ひこむらさんのブログ
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ひこむら
専攻は経済学ですが、金儲けの話は全く駄目です。コンピュータはFORTRAN,COBOL、BASICを勉強しました。C,C++についても多少の知識は持っています。  CGはe-とぴあで始めました。
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2006年12月31日

六書


[ 07:24 ]
許慎の説文
 私が六書(りくしょ)を知ったのは、中学生の頃初めて買った漢和辞典「新字鑑」(学生版)によってである。戦後の粗末な紙であるが、いまだに愛用している。
 六書では漢字を6つに分類している。象形・指示・形声・会意・転注・仮借である。転注と仮借はすでに作られている漢字を他に流用するだけで、漢字を作ることとは直接には関係ない。

象形
 ものの形を現すもので、右の図では日と月の2文字を載せています。
指示
 ものには形があり、その形は図で表わすことができます。本来文字は形を表わすことから始まっています。古代エジプトのヒエログラフも鳥や蛇や羽などがでてきます。でも形のないものもあります。
「上」とか「下」など基準線の上側にあるか、下側にあるかを点で指し示しています。右の図は上と下の2文字です。
形声
 意味を表わす字と音を表わす字を組み合わせて文字を作ります。木ヘンの文字には桜とか梅とか松とか杉とか木の名前を表わす文字が勢ぞろいしています。すし屋にいけば、鯖、鰤、鮪、鰯、鰻など魚ヘンの字が並んでますね。
 図は星ですが、日が天体を表わし、生が「セイ」の音を表わしています。
会意
 意味を持った漢字を合わせて新しい意味を持たすものです。
 図は「木」と「林」と「森」の3文字です。は幹と葉っぱと根っこを表わす象形文字です。
 は平地に木が並んだ様で会意文字です。小高く盛り上がった丘や山に生えたたのがです。
 嬲る(なぶる)とか姦しい(かしましい)とかもその類です。昔「かしまし娘」という漫才トリオがあったことを知る人も少なくなったようですね。
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2006年12月29日
白川静と白鶴美術館
 今年10月白川静氏が96歳で大往生を遂げた。小卒で夜間中学に通い、立命館大学の教授になった努力の人である。何冊もの辞典を編集し、字源では独創的な説を打ちたてた。その資料には小西酒造の白鶴美術館の所蔵する殷や周時代の青銅器に彫られた金石文などの研究が役立ったようである。


 という字は、右のように四辻である。その左半分から
ギョウニンベンが生まれる。いうなら片道である。
シンニュウ
 進むの左と下の部分は部首としては「シンニュウ」または「シンニョウ」といわれる。これは片道と足の甲か裏かを表わす「止」からできている。
 この足型に黒丸●を載せた字がお正月の「正」であり、白丸○を載せれば「足」となる。私の理解では、「まる」と入力して漢字変換したところで正と足の二つに変換されたバリエーションであると思っている。

 ついでにいうなら両足を上下に並べて「歩」になる。

 人間70歳をこえると、年に嫌悪感を抱いたり、恐怖感を抱いたりする。「もういくつ寝るとお正月・・・・」なんて気分には到底なれない。
 さて年は楷書の漢字からは想像も付かないが、右のように穀物を刈り取る人を表わしている。本来「稔り」・収穫期を表わしていたが、1年、2年という時間の単位に変化した。上の禾が稲なのかどうかは分からない。中国も南の方は稲作が行われていたであろうが、中国全体でみれば稲とは限らない。まあ日本人の感覚からすれば、新年とは新しい米が収穫できた時期としておきましょう。
来るは麦
 年は米の収穫と少しばかり強引に結論付けたが、来るは麦をあらわしていることは間違いない。
 中国は広く見れば麦を主食にしている。世界中を見てみれば米を主食にする人よりか麦を食べる人が多い。パンであったりスパゲッティであったり、ナンであったり、餃子であったり、うどんであったり、食べ方はいろいろある。
 まあ行く年来る年から米と麦という世界の大多数の人々の主食を読み取って、まずはめでたく1年を締めましょう。・
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2006年12月28日
Vista
 もともと見るを意味するvideoと語源を同じです。さようならの挨拶で中国語の「ツァイ チェン」(再見)、フランス語で「オ ルボワール」、イタリア語で「アリデベルチ」、スペイン語で「アスタ ラ ビスタ」・・・
とにかく見栄えのいいのが売りのようです。UGIつまりゴミ箱やアイコン、最大化ボタンなどのボタン、アイコン等々大きくなってしかも半透明になったり、光ったりするようです。画面のルックスの点では、マックのOSXの方が一足先に進んでいるように見受けられます。
Windows Aero
 デスクトップが3Dグラフィック機能を使ったWindows Aeroが特徴のようです。そのためカラーも32ビットを使っているようです。イラストレーターCSでも1バイト(8ビット)カラーですので驚きです。
 その反面、CPUの性能、メモリー、DirectX等々高機能なものが必要です。たとえば、メモリーは最低512メガといっていますが、野田屋電気で聞いたところでは、2ギガのメモリが欲しいとのことでした。
 新しい酒は新しい皮袋にといいますが、そのあたりマイクロソフトのオフィシャルなコメント以外に実際の使い勝手についての情報収集も必要でしょう。
周辺機器のドライバーも更新が必要
 外付けの周辺機器、スキャナーやプリンター等のドライバーもそれぞれのメーカーからビスタ対応のドライバーを入手し、インストールし直す必要があるそうです。
 そうでなければ、XPとVistaをデュアル ブートしてOSを切り替えて使うという方法をとるそうです。
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2006年12月27日
優秀な人材の海外流出の恐れ
 一定水準の収入のあるサラリーマンの残業支給をカットしようという動きがある。たしかに管理職などでそれなりの能力に見合う手当てを一括して支給している場合、必ずしも残業実績に基づいて残業手当てという形で支給する必要がない場合もあるであろう。しかし成果に見合う報酬を支払わないで海外へ頭脳流出した例として、青色ダイオード発明の中村修二の例がある。プロ野球でも松阪選手のように破格の報酬でアメリカにいってしまう。幸か不幸か経済人で世界を股にかけ稼ぎまくっている例は知らないが、変に安上がりだけを狙って残業手当をカットするならば、日本の経済競争力の低下につながりかねない。優秀な人材を育て、それに見合う報酬を与えて、初めて日本経済の発展がのぞめる。
頭脳流出としてのナチの反ユダヤ政策
 アインシュタイン、ノイマン等々ヒットラーの反ユダヤ政策の結果、ヨーロッパから優秀な頭脳がアメリカへ流出した。それが良かったか悪かったかの議論は棚に上げて、彼らがドイツに先んじて原爆を作り上げた。どう見てもアメリカが人種の偏見を超えて、しかるべき仕事の場を与えた結果である。
 ところで外国人研修生の名目で劣悪な労働条件で海外から多数の労働者を受け入れている。さらには不法入国者を働かしている例も多数あるようである。このような前近代的な日本の経済機構の中で、ただ賃金カットだけをもくろんで残業手当の打ち切りを図れば、経済競争力の強化どころか、人材育成に失敗し、ひいては日本の経済力の低下を招くであろう。
 これは受験競争に有利になるよう高校の必修科目の未履修という短絡的な目先の有利さだけを目指す高校や教育委員会の発想と根は同じである。国家百年の大計に立って物事を進めなければならない。
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2006年12月26日
ビスタの種類
 大別してホームカテゴリーとビジネスカテゴリーにに分かれます。

ホームカテゴリー
 Starter 発展途上国向け
 Home Basic 基本的なパソコン使用に適したバージ ョン
 Home Premium
 Vistaらしさの美しい画面

ビジネスカテゴリー
 Business
 Enterprise

そのほかHome PremiumとEnnterpriseの機能を併せ持った Ulimateがあります。

 私見ですが、Vistaにグレードアップするなら、Home Premiumにしないとあまり意味がなく、当分XPを使ったままで様子を見るほうがいいのではないでしょうか。
Windowsの歴史
1992年 3.1
1995年 95
1998年 98
2000年 Me
2001年 XP

ほかにネットワーク用にNT、2000の系列があり、その二つの系列がXPで統合されました。

 これをみると、2〜3年にバージョンアップされており、XPの時代だけが異常に長かったといえます。それだけVistaが大改革だったといえますが、短期間に小バージョンアップがあるのか、Vista時代が長く続くのか予測が難しいのです。一番短命だったのがMeで、わずか1年でXPに取って代わられました。
ハードとの兼ね合い
 ソフトのグレードアップはハードの機能もそれに伴って必要です。最近新発売のパソコンはVistaように備えた性能を持っているようですが、OSだけの積み替えではすみません。Vistaのためのハードの必要最低機能については省略します。

 ここでムーアの法則について話します。半導体の集積度が1年半〜2年で2倍にグレードアップするというものです。ところがこの法則は当てはまらない次期がそろそろ近づいています。というのはたとえばシリコン1原子のなかにいくつもの回路を載せることは不可能です。
 CPUについても今のまま性能アップができない状況にあるのは変わりがありません。
Cell BEは次世代CPUとなるか
 今年11月にプレステ3が発売された。それにCellBEというCPUが搭載されている。CellBEは8つのSPUというマイクロプロセッサーをPPUというプロセッサーでコントロールする合計9個のマルチプロセッサーである。これにブルーレイとよばれる新型ハードディスクを積んで約6万円という価格帯で発売された。聞くところによると製造原価が発売価格を上回っているそうだ。
 CellBEが次期パソコンの主力CPUとなるかどうかは分からないが、ウィンテル体制の足元を脅かしていることは間違いない。まだCellBEに対応するOSが開発されてはいないが、案外Vistaの次がCellBEを使うOSとなるかもしれない。
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2006年12月23日
「芋・たこ・南京」で知りました
 母は子供の頃から大阪市の福島区で育ち、結婚後も福島区ですんでいました。姉は多分福島区生まれで、戦争中海老江の凸版印刷に勤労奉仕で働いていました。それでサツマイモと長ネギの煮たものは時々食膳に上りました。でもその料理名が「なんば・さつま」というのは「芋たこ南京」で初めて知りました。
 ネギを「南蛮」というのは「鴨南蛮」などのメニューになってます。もっとも鴨の代わりに鶏肉を使っている店が多いようです。
 「なんば」「南蛮」というのはトウモロコシやトウガラシにも使われるようです。
 サツマイモも鹿児島県では使われないようです。「カライモ」(唐芋)というようです。唐辛子と南蛮の関係に似ています。

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祖母が言っていた
 祖母が懐炉のことを「おんじゃく」といっていた。実物は見たことはありませんが、石を暖めて布にくるんで懐に入れて暖を採っていたのでしょう。おんじゃくは2つの方向に分かれます。ひとつは暖房用具で、一つは食事です。
懐石料理から会席料理へ
 以前私の家のむかえに住んでいたお茶のお師匠さんから炉開きに招待されたことがありました。お茶をいただく前に懐石料理をいただきました。どんな献立でどんな順序で出されたのかまったく記憶がありません。懐石とはいいながらふところではなく、胃袋を暖めるのが懐石料理の趣旨でしょう。あくまでお茶を頂くまえの下準備です。

 日本料理は一人一人に個人のお膳が出てくる本膳料理が本来です。それを数人分が載る食台にならべ会席料理という別なものにもなりました。あくまで飲んだり、食べたりが主体です。
桐灰・白金・ホッカイロ
 祖母がおんじゃくといっていたのは、桐灰カイロのことです。細長い紙の筒に入った炭の粉に火をつけて、金属のめがねケースに似た容器に入れて懐に入れました。桐灰というけれどたぶん桐炭の粉が使われていたにでしょう。
 白金カイロは大型のライターのようなものです。ベンジンを綿にしみこませ、火口に火をつけます。その火口には白金が使われ、それを触媒にして90度ぐらいの温度で長く燃焼させます。
 鉄粉を使った使い捨てカイロが開発されたのは、戦後のことです。それでも桐灰本舗という社名が残っています。
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2006年12月21日
記事は先に書きました
 左から黒木会長、霊芝寺住職、津森顧問
霊芝寺
 一見何の変哲もない田舎寺ですが、水戸黄門の実子と一橋慶喜の叔父の墓所というのですから只者ではありません。江戸時代各代の高松藩主が帰国すれば、かならず墓参に訪れ、餅つきして参拝者にも振舞ったそうです。
 いまでは、松平公益会の職員が年に3度墓参に訪れているそうです。
岡田神社
 弘法大師の先生の岡田牛養を祀っています。近くに屋敷跡もあるそうです。ただし最近に作られとか・・・
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京ことばの本を読んでいて
 「おつり」という言葉を知りました。おつりといえばつり銭しか思い浮かばないのですが、たとえば慶び事で重箱に入った赤飯が到来したときには、重箱に何かを添えて返していたのを記憶しています。たぶん「おため」といっていました。
 たぶん結婚式とか子供の誕生などで、式に出席したり、直接お祝いに訪問するほどのあいだがらでないばあり、赤飯とか祝い饅頭を配る風習があって、特に祝儀を包むほどでもないときに「おつり」とか「おため」という略式の返礼の風習があったのでしょう。
話は変わりますが
 遣唐使は唐に貢物を持っていったのですね。貢物をもらったほうは、その何倍も「おつり」を返したのですね。弘法大師のように留学して勉強させてもらうのも「おつり」の1つだったのでしょう。別に受験料も入学金も授業料も払っていないと思います。もっとも個人的に少しばかりの荷物を持っていくことは許されていたようで、それを売り払って、お小遣いに当てたかもしれません。
 現代のように、受験戦争を潜り抜け、親に高額な授業料を払ってもらって、その割には勉強しない大学生もたまには、親に「おつり」を返してもいいのではないでしょうか。
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2006年12月18日
岡田牛養の移住元佐波
 佐婆部の佐婆は何処でしょうか?現在の防府市です。駅のすぐ近くに佐波小学校を見つけました。佐波川という川もあります。周防の国の国司の館があったところです。
田口成良と奈良の大仏
 佐波川の話からすこし遠回りしますが、仏生山の「いわざらこざら」の乙女の像が立っている平池の話からはじめます。治承2年に平清盛の命により、阿波民部田口成良がこの池を作りました。(しげよし重能とも書く)
 その2年後の治承4年に平重衡によって東大寺が焼き討ちされ、大仏も壊れます。その償いに田口成良は丈六の仏九体を東大寺に寄進します。一体だけ阿波に残したのが、八十八箇所の札所である丈六寺であるといわれています。
大仏再建
 源平合戦の後、重源という人が東大寺の再建にあたります。そのさい朝廷から重源に周防の国から材木を切り出して運ぶ許可がでます。その材木の運搬に佐波川が使われました。
 大仏再建の資金調達には西行法師の協力し、鎌倉の頼朝や奥州の藤原氏を訪れています。まだ義経が奥州にいた頃だと思います。
 西行法師といえば崇徳院を弔いに讃岐にも来ています。岡田牛養とは関係ないのですが、周防の佐波川と讃岐は結びついています。
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2006年12月17日

讃岐と紀氏


[ 07:15 ]
岡田神社と紀氏
 続日本紀の記事で岡田牛養が佐婆部から改姓したことは知っていたが、紀氏の一族であることは読み落としていた。
 紀氏はもともと海運に携わる一族である。瀬戸内海一円を船で行き来していたらしい。その交通圏の中に山口県の周防の佐婆部も讃岐の志度あたりも入っていたのであろう。
白村江の戦い
 額田王の「熟田津に船待ちせむと・・・」の短歌は良く知られている。道後温泉から新羅征伐の軍船を出すときの歌である。その折岡山県の邑久町あたりで中大兄皇子の娘大伯皇女が生まれている。吉備の国で兵士や軍船の調達にあたっていたらしい。当然伊予や讃岐でも同様のことが行われたであろう。

 その少し前、斉明天皇たちが紀州の白浜温泉に出かけている間に有間王子の事件がおきている。何も湯治が目的で白浜くんだりまででかけたのではなく、紀州水軍と折衝に出かけたらしい。
屋島源平合戦でも
 熊野水軍が源平合戦の応援に駆けつけている。熊野水軍といえば、義経の家来弁慶が熊野堪増の息子という説もある。
須恵器と岡田村
 讃岐と須恵器は関係が深い。現に陶という地名があるし、三谷三郎池からは日本でもっとも古い須恵器が見つかっている。河内の陶津耳の娘は大和の三輪山伝説に出てくるが、讃岐では河内とは別に須恵器の発祥の地であったらしい。岡田牛養は空海の先生であるだけでなく、須恵器の窯元でもあり、海上交通通で須恵器を運んで売り捌いていたのかもしれない。

山口といえば陶晴賢が大内氏を倒し、厳島で毛利元就の奇襲に敗れている。この陶氏と佐婆部氏が血縁関係があるのかどうか私は知りません。
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2006年12月16日

代の末まで


[ 20:36 ]
昭和町駅から志度へ
 志度町に末という地区があるらしいことは、以前から知っていました。志度駅12時59分発のコミュニティバス末公民館前で下車するよう高松市歴史資料館からの案内も見ていました。

 バスが来ました。コミュニティバスではなく、高松市立図書館のワゴン車でした。コミュニティバスは土日が運休なので図書館のバスが代行運転するはめになったということです。それならそれで先に連絡を受けていれば、なにも昭和町駅からJRを利用することもなかったわけです。高松市としてはJR四国の収益に影響を与えないように配慮したのでしょう。
水戸藩ゆかりの霊芝寺
 お釈迦様が滅して、何年か後に末世がやってきて、弥勒菩薩が人々を救いにやってくると弥勒信仰が流行った時代があるそうです。

 それにしても自分たちの住む地域に末なんて縁起でもない地名をつけたのはどんな神経をしているのでしょうか。寿栄で「すえ」と読ましては如何でしょう。
 そんな代の末の地に高松藩松平さんのお殿様のお墓が2つもあるお寺がありました。霊芝寺です。高松藩の墓所といえば仏生山。仏さんの生まれる山ですから、縁起の良いところでしょう。

 ここ霊芝寺にお墓のある殿様は、2代目の頼常公と9代目の頼恕公、いずれも水戸から天下ったお殿様です。
光圀の隠し子とラストエンペラー慶喜の叔父
 頼常は光圀の一粒種です。頼恕は烈公徳川斉昭のお兄さんで一橋慶喜の叔父にあたります。夫人は彦根の井伊大老の息女というのですから、まあ全国的に知られた人物です。
岡田牛養は空海の先生
 土佐日記の紀貫之の一族紀田鳥が周防の国で佐婆部の姓であったが讃岐寒川郡岡田村に引っ越してきた。牛養さんは朝廷に岡田姓に変える願いを出して許されます。ついでに大学の博士に任命されています。そうした記事が続日本紀に出ています。
末は焼き物の里
 陶でも須恵でも良かったのです。綾川町の陶と区別するため末になったようです。区別というよりも差別でしょう。

 帰りは昭和町のサンクリスタルまで便乗させていただきました。
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2006年12月15日
トリノスは養鶏場が経営
 週に何度かはサンクリスタル(昭和町の図書館、菊池寛記念館、高松市歴史資料館が入っているところ)へ行く。そこの喫茶・軽食の店がトリノスである。養鶏場が経営しているので、卵と鶏肉がウリの店である。

 そこで味噌ソースチキンカツ丼を食べた。カツ丼といえば豚カツの卵とじと相場が決まっている。カレーになるとカツカレーと名前が変わる。
3つの食文化圏
 石毛直道氏は日本の食文化圏を「1ソ」、「2ソ」、「3ソ」の3つに分けた。
「1ソ」は大豆だけ、つまり納豆を食べる食文化圏で東北、関東地方

「2ソ」は「大豆と塩」の2つ、つまり八丁味噌・赤味噌の食文化圏で中京地方である。

「3ソ」は「大豆と麹と塩」の食文化で関西以西である。「3ソ」と味噌をかけているところが「みそ」である。

 この説にはうなずける部分もあるが、首をかしげる部分も多い。たしかに私など納豆といえば甘納豆しか思い浮かばない。ところが味噌となると信州味噌とか仙台味噌もあり、さぬきの白味噌仕立ての餡餅雑煮ほどにはローカリティはない。江戸前のにぎり鮨にも赤出汁の吸い物がつく。
味噌カツは讃岐ではなじみうす
 でも味噌カツはやはり讃岐ではそう見かけない。ご飯の上に、せんぎりキャベツがのって、カツがのって、甘辛いみそソースがかかっている。ちょっとカルチャーショックを受けました。もっともチキンといってもたぶん名古屋コーチンではないでしょう。
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2006年12月13日

岩間和夫


[ 09:27 ]
盛田昭夫の2歳年上の義弟
 名古屋市白壁町は、徳川御三家の尾張藩の武家屋敷の街である。そこの酒造りの長男盛田昭夫は、井深さんに請われ、ソニーの前身東京通信工業を創業した。その盛田家の1軒置いて隣に岩間家があった。東京大学地震研究所の研究者であった岩間和夫を東通工に引き入れた。そのソニー創業の年に昭夫の妹菊子と結婚した。盛田兄妹とは幼馴染の間柄であった。
テープレコーダ製造部長
 東通工の人気商品の第1号はデープレコーダーである。もっとも商品名は「テープコーダ」である。その製造部長が岩間和夫であった。
トランジスターの開発とトランジスターラジオの発売
 まだ海のものとも山のものとも分からないトランジスター開発に岩間和夫は、渡米して実地見学し、その経験を元に開発し、それを使ったトランジスターラジオが世界をけんせきした。さらにトランジスターテレビまで商品化した。
 テレビといえば、トリニトロンカラーの開発をおこなったのも、岩間和夫である。
CCDの開発とハンディカム
 ICの開発では、ソニーは後れをとったらしい。ちょうどその間は岩間和夫がソニーアメリカの社長として日本を離れていた時期にあたる。
 CCDは平たく言えば、光を電気信号に変える撮像素子でICの上を行く技術である。
 家庭用のテレビで見るとして、35万画素程度を数ミリから1センチのチップの上に乗せる必要がある。そのプロジェクト開発が実現しないうちに、大腸がんのため、享年63歳でなくなった。前田多門、井深大、盛田昭夫につぐソニー社長であるが、会長にはならずしまいであった。
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2006年12月12日
江戸と大阪の佃の関係
 佃は海にちかい土地で古くから漁業がおこなわれていました。慶長年間徳川家康が摂津多田神社や住吉神社に参詣のおり、佃の漁民が神崎川の渡しに船を提供したり、白魚を献上したりしました。また大阪の陣で佃の漁民が家康を堺に渡したといわれ、家康の隠密となったとも伝えられています。
 そのため家康が幕府を開いたあと佃の漁民は全国どこでも漁ができる許可をあたえられました。そして佃の漁民は献魚の役として安藤対馬守の屋敷に居住し、毎年11月がら3月まで江戸につとめることになりました。しかし毎年のことなのでその道中のわずらわしさから、江戸在住を願い出ました。
 その願いがかなえられ、江戸鉄砲洲の干潟100間四方(180×180平方メートル)の土地を与えられ大阪佃から17軒34人が移住し、その島を佃島と名づけました。これが現在の東京佃です。
妹・母親を人質にして家康を大阪へ
 秀吉は、妹朝日姫を家康に娶わせ、大政所を人質にしてまで、大阪城に家康を呼び寄せました。
 そのおり、家康は源光仲を祀った多田御廟へ参詣します。そのとき現在の大阪市から尼崎に船で渡したのが攝津の佃村の漁師でした。
 その後、家康が江戸城に移った折、佃村の漁師を江戸に移住させました。鯛とかおかずになる魚はお城に届けさせ、あまった小魚は、しょうゆ油で煮しめて庶民の食べ物になりました。名づけて佃煮といいました。
 そのご褒美として家康は日本国中どこで漁をしてもよいとお墨付きを与えました。
万延2年讃岐の国へ
 幕末佃村の漁民は直島の庄屋三宅家にこの由緒書を持って漁をしにやってきました。てんやわんやの末男木島あたりで鯛網漁を行い、明治の初めまでその漁が続いたそうです。直島の三宅家には「摂州佃村漁師入漁一件諸控」として関係書類が残っているそうです。
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2006年12月11日
画面をクリックしてください
サンタさんはアジア生まれ?
 4世紀ごろ、小アジアに実在した聖ニコラオスという人だそうです。

(クリックしてウィキペディアの記事を読んでください)
サンタさんが今のイメージになった由来
 それは20世紀になってからのこのようです。

1921年にフィンランドの新聞社がサンタさんの住所変更の記事を出しました。

1931年コカコーラ社が宣伝用に今の服装をデザインしたそうです。

 アジア人のニコラオスさんがトナカイのひく橇で、雪の中を走るはずがありません。
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2006年12月10日

須弥山


[ 07:03 ]
曼荼羅と須弥山
 曼荼羅が住宅地図なら、須弥山は世界地図でしょうか。
 ところで,googlemapを開いて見たことがありますか、倍率を変えるだけで、世界地図から住宅地図まで見ることができます。適当に町名とか施設の名前をいれて検索して見てください。シンボルタワーだってバッチリ得ることができます。
金輪際と有頂天
 須弥山は金輪という輪の上にのっています。そこが世界の果という意味で金輪際という言葉が使われています。世界はもっとも高い須弥山を中心に9つの山と8つの海からできています。
 須弥山の上の空は有頂天で、フィーバーすることを有頂天というのはここから来ています。
天王寺と四天王
「天王寺は高いな 落ちたら怖いな」こんなことを言って遊んだもんでした。また「鴨取りごんべい」の話にも天王寺がでてきます。
 大阪人にとって自慢は天王寺と天保山でしょう。なにしろ聖徳太子が日本で始めて国家行事として建てたお寺です。でも本当の名前は四天王寺です。

 ところでこの四天王は須弥山の中腹に住む神さん名のはご存知ですか。

 東 持国天
 西 広目天
 南 増長天
 北 多聞天

こんな配置になっています。

(写真は善通寺の四天王)
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2006年12月09日
空海が唐から持ち帰った
 密教では曼荼羅が重要な佛絵である。空海は金剛界曼荼羅と胎蔵界界曼荼羅の1対の曼荼羅を唐から持ち帰った。

(写真は金剛界曼荼羅)
曼荼羅はゼンリンの住宅地図?
 こんなことをいうと不謹慎と怒られそうだが、平たくいうとそんなところかもしれない。でも曼荼羅をみて、阿弥陀さんはどこに住んでいらしゃるか探す物好きはめったにいない。それはそれで信仰心さえあればどうでも良いことなのか?

(写真は胎蔵界曼荼羅)
金剛界は「の」の字型
中央 成身会
下 三昧耶会
左下 微細会
左 供養会
左上 四印会
上 一印会
右上 理趣会
右 降三世会
右下 降三世理趣会
とまあこんなブロック構成になっているそうです。
成身会の五部
中央 佛部 大日
東 金剛部 アシュク
南 宝部 宝生
西 法部 阿弥陀
北 羯磨部 不空成就

とまあこんな仏さんがお住まいだそうです。

 善通寺のすぐ隣の金毘羅さんは、曼荼羅ではどのあたりにあるのでしょうか?
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2006年12月08日
頼重も光圀も密かに生まれた
 頼重は光圀の兄でありながら、水戸家を継がず、讃岐高松藩主となった経緯について、兄の尾張家や紀州家にまだ跡継ぎが生まれていなかったので兄に遠慮したためといわれている。
 ところが頼重も光圀も父頼房は堕胎を命じていたらしい。頼重も光圀も三木之次・武佐夫妻の家で密かに生まれ、育てられた。
家康の側室英勝院
 二人の命を救ったのは、家康の側室英勝院である。英勝院は江戸城を作った太田道潅の子孫である。初代水戸藩主頼房は英勝院の養子となっていた。いわば義理の祖母である英勝院が二人の命を救ったのである。
光圀の元服と頼重の対面
 寛永十三年光圀は江戸場内で元服している。その時点で光圀は水戸藩の跡継ぎとして認められたのであろう。
 その翌年、頼重は父頼房にはじめて対面した。頼重が父から認知された時点にはすでに光圀が跡継ぎとして決まっていたようだ。
光圀お前もか
 光圀は兄頼重の子を水戸藩三代目のした。ところが光圀も結婚する以前に女中に懐妊させ、おおかた堕胎させかけた。その子と母親は頼重が讃岐に引き取り、高松藩二代目藩主頼常となった。その生母の墓は、亀岡公園のすぐ南の霊源寺にある。門の上の漆が美しく紅葉している。
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2006年12月07日
次期DVD戦争
 プレーステーション3が発売された。プレステ3の売りの1つがブルーレイDVDである。現在使われているDVDからは桁違いの大容量のDVDである。
 中味の説明はクリックして読んでください。

 これに対抗する形でHD DVDが東芝,NEC等において開発されている。違った方式が採用されると、互換性で一番迷惑するのは消費者である。
現在でもDVD−RとDVD+Rがある
 現在でもDVD−RとDVD+Rがあります。さらに1層と2層といった区別があります。こうしたメディアの相違でトラブった経験はありませんか?いつも山済みの特価品ばかり買っているので、めったに高価製品を手にすることはないのですが、たまに重要な作品と思って正規の商品に手を出せばこんなトラブルに巻き込まれます。
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2006年12月06日
伸ばす・切る・押し出す
 麺を作る方法は大きく分けて@伸ばすA切るB押し出すの3つの方法がある。伸ばす方法は素麺、切るのはうどんと日本そばがあるが、押し出しの方法は日本ではあまり普及していない。押し出し方法の王座はマカロニ、スパゲッティなどのパスタである。それに麦以外のめん類たとえば米粉で作るビーフン(米粉)、リョクトウで作る春雨そのほかどんぐりの粉で作るものもある。麦ではグルテンの粘りで伸ばすことができるが、グルテンを含まない粉でが押し出しが主役になる。日本そばは小麦粉をつなぎに使うので、うどんの変形と考えられよう。
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2006年12月04日
麺とは麦のコナ・粉は米のコナ
 うどんとかラーメンとか素麺を麺類と思っている人が多いと思いますが、麺は麦のコナで、粉は米のコナです。漢字をよく見てください。麺にはちゃんと麦がついており、粉には米が付いています。

いわゆる麺類は麺条(メンチャウ)
 小麦のコナを練って細長く伸ばしたものを麺条といいます。でも茹でて出汁をかけて食べるとは限りません。油で揚げた油条(ゆーちゃお)というものもあります。朝食におかゆの合間にかじるそうです。揚げ菓子たとえばカリントなんかも油条かもしれません。

麺は白粉
 そういうことを「説文」という本に出ているそうです。なるほど面に塗る麦のコナで麺という字ができたのなら、理屈にあっています。

日本では米のコナを顔に塗った
 白粉とかいて「おしろい」と読みますね。麦じゃなくて米のコナを顔に塗ったからでしょう。
高野山と伊勢白粉
 空海が高野山を開いたのは、白粉のためである。そんなテーマで書家の榊莫山という人が「空海漠漠」という小説を書いています。勿論フィクションですが、高野山に丹生都比売神社は実在し、水銀を採取した部落があるそうです。地上では高野山とお伊勢さんは何のつながりもありませんが、地下では水銀の鉱脈がつながっていて、伊勢参りの土産には伊勢白粉を買って帰りました。
 なお丹は硫化水銀のことで、香川県にも丹生とか仁尾といった地名があって水銀の山地であったかもしれないのです。特に仁尾は善通寺からも近く、佐伯氏は水銀を掘り当てて大もうけして、空海はその資金で経典とか仏具を買いあさって唐から持ち込んだのかもしれません。

 大原美術館が倉敷紡績の儲けでコレクションが出来上がったように、いくら空海が頭が良くても、金がなくては多数の経典を持ち帰れなかったでしょう。
うどんは餅の仲間
 讃岐の餡餅雑煮は、他県の人を驚かせますね。でも弘法大師が餡餅雑煮を唐から持ち帰った話はききませんね。
 中国では餅はもち米で作るものではなくて、小麦粉で作るものなのです。月餅という餡の入った焼き菓子がありますね。空海が唐で食べた餡餅は月餅だったでしょう。
 餃子も肉まんもみんな餅の仲間です。なかでも索餅は後に素麺になったらしいのです。
 だからうどんが餅であってもおかしくないのです。
うどんは混沌から
 でもこの混沌なる物の正体は混沌として分かりません。真ん丸くもなく、そういってうどんのように一定の太さと長さが決まっているのでなく、混沌とした形であったらしいのです。

うどんを作るには麺棒が必要
 当然丸い麺棒を作るには、かんなが必要です。ところが空海の時代には、現在のような台付きかんながなくて、鑓かんなしかなかったようです。これではとても麺棒なんか作れませんね。とすれば麺棒で伸ばして、包丁で切るうどんよりか、引っ張って伸ばす素麺のほうが先にできたかもしれないのです。
うどんと唐菓子
 平安時代からあるものに唐菓子があります。そのなかに、ふと、こんとん、索餅、麦縄といったものがあります。神社に供えられたもののようです。
 形によっていろいろ名前が変わっても、小麦粉をこねて、蒸したり、油で揚げたお菓子だったのでしょう。
 私はうどんのルーツはカリント菓子だと思っています。
それから「ふと」はほうとうのルーツであり、ハッタイ粉も「ふと」が語源かもしれません。ヒマラヤ登山で知られるシェルパはツァンパという炒った麦の粉を持ってヒマラヤ登山を手助けしました。
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2006年12月03日
ソフトバンク球団社長は大学の同期
 12月2日e-とぴあ・かがわの上の国際会議場で第3回地域形成フォーラムが行われた。基調講演は福岡ソフトバンクホークス社長・オーナー代理の笠井和彦氏によって「地域活性化にもとめられるもの〜高松と福岡と〜」である。
 まあ小泉前首相の地方見捨て政策のあおりを受けて、どこの県もやりくりにシクハクしている状況で、同じく国立大学を解体された香川大学が、首をつなげてああでもないこうでもないと井戸端にあつまって相談しているだけのことである。
かばんの取り違え事件
 笠井氏とは別に大学在学中に特に親しくしていたわけではないが、ちょっとしたハプニングがあって記憶している。
 当時香川大学では100授業で、英語の時間だけ休憩時間なしで50分で入れ替えしていた。B1組の笠井氏とB2組の私が同じ机においてあった鞄を取り違えたのである。鞄を開けたところ、空の弁当箱と丸亀・高松間の定期券が入っていた。翌日大学へ行って、丸亀から通ってきていた同期生に笠井君を探してもらって鞄が元に返った。
みずほ銀行とソフトバンク
 笠井氏は富士銀行に入社し、副頭取から安田信託銀行頭取と銀行畑を歩いてきた。そんなことでソフトバンクも銀行の一つくらいかなと思っていたが、YahooJapanを運営する孫正義の金庫番で、かつ球団社長というまったく畑違いのことをやっている。
 スーパーの神様の中本さんからダイエーの球場と球団を買収したのだから、スーパーの上を行っているのだが、球団経営は赤字で楽じゃないらしい。
 ガイナーズが優勝して、巨人に入団した選手ががでたと大騒ぎしている香川とは1桁も2桁も格が違うが、いずこも同じ秋の夕暮れである。
 といっても12月に入って寒い1日であった。
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2006年12月02日
ウィンドウズ2000が故障
 事故防止のため、2000ProffesionalとXPを積んだパソコンのうち、2000のほうだけインターネットに接続していたが、インターネットが立ちあがらなくなった。野田屋電気の人に見てもらったら、OSを取り替えなければだめということで、とりあえずOXのほうにインターネットの設定をしてもらった。
 そのさい、1月にビスタに変わると教えられた。ビスタを動かすにはメモリが2GBは欲しいといわれた。OSが新しくするにはハードのほうもグレードアップしなければならないようだ。
MS−DOS時代
 私が勤めていた頃、まだMS-DOSの時代で、アプリケーションとしてウィンドウズを立ち上げていた。ウィンドウズ95以前の話である。
 ウィンドウズ95の発売には長蛇の列ができたらしい。それまで、周辺機器の接続やアプリケーションをコンピュータに認識してもらうためには、そのためのコマンドを書き連ねたファイルを作らねばならなかった。幸い大型計算機を操作する者が手近にいてセットアップは全部してもらっていた。そのころマックではそんな面倒なことはなくて、GUIとしては、MS-DOS系よりはマックのほうが一歩先んじていた。
 Officeが発売されたのもその頃じゃなかったかと思う。もともとエクセルはビル・ゲイツがアップル社のために開発したしたものらしい。
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コメント
From:七きんさん
マイブログ ] 
[ 2006/12/02 10:08 ] Re:ウィンドウズ・ビスタとOffice2007が来月発売
私は、ウインドウズ95からはじめました。メカはどんどん進んでいくし、こちらの頭は退化していくし
こまります。いろいろ教えてくださいませ。
From:かめけんさん
マイブログ ] 
[ 2006/12/02 09:09 ] Re:ウィンドウズ・ビスタとOffice2007が来月発売
ウィンドウズ3.1のインストール用のFDの枚数の多かったこと。
途中の1枚が読めなくて、再インストールする時の惨めさ。
今となっては、懐かしい思い出です。
2006年12月01日

美術と環境


[ 06:51 ]
なぜ猪熊弦一郎が小豆島が好きだったか?
 私にとって大きな謎です。MIMOCA(丸亀猪熊弦一郎現代美術館にいって、売店コーナーの絵葉書を見ても、明らかに風景を描いたものは、やしの生えた東南アジアを描いた絵がただ1点あっただけです。

 今年の夏の東京芸大のアートワークショップin小豆島で箕浦昇一教授にインタビューしても、別に小豆島でなくても何処でも良かったという回答がもどってきた。
イサム・ノグチが牟礼にアトリエを持ったわけ
 ご存知のとおり、イサム・ノグチの作品は、抽象性の強い作品です。石の彫刻をするのですから、石材のとれるところが便利なことは判ります。しかしなぜ瀬戸内海に近く、屋島が見える場所だったのだろう。
 
 イサム・ノグチに香川県にアトリエを持つよう勧めたのは、猪熊弦一郎である。そしてそれをサポートしたのが金子正則元知事であった。

 今年の秋高松市美術館でイサム・ノグチの展覧会があった。そのさい、展示場の外の通路でビデオを流していた。そのなかでイサム・ノグチがある場所に公園を設計した際に、隣接する場所にあった美術館を取り壊すよう強く主張したことを取り上げていた。芸術家が美術館を壊すなんて自殺行為に等しいはずであるが、イサム・ノグチにとって公園は海が見えるよう設計したのに、美術館が妨げになっていた。
現代美術は野外に
 イサム・ノグチのアトリエの跡は庭園美術館となり、瀬戸内海の風景に溶け込んでいます。直島のベネッセハウスなども瀬戸内海に溶け込んでいますね。MIMOCAの正面の壁面もMIMOCAの顔になっています。
 たとえばルーブル美術館などは、もともと宮殿で厳重に囲まれた閉じられた空間に閉じ込められている。
環境デザインの誕生
 環境デザインというコンセプトが生れたのはそう古いことではない。その草分け的な人に漆原美代子がいる。戦争中香川に疎開していたこともあり、香川には縁の深いひとである。四国新聞に村尾家のことを書いたりしている。
 彼女が環境デザインのコンセプトに興味をもったことに瀬戸内の風景がヒントとなったかもしれない。
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