瀬戸の都」
 高松市番町交差点の地下の「光の広場」に、角卓(かどたく)氏制作の壁画、「艶景・瀬戸の都」がある。
 この作品は番町地下道が完成した1990年(平成2年)2月に設置されたもので、四国地方建設局の事業に高松市も市制施行百周年記念事業として加わって出来たものであった。
 角卓氏は、昭和3年(1928)高松市香西南町生まれた有名な洋画家で、平成11年(1999)に亡くなっているという。
 壁画の中央に、高松市役所旧庁舎の時計台が描かれている。
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2017年05月09日

「中央公園の野外彫刻などP」


[ 08:19 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ F栗林公園・玉藻公園・中央公園 ]
「高松市中央公園:流政之氏作の『雨ごいジシ』」
 高松市中央公園の西北の隅に、流政之氏の「雨ごいジシ」の作品がある。
 「雨ごいジシ 香川は、昔から水不足にみまわれ、満濃池をはじめ数多くのため池がつくられました。この彫刻は、庵治町にスタジオを構える流政之氏が、四国の祭りで人々をまもりつづけた獅子をモチーフに、水飢饉から早く抜け出せるようにと願って制作されました。
 流氏は、石の自然な部分を生かした「ワレハダ」の技法を生み出し、大胆で存在感あふれる作品を数多く発表されている世界的な彫刻家です。」
「高松市中央公園:雨ごいジシ」
 香川国際交流会館と中央公園の境に世界で活躍する流政之氏作の「雨ごいジシ」が建てられている。
 同氏は全国各地で作品を制作されており、それぞれの地域に暮らす人々に対する温かな心が、方言を使ったユーモアあふれる題名に現れています。
 県内の作品では、瀬戸大橋記念公園(坂出市)の「どだま獅子」、「鬼屏風」、「くぐり滝」や自然科学館(坂出市)の「またきまい」、文化会館(高松市)の「おいでまーせ」のほか、JR高松駅コンコースの「DAITEMMAI」や「四国村(高松市)の「ながれ坂」、「染が滝」などがある。
「高松市中央公園:中河与一顕彰碑」
 高松市中央公園の西北の隅、アイパル香川(香川国際交流会館)の東のクスノキの中に、「中河与一顕彰碑」が立っている。
 この「顕彰碑」、中河与一建碑会により昭和55年6月2日に建てられ、中河与一氏、前川県知事、脇高松市長ら関係者約70人が出席して除幕式が行われたという。
 高松市のホームページによると、
「中河与一は坂出市出身(東京生まれ、2歳の時坂出に移る)の小説家。代表作「天の夕顔」は海外でも高い評価を受けている。
 碑文はフランスの詩人ボードレールの詩の一節で、中河が、高松の海に親しんで成長したことへの想いを込めて選んだもの。」
「高松市中央公園:中河与一顕彰碑」
 中央公園の北西の木の下に坂出市出身の作家、中河与一を顕彰する「中河与一顕彰碑」がある。
「こよなくわが愛せ詩句を
 自由なる人永遠に 海を愛さむ
 中河与一」
 と、中河与一氏の自筆で顕彰碑の上部に刻まれている。
高さ七bの角柱で、土台付近が細くなった庵治石製の長い石でできている。
 現在、坂出市内の児童らを対象にした作文と短歌のコンクールの中河与一文芸賞・中河幹子賞(中河与一・幹子顕彰会主催)が創設されている。
「高松市水道局庁舎:水邊」
 昭和56年3月(1981年)に高松市水道局の庁舎が完成したのを記念して、庁舎前に萬木淳一(まんきじゅんいち)氏の作品「水邊」が建てらた。
 萬木淳一氏は、1936年(昭和11年)に高松市に生まれており、台座には、「昭和56年3月高松市水道局庁舎落成 水邊 萬木淳一作 題字 脇信男」と書かれていた。
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2017年05月08日

「中央公園の野外彫刻などO」


[ 07:08 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ F栗林公園・玉藻公園・中央公園 ]
「高松市中央公園:裸の王様の作品」
 高松市中央公園の南西部の入口付近にある石組の作品、作品の裏側に西側に向けて「裸の王様 寺田武弘 1988」と作品名等が書かれている。
 どうして「裸の王様」なのか、また書いてあるものにより、「パカッ・ポコッ・ストーン」という作品名になっているものがあり、この名前にどういう意味があるのだろうか分からない。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「高松市中央公園:裸の王様を東から見る」
 「裸の王様」を、木陰になっている東側から見たところである。
 この寺田武弘氏の作品は、一個の大きい石を八個に分割して、組み合わせたもので、積み木をしているような感じがするものである。
 この作品は花崗岩で作られており、高さは2m30cm、幅1m、長さ4mの大型の作品である。
「高松市中央公園:裸の王様」
 「裸の王様」を北側から見たものである。
この作品は、昭和63年に中央公園で開いた瀬戸大橋架橋記念野外彫刻展に出品された名前が「パカッ・ボコッ・ストーン」という作品で、高松市が買い上げて中央公園南西隅に設置したものである。
 作者の寺田武弘氏は、1933年に大分県生まれで、この時は、岡山市奉還町にお住まいであったという。
「高松市中央公園:小河謙三郎氏の像」
 高松市の中央公園の芝生広場から北西にツツジが咲いている所に石組があり、その前に「小河謙三郎翁壽像」が立っている。
 小河謙三郎氏は、昭和25年に多大な寄付をして近代的な球場とした人で、この像は香川県出身の彫刻家の新田藤太郎氏の作品で、かってここに中央球場があったときの昭和28年11月22日に、球場スタンド正面に設置されていたものである。
 球場取り壊しの際に撤去され倉庫に眠っていたこの胸像が、昭和60年12月26日に高松市中央公園内に再建されたという。
「高松市中央公園:小河謙三郎翁壽像」
 中央公園芝生広場の北西に「小河謙三郎翁壽像」があり、像の下に説明板が埋め込まれている。
「この地は、永年市民に親しまれ、幾多の名選手を産み育てた高松市立中央球場跡である。
 同球場は、昭和二十二年五月故小河謙三郎翁をはじめ、野球を愛する多くの市民の熱意と献身により建設され、爾来、三十有余年に亘り我々の心に潤いと活力を与えてきたものである。
 このたび中央公園の整備にともない中央球場に飾られていた同翁の胸像をここに移し、同球場を記念するとともに、氏の功績を称え、ここに顕彰する。 昭和六十年十二月 高松市長」

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2017年05月07日

「中央公園の野外彫刻などN」


[ 07:16 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ F栗林公園・玉藻公園・中央公園 ]
「高松市中央公園:菊池寛文学碑」
 中央公園の南西隅の生家が近くにあり、銅像がある高松市中央公園に、菊池寛の功績を広く顕彰するため、昭和59年(1984年)の菊池寛の誕生日の12月26日に「文学碑」が建立された。
 碑文にある「椋の木」、戯曲の情景を再現するために碑の後ろに、峰山公園から移された樹齢約60年の「ムクの木」が移植されたという。
 移植されてから28年、後ろに写る木がその「椋の木」だろうか。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「高松市中央公園:庵治の自然石の文学碑」
 高松市番町の高松市中央公園南西隅に、郷土高松が生んだ文豪の菊池寛(1888年〜1948年)の高さ一・三b、幅一・五b、重さ一・七dの庵治自然石の文学碑が建立されている。
 碑文は、戯曲「父帰る」の一節で、母親(おたか)と長男(賢一郎)次男(新次郎)の3人で夕食の団らん中に、新二郎が母親に話しかけた言葉の「おたあさん 今日浄願寺の椋の木で 百舌が啼いとりましたよ もう秋じゃ」。
 なお碑文は、建設時の高松市立屋島小学校の町川治教頭先生による書であるという。
「高松市中央公園:菊池寛の生家跡」
 中央公園南西隅に、友人の小島政次郎(作家)の筆による「菊池寛生家の跡」と、寛自筆の座右の銘の「不實心不成事 不虚心不知事(実心ならざれば事成さず 虚心ならざれば事知らず)」の石碑がある。
 文壇の大御所と言われた菊池寛は明治21年にここで生まれ、生家は敷地200坪、母屋は藁葺、周りは板塀に囲まれていたといい、明治41年に上京するまで、ここに住んでいたという。
「高松市中央公園:菊池寛 顕彰碑」
 「高松市中央公園」の道の向こう側にあった「菊池寛生家跡」の看板が、平成27年に中央公園に移設された時に「菊池寛 顕彰碑」に変更されている。
 「文壇の大御所」と言われた菊池寛は明治21年、香川郡高松七番丁(現高松市天神前)に生まれ、急性高松中学校を卒業し上京した。
 昭和28年に有志により、前面の通り(現在は「菊池寛通り」の愛称で親しまれている。)を挟んだ斜め向かいの生家跡地に、この顕彰碑が建てられ、平成27年に現在地に移した。
「高松市中央公園:菊池寛の生家跡」
 高松市中央公園の菊池寛通りを挟んだ向こう側に、以前は「菊池寛氏の生家跡」があった。
 現在、生家跡の場所に建っていた古い写真右の第一法規の建物が移転し、生家跡が更地になり、その後、駐車場となっている。
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2017年05月06日

「中央公園の野外彫刻などM」


[ 07:11 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ F栗林公園・玉藻公園・中央公園 ]
「高松市中央公園:整備された手押しポンプ」
 2005年6月に高松ライオンズクラブから寄贈された高松市中央公園の子供広場の入口にある手押しポンプが、綺麗な青色に塗り直されており、前回見た時無かった「呼水口」がポンプに取り付けられていた。
 ポンプに表示されている「善意の水」に、「この井戸は、旧香東川の伏流水(地下水)を直接汲み上げている井戸です。塩素滅菌などをしていませんので飲み水としては不適当ですが、手足などの洗い場として、また、散水などに広く活用して下さい。」とあった。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「高松市中央公園:イサム・ノグチ氏考案のシーソー」
 高松市中央公園にあるイサム・ノグチ氏考案の三基の遊具のうち、「シーソー」がチビッ子広場に設置されている。
 近くに「このシーソーは、二人で利用しましょう。」とあり、確かに一人では遊べない遊具であった
 子供の時から、このシーソーやブランコ、遊導円木といった乗り物は、背筋がムズムズして怖くて苦手であった。
 そのうち遊導円木は見かけない遊具になった。
「高松市中央公園:平和の群像あけぼの」
 高松市中央公園南の「こかげ広場」に、高松市民のシンボルとなっている「平和の群像・あけぼの」が建っている。
 この群像、高松市制施行90周年記念事業として昭和58年5月に出来上がり、高松市役所1階市民ホールに設置されていたが、中央公園が開園したことにより、ここの池の中に移ってきた。
 この池には、当初に寄贈されたコイが泳いでいたらしいが、今はいない。
 池の手前には、ピラカンサの花が咲いていた。
「高松市中央公園:平和の群像・あけぼの」
 高松市中央公園にある「平和の群像・あけぼの」は、高松市の平和を願ったものである。
 制作者の菊池一雄氏は、1908年に京都府中京区に生まれ、1949年に東京芸術大学教授となり、1958年(昭和33年)に完成した広島市平和公園の「原爆の子の像」も同氏の作品である。
 池の中で三人の裸の女の子が手をつなぎ、前を見据えており、写真に向って左側の女性の右手にはオリーブの枝が握られ、向って右側の女性の左手にはミカンが乗せられており、平和で明るい豊かな郷土高松を表現しているという。
「高松市中央公園:平和の群像あけぼの」
 「高松市では一九八〇年(昭和五十五年)市制九十周年を記念し市民総参加で平和と健康と教育のうるわしいふるさとづくりを基調に「高松市民のねがい」が制定された
 この市民のねがいが不死鳥のごとく後世に引き継がれることを希求しそのシンボルとして「平和の群像あけぼの」が市民の総力によって建立されたものである
 一九八六年(昭和六十一)四月 高松市
 寄贈 平和の群像建設期成会
 彫刻 菊池 一雄 」※「現地説明板」より
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2017年05月05日

「中央公園の野外彫刻などL」


[ 07:11 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ F栗林公園・玉藻公園・中央公園 ]
「高松市中央公園:女の子二人」
 高松市中央公園の芝生広場の南側に、阿部誠一氏の作品の「女の子二人」がある。
 裸の少女が両端に立っており、その間が少し湾曲している石のベンチとなっている。
 この作品、高松ライオンズクラブの結成二十五年を記念して寄贈したもので、平成元年(1989年)10月2日に除幕式があった。
 公園全体を見渡せる位置にあることから、像と像の間にあるベンチに座って休まれている人をよく見かける。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「高松市中央公園:『女の子二人』の像」
 中央公園にある「女の子二人」の像を撮った写真で、右側の女の子の足の下に作品名の「女の子二人 新制作協会々員 阿部誠一作」と刻まれていた。
 制作者の阿部誠一氏は、1931(昭和6年)に愛媛県に生まれている。
 この作品は、昭和63年4月にここ中央公園で開かれた「瀬戸大橋記念野外彫刻展」に出品された作品で、瀬戸大橋を形どった長さ約5メートルの石の橋の両端に、裸の少女二人が向き合うように立っているものである。
「高松市中央公園:女の子二人」
 「女の子二人」の中央部にあるベンチは、庵治石で瀬戸大橋を挟んだ香川と岡山を表したもので、左側の手を後ろに組んで胸を張っている少女像が香川を、両手を体の横に下げている右側の像が岡山を表しているそうであったが、この写真を撮った平成27年1月の前後1年間は左側の像が無くなっていた。
 平成28年11月に見たときにようやく復元されていた。
「高松市中央公園:イサム・ノグチ氏の遊具」
 「高松市中央公園は、本市の緑あふれる都市の顔であり、更に魅力づくりを行うため、2010年に地域活性化・経済危機対策臨時交付金を活用し、本市にゆかりの深い、世界的な芸術家であるイサム・ノグチ氏が考案した遊具「オクテトラ」と「ブレイスカルチュア」をこかげ広場に、「シーソー」をチビッ子広場に設置しました。」
 写真は、5月3日〜4日にかけて行われたフラワーフェスティバルで、花に囲まれたお茶席が設けられていた。
「高松市中央公園:イサム・ノグチ氏考案遊具」
 高松市中央公園のイサム・ノグチ氏考案の遊具
が完成し、平成22年6月14日に遊具完成記念式典が行われている。
◇CTETRA(オクテトラ)
「オクテトラは、丸い穴が開いた複数の八面体をピラミッド状に組み合わせたもの。内部の空間がつながっていて、迷路遊びもできる。」
◇PLAY SCULPTURE(プレイ スカルプチュア)
 「筒状の鋼製パイプをなだらかに波打つように配置した遊具。パイプの上にまたがったり、寝そべったりして遊ぶ。」
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2017年05月04日

「中央公園の野外彫刻等(ふるさと探訪)K」


[ 07:40 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ F栗林公園・玉藻公園・中央公園 ]
「高松市中央公園:彫刻作品『さぬき』」
 高松市中央公園の芝生広場のすぐ南側の木の下に、速水史朗氏の作品「さぬき」が建っている。
速水史朗(はやみ・しろう)氏は、1927年(昭和2年)に香川県に生まれており、たくさんの賞を受賞されているお方である。
 この作品の銘板として、おむすびの形をした石が地中に埋め込まれており「サヌキ 1988 速水史朗」と刻まれていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「高松市中央公園:速水史朗氏の作品『さぬき』」
 高松市中央公園にある速水史朗の作品の「さぬき」は、黒御影石で作られており香川県の讃岐で見かける「おむすび形」の山や、瀬戸内海の波や島を表現したといわれている。
 高さは、約50〜150aであった。
「高松市中央公園:2点増えて計7点になった石彫『サヌキ』」
 高松市中央公園へ1988年(昭和63年)に設置された彫刻「サヌキ」に、平成5年12月3日に新たに二点が追加され、合計7点の作品が完成を見ている。
 制作者によると、昭和63年4月に山の形をした5点が設置されていたが、何か物足りないと思われて、後に2点が追加されたという。
 この作品、高さが低い分、手で作品に触れたり、そして腰をかけたり、また遊んだりすることが出来る。
「高松市中央公園:石あかりロード」
 高松市中央公園の南の「こかげひろば」の丘の頂部に、石で出来た「石あかり」が並ぶ「むれ源平石あかりロード」がある。
 高松市牟礼町で夏に行われる本物の「石あかりロード」は、大勢の人で賑わうが、ここ中央公園の石あかりロードは、灯りの点灯がなく木の下にひっそりと佇んでいる。
「高松市中央公園:むれ源平石あかりロードの石碑」
 高松市中央公園の「こかげひろば」に、「むれ源平石あかりロード」を説明した石碑がある。
「高松市牟礼町で、8〜9月開催。庵治石等で作られた石あかりを、源平史跡のある旧庵治街道沿いに灯し、期間中多くの人々が訪れます。
○庵治石(AJI−ISHI)
 高松市牟礼・庵治両町で採掘される「庵治石」。主に墓石材として使用され、その品質、希少性、そして石目の美しさから「世界一の石」と言われています。」※中央公園の石碑より
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2017年05月03日

「屋島に上る」


[ 07:10 ][ 観光・レジャー:観光地・レジャー施設 ][ B屋島周辺 ]
「屋島:相引川緑地」
 屋島に上るため「琴電屋島駅」に向っている時、「相引川緑地」の藤棚にフジの花が垂れさがっているのに気づき、左へとそれてみた。
 ここには桜の木が数本あり、つい先だってまで綺麗な花が咲いていた所である。
 ツツジの植え込みの向こうに藤棚があり、紫色のフジの花がたくさん咲いていた。
 このフジの木、年に2度の花が咲いている。
「屋島:屋島寺南の広場」
 屋島寺に参拝し、「四天門」から出たときにお子さんたちの歓声を聞き、急いで見ると屋島山上にいるタヌキがこちら方向に走って来るのが見えた。
 中央の桜は有名な「可正桜」で、花からすっかり若葉に様変わりしていた。
 写真手前の下の赤色矢印の下に走ってきたタヌキが写っており、この後ツツジの木の下に隠れてしまった。
「屋島:屋島寺南の広場」
 屋島山上の広場には保育所のお子さんが、敷物に座っており、ツツジの木の中にいたタヌキを見ていると、保育所の先生がタヌキの写真を撮りに来られた。
 お腹が空いているのかチョロチョロしていたが、エサになるようなものを持っていなかったので、タヌキはツツジの木の奥の方へと逃げて行った。
「屋島:屋島寺南の広場」
 屋島山上のタヌキは、六匹くらいが棲んでいるようで、タヌキが子どもたちの横を通るとお弁当を食べていたのに立ち上がり「タヌキが出た。本物のタヌキが出た。」とタヌキの姿を目で追っていた。
 動物園でタヌキを見る機会も少ないので、園児たちにとっては初めてタヌキを見たのでないだろうか。
「屋島:山上の桃太郎広場で」
 4月28日、屋島に上り「桃太郎広場」まで来た時、広場にある「八重桜」の花がまだ咲いていた。
 写真を撮られていた観光客がおられたので、周囲の風景と共に写真に撮らせていただいた。

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2017年05月02日

「屋島神社のツツジの花」


[ 07:24 ][ 歴史・文学:神社・仏閣 ][ B屋島周辺 ]
「屋島神社のツツジ:ツツジが映える」
 春爛漫の気候となり、徳川家康公や松頼重公が祀られている高松市屋島中町の「屋島神社」の境内では、ツツジの花が見頃を迎えている。
 特に急な石段を上った所の石段の両側に、真っ赤な花が咲き誇っていた。
 青い空に低い山であるが、屋島の「冠ガ嶽」がそびえる様に立っている。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「屋島神社のツツジ:神輿庫前の斜面」
 今は使われていない昔の神輿を保存している「神輿庫」の前の斜面にも、真っ赤なツツジが咲いていた。
 ピンク色のツツジを写真に撮ると、ちょっと白っぽく見えていた
 「神輿庫」の周りにある若葉の緑が、輝いているように見えていた。
「屋島神社のツツジ:拝殿前の真っ赤な花」
 もう少しで「屋島神社」の拝殿がある所に上ってくると、石段を挟んで両側に「キリシマツツジ」が真っ赤に咲いていた。
 拝殿に向ってあと少しの石段を上る人がおり、その先の拝殿前には正面上部に鳳凰、両側の柱に龍の彫刻がある「神門」がある。
「屋島神社のツツジ:拝殿前からの眺め」
 「屋島神社」の拝殿前から南の方向を見た所である。
 前方には、広い参道が真っすぐに伸びており、今は少なくなっている松林が続いていた所である。
 中段の左の建物が、社務所である。
「屋島神社のツツジ:ピンク色の花」
 「屋島神社」の社務所の西側にある広場に咲いていたピンク色のツツジである。
 比較的小さな花がたくさん咲いており、蜜を求めてミツバチが、飛んできていそうな花であった。
 この辺りに香川県に昔、転勤して来ていた中曽根元首相が住んでいた家があった所であった。
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2017年05月01日

「岩田神社のフジの花(その1)」


[ 08:15 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ L食べ物・草木花など ]
「岩田神社の藤まつり」
 高松市飯田町の「岩田神社」で「藤まつり」が開かれているというので、見に行った。
 境内から南に続く参道には、たくさんの車が止まっており、車から下りて鳥居さんの所にやってくると「藤まつり開催中」の看板が立っていた。
 境内では、いろいろなお店の市がたっていた。
 (参考:写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。)
「岩田神社の由緒」
 「治承二年(紀元1178)8月の鎮座。舊くは飯田郷(鶴市、郷東蔔、飯田、檀紙)四か村の産土神にして現今の檀紙村大字御厩も亦氏子たりしこと明なり。社領二石二斗ありて国守松平氏の寄進する所とす。
 祭神 応神天皇/仲哀天皇/神功皇后(息長帯比売命)」※神社の栞より。
「岩田神社のフジの花:東側から見たフジ」
 「藤まつり」が行われている岩田神社のフジは、4月29日には見頃の時季となっており、淡い薄紫の花が咲き誇っていた。
 藤棚の東側には、見物用の椅子が設けられており、多くの人がゆっくりと花を眺めていた。
 フジの花により、あたり一面が藤色に染まったような感じがした。
「岩田神社のフジの花:南側から見たフジ」
 岩田神社の藤棚を南側から見た所で、フジの木がある一帯が柵で囲まれて保護されていた。
 このフジ、樹齢が約800年と推定されており、樹種が「山ふじ」で、咲きそろうた姿は、明治の文人により「孔雀ふじ」と称されました。※神社の栞より。
「岩田神社のフジの花:北側から見たフジ」
 「この藤棚は1本の幹から広がり棚の高さ2メートル、広さ108メートル×21メートルにわたり、花房は1メートルから2メートルにも垂れ下がって見事なものです。古くからこれを慕って訪れる人がたえず、数多く賛美の歌なども残されています。
 ふじなみや おと無き風の よりどころ(梅下庵主人)」※神社の栞より。
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「岩田神社のフジの花(その2)」


[ 08:10 ][ 観光・レジャー:祭り・イベント ][ L食べ物・草木花など ]
「岩田神社のフジの花:北側から見たフジ」
 高松市飯田町の「岩田神社」で「藤まつり」が開かれ、大勢の人で賑わっていた。
 藤棚の北側の建物の軒先に座り、お弁当を食べながら、見事に咲く藤の花を見ている人がおられた。
 また、この藤の花をカメラにおさめている人も目立って多かった。
「岩田神社のフジの花:つるピー」
 岩田神社の仁王門に「つるピーがやって来る」というポスターが貼られており、どんなキャラクターなのか楽しみにして待っていた。
 白鳥の姿をした黄色の口、黄色の足をしており、頭が赤い縫いぐるみで、小さなお子さんやお年寄りに大人気であった。
「岩田神社のフジの花:輪投げに興じる」
 「つるピーさん」、付き添いの人がいて道やお客様情報や通訳を受けながら、境内を闊歩していた。
 お店屋さんのテントが並ぶ一角にある「こども縁日」のコーナーでは、輪投げに挑戦して周囲の人々から喝さいを受けていた。
 弦打(つるうち)校区は、郷東町、鶴市町、飯田町、香西東町の一部で構成され、この弦打のキャラクターが「つるピー」だそうである。
「岩田神社のフジの花:南に伸びる枝」
 岩田神社の藤まつりのポスターには「清らかな翠の中で麗しく咲き誇る紅孔雀、その姿はさながら花絵巻。花穂が藤棚から垂れ下がる優美な姿に酔いしれてください。」と書いてあった。
 このフジの木、昭和46年10月に「香川県自然記念物」の指定を受けている。
「岩田神社のフジの花」
 見ごろを迎えていた「岩田神社」のフジの花である。
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