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研修支援国分
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2018年07月11日
4.9大仏開眼会は 前庭で群臣から再拝を受ける

元日吊架とは性格を異にしている

群臣と同様に北面して大仏を礼拝したか。
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2018年07月01日
大極殿において講師による講説

講師は道慈

内容は金光明最勝王経

意味は この経が国家の基本方針の源泉となる

東大寺の成り立ち 53,63,119頁
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749年 天平勝宝元年に東大寺に500戸が加増された

これは大倭やまと国の金光明寺分としてのものである

その年前の747年 天平19年に 1000戸が施入されていた

これが東大寺への封戸(ふこ)の最初である

これは金光明経寺に対する食封(じきふ)として

なされたものである

東大寺のなりたち 114頁

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讃岐の条理は他国よりも10年早く、752年に完成した


古代国家の土地計画 2018 吉川弘文館 85頁



同上29頁

碁盤目による方格(四角の土地区画)は一辺が

1町(約106m)である

それを6面づつ集めた区画を「里・り」と呼んだ


里が横に並んだ区画を「条・じょう」と称した。

典型的な表記は「00国 00郡 00里 0(坊)000」

である

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752年 天平勝宝4年4月9日 大仏開眼の供養会があった

続日本紀には「その儀式はもっぱら元日に同じ」と記す

元日には国司は国内の郡司をひきて庁に向かい

朝拝するようにと定められていた 儀制令
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